四月中旬の土曜日、図書館で私はとある資格の参考書とにらめっこしていた。社会人四年目となって、今年度中に会社として取得が奨励されている資格がある。そのことを白石さんに話したら「あ、それ俺も四年目の時取ったやつや。ちゃんと勉強すれば誰でも受かるけど、勉強せえへんかったら、まぐれで受かることはまず無い試験やで」と言われ、休みの日にコツコツと勉強することにしたのだ。
午前中の図書館は意外と空いていた。早起きは三文の徳。頑張って勉強しよう。窓際の席に座り、勉強に集中していると。
「――あれ、何でおるん?」
「えっ」
ふと聞き慣れた声に顔を上げると、そこにはすっかり見慣れた、整ったご尊顔が。
「白石さん、何で」
「いや、休みの日、まあまあの頻度でここの図書館来てんけど。ここで支倉さんと会うんは初やな」
そういう白石さんは、コーヒーを片手に自然に私の隣の席に座った。この並びは会社のデスクと一緒だ。
「私はここ、初めて来たんです。例の資格の勉強しようと思って」
「へえ、偉いやん」
「白石さんは、読書ですか?」
「まあ、そんなとこや」
そんな彼のもう片方の手には、マーケティング関連の本が数冊。白石さん、休みの日も、仕事に関する知識を深めているのか。そう思ったら、先輩として本当に尊敬に値する。白石さんの会社での評価は非常に高い。目上の人からも頼られ、私のような後輩からも慕われている。それは、きっとこういう見えないところの努力の賜物なのだろう。
「っと、スマン、勉強中やったな。邪魔してもうた」
「いえ、ちょうどわからない問題で躓いていたので」
「なるほどな。俺でよかったら、勉強見たるけど」
「良いんですか!? ご自身の読書は……」
「なぁ知っとる? 図書館ってな、本を借りることができるんやで」
そんな日本国民全員が知ってそうな事実を彼は述べると、そのまま椅子をこちらに近づけて、「どこ?」と私の手元の参考書とノートを覗き込む。ふと、いつか借りたマフラーと同じ香りが鼻を抜けていって、心臓が跳ねた。白石さん、ちょっと、距離近くないですか……!? 動揺している私に気づいていないのか、それとも気づいていてわざと無視しているのか、白石さんはそんなこと気にも止めずに、「あー、これ慣れてへんとようわからんよな」なんて言う。
三月の、合コンを断って一緒に残業をしたあの日から、白石さんとの関係は少し変わったように思う。もちろん大尊敬する先輩であることには変わらないし、仕事上の変化は特にない。ただ、仕事を少し離れたときや、私達しか周りにいない時――勘違い、で、なければ。白石さんも、私と同じ気持ちを、私に向けてくれているのかもしれないな、と思うことが、増えてきた。いや、でも何で私!? やっぱり私の勘違いなのでは。そんなループから抜け出せずにいる。
白石さんは、仕事も教えるのも上手だけれど、こういう資格の勉強を教えるのも上手なようだ。さっきまで訳のわからなかった問題が、白石さんのおかげでまともに解けるようになってきた。
「もう、大丈夫そうやな」
「はい。白石さんのおかげです」
達成感から頬が緩んだまま白石さんにそう伝えると、白石さんは少し照れたように「ハハ、どういたしまして」と眉を下げて微笑んだ。
「……っと。もう昼過ぎてるんやな。キミはいつまでここにおるん?」
「特に決めてなかったです。夕方、表参道でヘアサロンの予約入れてるんですけど、それに間に合えば何でもいいかなって」
「そうなんや。ほんなら、一緒に昼メシ行く? この前残業付き合うてもろたお礼もまだできてへんし。おごるで」
「良いんですか? いつもご馳走になってばっかりで……」
「ええねん。俺も、新入社員の頃から今でも、先輩方にはたくさんおごってもろてるし。その分後輩に恩送りや。支倉さんも、後輩できたら、そうしてくれたら嬉しいねんけど」
「はい。そうします」
「ん。ええ返事や。ほな行こか。あ、せやけど、その前に本の貸出手続きだけ付き合うてな」
*
図書館の近くは隠れ家的なオシャレなカフェやレストランが意外とたくさんあって、私達はそのうちの一つに入ることにした。土曜日、午後一時半。少し遅めのランチなので、お店の中は落ち着いていた。
白石さんとごはんを食べたことは何度かあったけれど、私服の白石さんとごはんを食べるのは初めてだった。白い無地のTシャツに、黒いパンツに、スニーカー。こういうシンプルな格好でとても決まってしまうから、やっぱりこの人はその容姿に恵まれているのだな、と感じる。そして、いつもは先輩として尊敬しているから遠い存在に思ってしまいがちだけど、こういう服装をしていると、白石さんは、休みの日は友達と遊んだり、彼女とデートしたりする、いたって普通の二十代の男性なのだ、とも。
「白石さんは、今日この後はご予定あるんですか?」
「夜は、誕生会やな」
「へえ、誕生会。どなたかお誕生日なんですね」
「誕生日なんは、俺」
「え!? 白石さん、お誕生日!? まさか、今日が、ですか!?」
「せや。もう二十代も残り一年になってもうたわ」
「お誕生日、おめでとうございます……!」
「ハハ。おおきに。嬉しいわ」
白石さんは、食後にお店のサービスで出てきたハーブティーを飲みながら、笑っている。そこから、話が弾んで、白石さんのプライベートが垣間見えた。どうやら白石さんは中学高校とテニスをしていて、その腕前はなんと世界大会に出場するレベルだったらしい。そして今日お誕生日をお祝いしてくれるのは、その時の合宿で同室だった、幸村さんという人と、不二さんという人のようだ。
テニスの世界大会といえば、小学生の頃、当時ファンだったアイドルのキミ様が出場していて、朝のワイドショーか何かで取り上げられていた記憶があるけれど、なんと白石さんは、そのキミ様とダブルスを組んでいたとか。目の玉が飛び出そうな話がいっぱい出てきて、やはり彼は只者ではなかったと知る。
「ま、十年以上前の話や」
そう昔を懐かしみながら微笑む白石さん。きっと充実した時間を過ごしていたのだろうな、と伝わってくる。半年以上一緒に仕事をしているけれど、こういう白石さんの過去やプライベートを聞くことは初めてで。それを知ると、さらに彼の魅力が深まった気がした。
2023.11.1