三月に行った新商品の大規模プロモーションが上手くいった。それを受けて、この商品をもっと売り上げて、将来的には看板商品に仲間入りさせようという気流が高まる社内。その結果、今回の大規模プロモーションからは外れてしまった地域、要は東名阪以外の地方都市向けプロモーション施策を打ち、全国的に認知度を上げる戦略が立てられ、その実務の主担当は私となった。
「私で大丈夫なんですかね……⁉︎」
「もう四年目やし、広告宣伝部来て半年以上経っとるし、そろそろ一人立ちやな。可愛い子には旅をさせよって言うやろ?」
「……うう、今からお腹痛いです」
「大丈夫や。しっかりサポートしたるから、キミの思うようにやってみ」
すっかり快復した白石さんにそうアドバイスを頂いて、私なりに企画書を作り、予算を取り、RFPを作って複数代理店向けにコンペを行った。コンペには次長・主任・白石さんにも同席してもらって、四人で検討し、代理店を選定。その代理店が出してきた案のうちの一つが、地方都市でのお祭りやイベントでのサンプリングだった。
「おっ、しばらく出張三昧やな。お土産楽しみにしてるで」
「いやいや、そんな気楽なものじゃないですよ……社運かかってますもん」
「相変わらず責任感の塊やな。もっと気ィ抜きや。気ィ抜きすぎはあかんけど、支倉さんの場合は張り詰めすぎや」
そう言う白石さんは、ため息混じりに人差し指で私の眉間をつつく。どうやら皺が寄っていたみたいだ。気をつけないと。ただ、責任感の塊なのは、白石さん一緒だと思うけど。そんな私たちの会話を見守っていた次長が言う。
「まあ、支倉さんにとっては、こんなに大きな案件の主担当は初めてだし、最初の出張くらいは白石君も一緒に着いて行ってもらえないかな。一度白石君と出張しておけば、彼女も見て学んで、次のイベントからは一人で対応できるだろうし」
「え、俺――やなかった、私もですか?」
「よろしく頼むよ」
「は、ハイ」
そんなわけで、白石さんとの出張が決まった六月。代理店さんからは、まず第一弾として、とある地方都市での花火大会でのサンプリングを提案された。弊社の新商品と一緒に、その新商品のCMに出てもらっているタレントを起用したうちわを配ることで、タレントのファンを中心に認知度を上げる作戦だ。今のこのネットの発達した時代には考えられないくらいの地上戦だけれど、こういう泥臭い施策が結局一番功を奏するもの、と次長はおっしゃっていたから、きっとそうなのだろう。
「ほな、すまんけど、俺の分も、総務に出張手配頼んでもらってもええかな」
少し戸惑ったような様子だった白石さんも、腹を決めたのか、そのように私に指示をした。
*
新幹線に乗って、在来線に乗り換えて、たどり着いたその街。花火大会は夜からのスタートだけれど、夕方時点で、この街には似つかわしくないくらいの人出だ。駅前から続くアーケード街は、浴衣姿の人達で波のように揺れていた。ただ、私自身は、会社のロゴが入ったポロシャツにスーツのスカートという、完全に仕事モードのスタイルである。
「今日はこの辺りでサンプリングをします。こちらでアルバイトを雇っていますので、お二方は適宜写真撮影したり、御社で必要な記録を残していただければ大丈夫です。弊社でも、もちろん報告書は作りますが」
代理店の担当さんはそう言うけれど、それだと何のために出張したかわからない。生のお客様の声に触れられるせっかくのチャンスなのに。そう思ったのとほぼ同時に、隣にいる白石さんの方がそんな意見を声にしていた。
「有難い話ではあるんですけど、せっかくやし、我々もスタッフとしてサンプリングさせてもらえませんか? お客様の声に触れられるええ機会なんで」
「えっ、いや、そんな、逆に良いのでしょうか?」
「ぜひお願いします」
「そこまでおっしゃるなら、こちらこそ、ぜひお願いします」
というわけで、駅と花火大会の会場となる川を結ぶアーケード街で、白石さんと私は、うちわサンプリングを開始した。白石さんも同じポロシャツを着ているはずなのに、なぜかこのポロシャツが、オシャレな服に見えて来てしまうから不思議だ。白石さんのもとには、予想はしていたけれど――やはり高校生や大学生くらいの女の子が群がって、うちわをもらいに来ていた。女の子たちは、うちわや弊社の新商品なんてどうでもよくて、きっと白石さんとお話したいだけ。白石さんは、普段は女性に絡まれるのを得意としていないけれど、今は仕事モードのスイッチが入っているようで、その容姿をふんだんに活用し「花火大会もええけど、うちの新商品もよろしゅう頼むで」なんて女の子たちに爽やかに笑いかけている。
