翌朝目が覚めると、白石さんはすっかりいつものスーツ姿で、部屋のポットで淹れたコーヒーを片手に、本を読んでいた。花火大会は土曜日で、今日は日曜日、基本的には東京に帰るだけだ。
「……起きたん?」
「……はい。おはようございます」
「おはようさん。俺はもう準備終わってるから、ユニットバス好きに使って朝の準備しぃや」
そんな指示に従って、身体を起こして、なるべく急いで朝の支度をした。ただ、朝の支度をしながらも、昨夜起きたことが、頭から離れない。
――私、白石さんと、キス、したんだよね。
あまりに現実離れした甘い夜。いつか白石さんと行った試写会で見た映画を思い出した。白石さんはどんなキスをするのだろう、なんてふわっと考えてみたものだけど、何とその答えを知ってしまった。
ジャケットとスカートに着替えて、メイクをして、いつもの状態で白石さんの前に姿を現す。白石さんはその間にキレイにベッドメイクをし直して、その上に腰掛けていた。
「……準備終わったんやな」
「はい、お待たせしました」
「すっぴんも可愛かってんけど」
白石さんはそんなことを言うので、また昨夜を思い出してしまった。ただ、私達はお互いの想いを伝え合ったけれど――付き合おうとか、そういう言葉は特に交わしていない。この関係性は、どうなってしまうのだろう。そんな私の不安を、白石さんはきっとすでに予測済だった。
「……今日、東京帰る前にちょお時間くれへん? 大事な話があんねん」
*
在来線に乗って、新幹線の駅へと向かう。さすがに新幹線が通る駅まで戻ると、大都会だ。話を聞けば、白石さんは、今日と明日月曜の振休を使って、大阪に帰省されるそうだ。なので、私達はここで一旦お別れになる。
素泊まりだったのもあり、私達は朝食を摂っていない。また私はアプリでお店を探して、ブランチにちょうど良い駅近のカフェをサクッと予約した。
こんなに緊張しながらエッグベネディクトを食べたことが、かつてあっただろうか。きっと大事な話をされるとしたら、今だ。
「改めて、やけど」
白石さんはそう切り出した。
「……俺は支倉さんが好きや。振り返ると忘年会あたりからもう好きやったんちゃうかな。自覚したんはもっと後やけど」
「忘年会……! 思ったより前でびっくりしました」
「ハハ。せやろ。昨日は言葉もそこそこに、その……行動の方に出てもうてスマンかったな」
「……いえ。その、嬉しかったです。私も白石さんのことが、ずっと好きだったので……」
「……おおきに。それで、俺達のこれからのことやけど」
白石さんは、そう前置きするので、少し怖くなった。次にどんな言葉が来るんだろう。
「俺は、キミと想いが通じ合った今、将来をちゃんと見据えてお付き合いしたいと思ってる」
「……白石さん」
「今すぐ返事せんでええから、その代わりしっかり考えてほしい。俺、来年あたり異動やし。支倉さんが支社から本社に来たように、俺も次、どこへ行くか分からへん。海外の可能性もある。そしたら、キミのキャリアや人生設計にも少なからず影響が出るやろ」
「……はい」
「俺は支倉さんのことが女性として好きやけど、キミの仕事を一番近いところで見てきて、後輩としても可愛がってんねん。せやから、キミのこれからの成長が楽しみやし、俺がその足枷になるって思うんやったら、忖度せず断ってほしい」
「……」
「ちなみに、俺の本音は、もし俺が海外転勤なったら『着いてきてほしい』やけどな。さて、俺の気持ちは伝えたで。――キミの答えが出るまで、ゆっくり待ってるわ」
*
白石さんから告白をされてから、ずっと考えていた。大人になると『好き』という気持ちだけで付き合えなくなってしまうのか。ただ、白石さんも白石さんで、私の将来のことを考えた結果なのだろう。女心としては、もっと強引でもいいのに、と物足りなさを感じつつも、一方で、白石さんらしい告白すぎて、納得せざるを得ない。
仕事は楽しい。白石さんのおかげで、もっと仕事が好きになった。ただ――やっぱり、私は。
「スマン、遅なってもうた」
「大丈夫です」
金曜日、私達は仕事が終わった後、会社から少し離れたところで待ち合わせをした。白石さんには、事前に伝えてある。一週間真剣に考えた結果、今日、お返事がしたい、と。
