白石さんと、帰り道

 エンドロール終了後、シアターの照明が明るくなり、試写会自体の終わりを告げるアナウンスが流れる。

「……映画終わったな。出よか」
「はい」

 まず先に俺が立ち上がると、彼女も素早く身支度を整え立ち上がった。ふと腕時計に目をやると夜の九時を過ぎている。

「結構遅なってもうたな」
「ですね。会社出たのが五時半頃だったので」

 と、そう言うなり、ぐぅ、と彼女の腹から控えめな音が聞こえた。いや、そら、腹減るわな。わかってはいるが、その音と、その後、彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていくのがあまりに可愛くて、思わず笑ってしまった。

「っ、ハハ。すまん。一緒にメシ食って帰る?」
「……はい。お願いします」
「ほな、店探しお願いしてもええかな。この辺全然わからへんねん。支倉さんが食べたいモンでええよ」
「かしこまりました」

 とはいえ、夜九時以降に入れるお店というのは限られてくる。彼女はスマホでササっと店を検索すると、物怖じせずにすぐに店に電話をし、「白石さん、九時半から二人予約できました」なんて報告をしてきた。さすが支社の営業出身、こういうん慣れてるんやな、なんて彼女の仕事ぶりに感心した。

 徒歩で辿り着いたのはダイニングバーだった。彼女が選ぶ店なら、別に牛丼屋でもラーメン屋でもどこでも良いとは思っていたが、さすがに先輩をそんな店には連れていけないという、きっと彼女なりの配慮だろう。半個室になっているテーブル席に通されると、彼女は下座に座ろうとするので「奥、座ってええよ」と伝える。

「いや、白石さんが上座座ってください」
「別にそんなん気にせんでええって。それに、何や緊急の電話来た時とか、下座のが外に出やすいし」
「そうですか……? それなら、失礼します」

 彼女はおずおずと奥の方に着席した。さすがに深夜に緊急連絡が入ることなどそうそうないが、そうでも言わないと彼女が下座を譲らなそうだったので、嘘も方便である。
 そのままいつもの通り仕事の話を中心に雑談をしなから食事していたのだが、不自然なくらいに、先程見ていた映画の話題にはならなかった。やはり、あのシーンの影響が強い。時間にすると三十秒にも満たなかっただろう。ただ、設定が設定なだけに、彼女と見るべき映画ではなかったと後悔する。

「わ、このステーキすごく美味しいですね!」
「口に合ったなら良かったやん。俺の分も食べてええよ」
「いや、さすがに白石さんの分まで頂けませんよ」
「遠慮せんと。腹減ってるんやろ」
「もう、あの音のことは本当に忘れてください……」

 目の前の彼女は、照れながらも、美味しそうにステーキを食べている。その無邪気な姿に、後輩として可愛いと思う気持ちの他に、もう一つの感情が重なる。 
 ――いつからなんやろな。
 その変化の瞬間は明確にはわからないが、現状、この後輩に異性として惹かれていることを自覚する。自覚したところで、彼女に特定の恋人がいる可能性は否めないし、会社の同僚という関係性もあるので、いきなりどうこうすることもできないのだが。

「ごちそうさまでした。すみません、全部出していただいてしまって。ステーキ食べすぎましたよね……」
「ハハ。確かにええ食いっぷりやったな」
「すみません……!」
「ええって。俺もまあまあ高い酒飲んでるし」

 そんな会話をしながら、徒歩で六本木駅に向かう。二月の夜風が、アルコールで火照った身体を冷ましてくれる。ただ、彼女は少し首元が寒そうな様子だ。駅まではまだ少し距離がある。

「寒い?」
「……大丈夫です。あと十分くらいなら耐えられます」
「それ、寒いってことやろ」
「あ」
「これ、使い」

 マフラーを外して彼女の首に巻きつける。この感じ、何や金ちゃん世話しとるみたいやな、と遥か遠い昔の記憶が甦った。勿論、彼女の方が、圧倒的に扱いやすいのだが。

「……ありがとうございます」

 あまり何も考えずにマフラーを貸してしまったのだが、そう礼を言う彼女の表情を見て、気づいてしまった。すっかり真っ赤に染まっている頬と耳。この赤さは、寒いからだけちゃうやろ。その表情を見て、俺の方が年甲斐もなく照れてしまった。この反応は――ひょっとして、ひょっとするんかもしれへんな。そう思ったら、少しだけ攻め込んでみたい欲が生まれる。

「なぁ」
「……何ですか?」
「……今日の映画やけど」

 そう切り出すと、俺のマフラーを巻いたまま隣を歩く彼女の肩が、ぴくっと動く。

「……おもろかったな」
「……そうですね」

 それから、六本木の駅に着くまで、彼女との会話は無くなった。その沈黙がどこか心地よかった。

2023.10.31