私も私で、そんな白石さんを尻目に、ちゃんとサンプリングは行っている。足を止めてくれるのは年配のご夫婦などが多く、「お仕事偉いわねえ」とか「お嬢ちゃん、せっかくの花火なのに仕事かい?」なんて優しく声をかけてもらえると、サンプリングしているのはこちらなのに、私の方がたくさん温かいものを受け取ってしまう。そんな調子だったから、ふと同世代の男性二人組にも、性善説で対応してしまったのだ。
「よかったら、新商品とうちわをどうぞ」
営業スマイル全開でサンプリングの袋を渡すと、その二人は私を見るなり「おねーさん、可愛いね」なんて下心全開の笑顔を浮かべたので、本能的に危機を感じた。
「バイトなんかサボって、俺達と花火見ようぜ」
「えっ、バイト……⁉︎」
バイトじゃなくて、この新商品を販売する会社の社員なのですが。そんな言い訳をする間も無く、気安く腰に手を回されたので、身の毛がよだつ。えっ怖! でもここで騒ぐと、会社や代理店さんに迷惑がかかるかもしれない。判断に困っていると、ふと声が降ってくる。
「恐れ入りますが、その女性は弊社の社員なので、離してもらえませんか?」
言葉遣いこそ丁寧だけれど、その何とも言えない言葉の圧に、男性二人は顔を青くする。向こうのほうで女の子に囲まれていたはずの白石さんが、助けに来てくれた。
「……お仕事中、失礼しました〜……」
男性二人組は、その白石さんの綺麗すぎる笑顔に恐怖したのか、そのまま足早に去っていく。その背中を見送ると、白石さんはため息をついた。
「助けてくださって、ありがとうございました」
「……。あんまり愛想振りまきすぎるのも考えもんやな」
白石さんは、何かすっきりしないような表情をしている。そして彼は、私の耳元で、こんなことを私にだけ聞こえるように囁いたので、心臓がギュンッと掴まれたような感覚になった。「お願いやから、自分が可愛いっちゅうこと自覚して、危機感持ってや」と。
*
無事サンプリングイベントが終わり、代理店の皆さんと花火大会を堪能し、その後の飲み会まで堪能する。そんな中で、代理店の担当さんのうちの一人がふいに問うた。
「そういえばお二人は今日どちら泊まるんでしたっけ?」
「総務に手配してもらったのは、駅近くのホテルですけど……」
「もしかしてそれって――って名前のところじゃないですか?」
と、代理店の人が具体的に出したホテル名称。仕事で来ているかぎり、遊びではないので、寝れればどこでも良い。だから、どこに泊まるかなんて、正直全然気にしていなかった。社用スマホで手配してもらったホテルの名前を確認すると、確かにそこだ。
「はい。そこですけど、何かあるんですか?」
「……これからそこに泊まる人に言う話じゃないかもしれませんけど、ここ、出るって有名で」
「え、出る、って、その、何が……?」
「それ、言ったほうが良いです……?」
「あ、いや、やっぱり聞きたくないです……!」
「まあ、出るって言っても、決まった部屋にしか出ないらしいんで大丈夫じゃないですかね」
「ははは……」
そんな話で一盛り上がりしてしまったものだから、ホテルのチェックインは緊張した。隣を歩く白石さんは「非科学的な話やし、そない気にせんほうがええと思うで」と冷静だ。白石さんって結構リアリストだよね。と思いながら、ロビーでチェックインをする。会社が用意してくれたのは、シングル二部屋。もらったカードキーは、番号は離れているけれど、同じフロアだった。エレベーターを上がり、私たちが泊まるフロアのエレベーターホールにたどり着く。
「……今日一日、ほんまにお疲れさん」
「お疲れ様でした」
「サンプリングイベント、予定数の115%、配れたらしいで。後はうちわに仕込んだQRコードにどれだけアクセスしてくれるかやけど、まずはこれだけ配布できたこと、めちゃくちゃ良かったと思うで。よう頑張ったな」
エレベーターホールで白石さんはそう褒めてくれて、お酒が回っているのも相まって、また涙腺が緩んでしまう。さすがに今日は泣かないけれど、瞳が潤んだのを感じた。今日まで主担当として精一杯準備して頑張ってきたことが、報われた気がしたのだ。
「……ほな、また明日。おやすみ」