まずは、一緒に夕ごはんを食べて、軽くお酒を飲んで。ただ、その時の会話の中では、お互いに核心に触れないまま。
食事を終えた後、私達はそのまま夜の東京の街を散歩した。職場の浜松町から少し歩くと、東京タワーがよく見える芝公園。隣を歩く白石さんの手に触れたくて、でも、彼女でもないのに、その資格はなくて。何だか胸がきゅうっと苦しくなった。やっぱり、私は、それだけ白石さんのことが、好きみたいだ。
「おっと、貸切みたいや」
私達以外誰もいない芝公園のベンチに、並んで座る。都心のはずなのに、そこは落ち着いていて、かねてから好きな場所だ。今日は私から白石さんにお返事をする日。小さく深呼吸して、改めて白石さんの顔を見つめる。
「白石さん。先日はありがとうございました」
「……ん。どういたしまして」
「私、日曜から今日まで、ずっと考えてたんですけど。――仕事は楽しくて。これからも続けられる限り、続けていきたいって思ってます」
そう伝えると、白石さんは優しく微笑みながら、無言で頷く。
「仕事がこんなに楽しいって思えたのは、白石さんのおかげなんです。支社の時も楽しかったですが、広告宣伝部に来て、白石さんとたくさんお仕事させていただいて。時にはご指導も頂いて。大変なこともたくさんありましたけど、その分充実感もあって。本当に感謝してます」
「そうか。おおきに」
「……はい。白石さんに好きっておっしゃっていただけてすごく嬉しくて。『好き』って気持ちだけでは付き合えないのかな、って最初は疑問でしたけど、考えれば考えるほど、白石さんが意図してることがよくわかりました。白石さんも、私も、仕事が大好きだから。でも私は――仕事を好きになるきっかけをくださった白石さんのことが、やっぱり一番好きなんです」
そう伝えると、白石さんは隣で驚いたような顔をしていた。あれ、もしかして振られるって思っていたのかな。そんなわけないのに。伝え方悪かったな。
「私にとっては、白石さんが、心から尊敬する先輩ですし、この世で一番好きな人なので……白石さんと一緒にこれからの人生を歩んでいきたいです。キャリアのことは正直これからどうなるか分かりませんけど、白石さんは、ちゃんと相談して二人にとって一番良い選択肢考えてくださる方だって思ってます。なので、その……お気持ちが、一週間前とお変わりなければ、よろしくお願いします」
何だか照れてきてしまい、顔が熱い。祈るような気持ちでそう伝えると、白石さんは、安心したように微笑んだ。
「……よかった。振られへんくて」
「振るわけないじゃないですか……」
「――ほんなら、ちゃんと言わせてな」
白石さんは、ふぅ、と小さく息を吐くと、とても真剣な瞳でこちらを見つめ、そして、言う。
「支倉さん。俺と、結婚を前提に、付き合ってください」
そんな言葉に、胸が震える。
はい、と返事をした瞬間、頬を水滴が伝っていった。私、泣いてるのかも。そう気づいた時には、すでに白石さんの腕の中にいる。
「俺を選んでくれて、ありがとう」
「……こちらこそです」
そのまま少し白石さんの腕が緩められたかと思うと、彼の右手の手のひらが、私の左頬を包む。そのまま、まるでそうあることが当然かのように、彼の端正な顔が少し傾けられ、そしてまた唇が重なった。
触れるだけのそれが離れ、反射的に閉じた目を開けると、私のぼやけた視界の後ろに東京タワーが見える。そういえば、ここは外で、思いっきり公共の場であることを思い出した。
「……っ、白石さん、ここ外ですよ⁉︎」
「ダメやった?」
「……ダメ、じゃないですけど。万一、誰かに見られたら恥ずかしいです」
「なるほど。ほな、二人きりやったらええの?」
白石さんは、少し意地悪そうな顔でそんなことを聞いてくる。ああ、もう、そういうのずるいなぁ。首を縦に振るしかない。
「……先に謝っとくな」
「?」
「……今日は、家、帰せへんと思うわ」
そんな言葉に、身体中が熱くなる。でも、白石さんとだったら。
「――明日は土曜日だから、大丈夫です」
そう答えた声は恥ずかしさのあまり少し震えてしまったけれど、白石さんはその言葉をトリガーに、ベンチから立ち上がり、座ったままの私の手を取り立ち上がらせると、そのまま、指を絡めた。
Fin.
2023.11.3