白石さんはそう私の頭を優しく撫でて、彼の部屋のある方へと向かっていく。触れられた感触がやけに残って、どきどきしてしまった。こういう時、やっぱり白石さんに恋をしてしまっているな、と改めて自覚する。
さて、私も早く部屋で身体を休めなくちゃ。自分のカードキーをかざして、部屋の中に入った。
*
ピンポンピンポンピンポン。もう夜中と言っても良い時間帯だというのに、けたたましく呼び鈴が鳴った。何や、こんな夜中に。悪戯か? そう思いながらホテルの部屋のドアを開けると、そこには先ほど「おやすみ」と言って別れたばかりの後輩の姿がある。
「どないしたん、支倉さん……って、何や、泣きそうやん!?」
「あ、あのっ、その……部屋が……」
「部屋が、どないしたん」
「……私、『出る』部屋、引いちゃいました」
「え」
さっき酔っぱらった代理店の担当者が言っていた、よくわからない噂。話半分でしか聞いていなかったが、目の前の彼女がこんなに動揺した様子なのだから、何かあったに違いない。
「……まず、廊下で話すと他のお客さんに迷惑やから、一旦こっち入り」
「はい、すみません……」
「あと、何があったんか話せる? ゆっくりでええから、話してみ」
とはいえ狭いシングルの部屋だ。セミダブルのベッドに彼女に腰かけてもらい、その隣に俺も座る。彼女は俺を信頼して頼ってきてくれている。そのはずなのに、不謹慎な感情が心をよぎるのを感じ、慌てて深呼吸をした。
「……まず、部屋に入った瞬間から『あれ?』って感じで……。さっき変な話聞いたから気のせいかな、って思って、なるべく気にせず過ごそうと思ったんですけど、やっぱり気になっちゃって。試しにネットで調べてみたんです。出る部屋が自分の部屋じゃないってわかったら、安心できるって思って。でも、そしたら……出てきた部屋番号が、見事に……」
彼女はなんとかそこまで言葉にしたけれど、その続きを紡げずに黙って震えている。正直そんなん噂やろ、と思うが、彼女は本気で怖がっている手前、頭ごなしに否定するのも可哀想だ。とりあえずスマホで調べた情報見せてや、と頼むと、彼女は私用スマホの画面を俺に見せてきた。
その掲示板のスレッドタイトルは「ガチでやばいホテル」というようなもので、確かにそのスレッドの中に俺達が泊まっているホテルの、彼女の部屋番号が載っている。そこまではただの噂だと思っていたのだが、その部屋で起きた事件については、なんと当時の地方新聞記事が残っており、ご丁寧にスクショが添付されていた。そして、その事件の内容が――うわ、これ、俺も結構無理やねんけど。エグすぎん? 幽霊が出るとかそんなことよりも、起きた出来事の方が猟奇的すぎて、そんなことが起こった部屋に自分が宿泊することも、彼女を宿泊させることも、憚られた。
「……っと、こら、なかなかに衝撃的やな。部屋変えてもらえへんかフロントに聞いてみぃひん?」
「……そうですね……すみません、お電話借りても良いですか?」
「ええよ。俺がかけたるから、水でも飲んで休んどき」
部屋に置かれていたウェルカムドリンク代わりのミネラルウォーターを彼女に渡すと、部屋に備え付けの電話で、フロントに電話をかける。
「会社で二部屋シングルで抑えてると思いますが、片方の部屋、違う部屋に変えていただくことって可能ですか?」
そう問うと、フロントの担当者が一瞬すうっと息を呑んだので、これガチのやつやん、と悟る。少々お待ちください、という前置きのあと、三十秒くらい経っただろうか、電話口に戻ってきた担当者は言う。
『あいにく本日、花火大会の影響で満室でして。部屋の変更ができず申し訳ございません』
「ダブルとかトリプルとか他の部屋も、全部埋まってるってことですか?」
『はい。そちらも含めて全て満室です。近隣のホテルもおそらく同じ状況かと……』
電話口の担当者は本当に申し訳なさそうな声色なので、おそらく満室でさえなければ、スッと部屋を交換してくれたに違いない。やっぱり、彼女の部屋は――。
「満室、やて。花火大会の影響で、他のホテルも望みないらしいわ」
「そうですよね……どうしよう……近くに朝まで開いてるカラオケとか、カプセルホテルもなさそうだし……」
「俺が、支倉さんの部屋移ろか?」
「えっ、ダメですよ! 絶対やばいですもん……それに、」
彼女は俺のシャツの袖をクイっと引っ張りながら、涙目で「一人にされるの、ちょっと怖いです」とこちらを見上げる。……。思わず脳内で素数を数え、理性を総動員し、何とか耐えた。
「……とりあえず、一旦支倉さんの部屋から急いで二人で荷物取ってこよな。こうなった以上、今日キミが寝る場所はこのベッドや。俺は床にでも転がっとくわ」
「えっ、それなら私が床で寝ます!」
「ダメや。女の子は身体冷やしたらあかん。ちゃんと布団にくるまって寝なさい」
「そんなこと言ったら、白石さんだって床だと身体冷えちゃいますよ。固くて疲れも取れないし」
「男はどーにでもなんねん。それとも何? 二人でベッドで寝たいっちゅーこと?」
そうわざとらしく言うと、彼女はゆでだこのように顔を赤らめる。ほら、こうやって言えば断るしかないやろ? そしたら、俺が床で寝て――と考えていたのに、彼女の回答は予想外だった。
「……白石さんとだったら、私は大丈夫です」
「は」
「白石さんは嫌かもしれないですけど! 白石さんさえ良ければ、私は二人でベッドで寝るのでも大丈夫です。幸いベッドサイズはセミダブルみたいですし……」
――キミ、あかんで、そんなん言うたら。
俺、聖人君子やのうて、ただの男やねんで。
*
白石さんに付き添ってもらって、なんとか元の部屋から荷物を回収して、再び白石さんの部屋に戻る。まさか、白石さんと同じ部屋で一晩過ごすことになるとは思わなかった。ただ、どうしても元の部屋に戻る気は起きないので、白石さんのご厚意に甘えることとする。白石さんの部屋は元々の部屋とほぼ対角線なので、例の部屋からも遠く、安心だ。同じホテルの部屋とは思えないほど、白石さんの部屋はいたって普通だった。
お互いにシャワーを済ませて、部屋の備え付けの白いガウンをお揃いで身につけ、ベッドに入る。白石さんは部屋の照明をベッドのサイドライトのみに絞った。薄暗い部屋の中、オレンジの温かい光が、申し訳程度に部屋を照らす。さっきから、ずっと心臓の音がうるさい。
「……もう、怖ない?」
「……はい。白石さんがいてくださるので、今は大丈夫です」
「ハハ。さよか」
お互いセミダブルベッドに横になり、向かいあったままそんな会話をする。私は死ぬほどどきどきしているけれど、白石さんはいつもとあまり変わらない様子だ。と思っていたのに。
「おいで」
白石さんはそう言うと、ベッドの中で私の身体をすっぽりと抱きしめた。え。え。どういうこと!?白石さんの鍛えられた腕が、私の背にまわり、白石さんと私を隔てるのは、ガウンの布一枚だけ。布越しに白石さんの体温や硬い筋肉を感じて、一気に身体が燃え上がるように熱くなる。
「……なぁ、さっき、俺とやったら、ベッドで二人で寝ても大丈夫や言うたやろ」
「……はい」
「それって、どっちの意味? 俺のことは異性として見てへんし、俺もキミに何もせんと思ってるから大丈夫やってこと? それとも、」
俺にやったら、こういうことされてもええって思ったっちゅうこと――?
白石さんは信じられないくらいに甘くて艶やかな声色でそう言うと、私の髪を一房、人差し指で掬い、なんと、そこに唇を落とした。白石さん、今、私の髪にキスした……? ただ、好きな人にキスをされたのだ、全く嫌な気持ちになんてならなくて、むしろシチュエーションも相まって、胸の奥がきゅっと疼く。もっと触れてほしい、なんて思ってしまって。
「……そない物欲しそうな顔せんといてや。今度はここに、ちゅーしてまうで」
白石さんは、いつもの優しい瞳ではなく、熱を孕んだ本能的な瞳で射抜くようにこちらを見つめ、そしてその人差し指で私の唇に触れた。私が黙って頷くと、断られると思っていたのか、白石さんは驚いたように目を見開く。
「……大丈夫です。白石さん、なので」
そう答えた声は、緊張のせいか想像以上に震えていたけれど、彼にはしっかり届いていたようだ。まさかこんな形で告白することになろうとは思わなかったけれど、彼はその私の声を聞くやいなや、もう一度私をベッドの中で強く抱きしめる。
「なぁ、それ反則やで」
「白石さ、」
「――好きや」
そう耳元で囁かれたかと思うと、そのまま私に覆いかぶさった白石さんから、額、鼻、頬、耳、首筋と、次々に優しいキスの雨が降ってきて、思わず目をきゅっと閉じた。優しく肌に触れる白石さんの唇がくすぐったいのに、次第にそれは甘やかな快感へと変わっていく。
そしてたくさんの雨が降った後、やっと彼の唇が、待ち侘びた場所に触れた。それをトリガーに、私たちはひたすらに、夢中で唇を、舌を、呼吸を、重ね合っていた。
2023.11.2