年末、広告宣伝部全体で忘年会が行われることになった。年次的に下から数えたほうが圧倒的に早い私は、同じく他のチームの若手社員たちと一緒に幹事を務めることとなった。ただ、支社勤務時代に飲み会の幹事のお作法については叩き込まれたので、このあたりは慣れている。お店選びに、乾杯の挨拶の依頼等々。
部は全体で三、四十人ほどだ。忘年会当日もほとんどの社員が参加をしたので、サラリーマンの聖地・新橋の中でも少し高級めな居酒屋のフロアを貸し切った。滞りなく進行する忘年会に、上司や先輩たちから「支倉さん、準備ありがとう!」と声をかけられては、グラスにビールが注がれていく。
「いえいえ、みなさんに楽しんでいただけて幹事一同ほっとしています……!」
「ハハ。そんな固くならなくていいよ。乾杯!」
こんなやりとりをもう何回繰り返しただろう。そんなにお酒に強い方ではないけれど、せっかく注いでもらったお酒を飲まないのもな、なんて思い、いつもより早いペースでビールを飲み続けていた。学生の頃はビールは苦くて苦手だったはずなのに、社会人になるとちゃんと付き合い程度には飲めるようになってしまうのはなぜだろう。これが大人になるということなのかな。
でも、さすがに頭が少しぼーっとしてきたし、胃も少し気持ち悪い。幹事をしていると、食べ物を食べる時間がなくて、空きっ腹にお酒ばかり注ぎ込んでいるからだろうか。せめて、お水かお茶でも飲んだほうがいいかも。そんなふうに思っているのに、今度はまた違う上司がやってきて、またビールを注がれる。
決して、上司や先輩たちがアルコールハラスメントをしてきているわけではない。全然断っても良いのだ。そういう雰囲気のある会社だ。ただ、元々支社時代に接待(する側)をたくさん経験してきた中で、お酒を飲んだほうが、その場の雰囲気が盛り上がるというか、空気を崩さないというか、そんな気がして、私はできるかぎりお酒を飲むことを選択したかったのだ。あ、でも、やっぱり、そろそろ無理かも――。そんな時だ。
「お疲れさん」
「……し、らいしさん」
「ちょ、呂律回ってへんやん……」
少し呆れた顔をした白石さんは、そう言いながらお水の入ったグラスを持たせてくれた。そして、周りに聞こえないくらいの小声で言う。
「水、飲んどき。無理しとんのやろ」
「へ……ばれてたんですか、隠してたつもりなのに」
「そら、毎日顔見とったらわかるで。あとそんな飲めへんのやったら、ちゃんと断りなさい」
「すみません……せっかく頂いたお酒だったので」
「ま、確かに気持ちはわからんでもないけどなぁ」
そう白石さんは眉を下げて笑うと、私の隣に腰を下ろす。白石さんがこちらのテーブルに移動してきたことで、同じテーブルにいた人たちが盛り上がる。
「白石さん! 待ってました!」
「白石君。ぜひ話したいと思ってたんだよ」
「ほんまですか? ありがとうございます」
白石さんは人気者だ。部の誰もが彼を慕い、信頼している。まだ六年目なのに、本当にすごい。ぼーっとする頭で、白石さんと他の社員たちの会話を聞きながら、彼に対する尊敬の気持ちを強くする。
「支倉さんも白石君みたいな先輩のもとで働けて本当にラッキーだな! 彼からたくさん仕事の仕方を盗むといい」
そう別のチームの次長から話しかけられ、本当にその通りだと思ったので、「はい、本当にラッキーです。白石さんの直属の後輩になれて学ぶことばかりで、感謝の気持ちでいっぱいです」と若干呂律の回らないまま答えると、白石さんは「褒めすぎや」なんて言いながらも、じーんとした表情をしていた。
「白石君も良い後輩を持ったな」
「ほんまに。彼女が来てくれてからめちゃくちゃ助かってます」
そんな言葉に今度は私の方がじーんと来てしまった。他チームの次長の手前、リップサービスなのかもしれないけれど、それでも嬉しい。白石さんには迷惑ばかりかけているように思っていたけれど、少しは役に立てているのかな。何だか安心したら涙腺が緩んでしまった。
「……って、え、ちょ、泣いてる!?」
「……すみません、私ずっと迷惑ばっかりかけてるって思ってたので、嬉しくて……」
そんな様子を見守っていた五年目の先輩が、「あーあー白石さんが女の子泣かせた〜」なんてわざとらしく言うと、白石さんは「ちょ、誤解されるようなこと言わんといてや!」と珍しく焦っていた。
*
「……すみません、さっきは泣いちゃって、変な空気にしてしまって……」
「はは。ええよ。支倉さん、飲んだら泣き上戸になるんやな」
「えっ、違いますよ! 今回は本当に嬉しかったから思わず泣いちゃっただけです。ただ、お恥ずかしいところをお見せしました……」
飲み会が終わって少し酔いが覚めた頃、新橋駅に向かう道すがら、白石さんとそんな話をする。冬の冷たい空気が、お酒が回って熱くなった頬を冷ましてくれて、ちょうど良い。隣の白石さんは、おもむろに、ハァとため息をつく。その息が白くなって、冬の空気に溶けていった。
「俺、もっとキミのこと褒めたらなあかんかったな。スマン」
「え!? 突然どうしたんですか?」
「さっき、キミが最大限に酔っ払っとった時、言うてたやろ。『迷惑ばっかりかけてると思ってた』って。あれがきっとキミの本心なんや思ったら、申し訳ないな思ってん」
「……へ」
「支倉さんが来てくれてから、ほんまに助かってる。迷惑やなんて思ったこと一度もあらへんよ。ほんまにこの三ヶ月、ありがとう」
白石さんは一旦立ち止まって、しっかり私の目を見てそう言ってくれたから、彼の感謝の気持ちや誠実さが、私の中に流れこむように伝わって、再びじんと心に沁み渡っていく。元々、忘れ物確認担当で一番後ろを歩いていたし、有志で二次会に行く人たちはもういなくなっているので、私たちが立ち止まると、他の社員たちからは離れて自然と二人きりになる。
「……お礼を言うのは私の方です。白石さんのもとで三ヶ月働いて、いつも優しく教えてくださって。本当は白石さんがご自身でされた方が早いことも、私の成長のためにたくさん任せてくださって。白石さんのお仕事を間近で拝見すると本当に一つ一つが勉強になって。本当に、いつもありがとうございます」
そう伝えて、一度頭を下げ、そしてもう一度頭を上げて白石さんの顔を見上げると、彼は「おおきにな」と優しく微笑んだ。
「三ヶ月前、支倉さんがうちの部に来るってイントラで知った時、どんな子が来んねやろって思っとって。支社勤務やったし、支倉さんのこと知っとる人もあんまりいてへんし。せやけど、来てくれたんが、ほんまに支倉さんで良かったわ」
「へ」
「キミは俺のこと褒めてくれるけど。俺かて、誰にでも優しくできるわけやないし、誰にでも仕事任せられへん。キミが、コツコツ真面目に仕事頑張っとるから、それやったら精一杯俺が伝えられることやったら伝えたいし、信頼して仕事任せられるなって思えるねんで」
「……白石さん」
「こういうことを素面の時にちゃんと言わなあかんかったなぁ。もっと自分の仕事に自信持ってええよ」
そんなこと言われたら、また涙腺が緩んでしまう。さっきよりは酔いは醒めているはずなのに、また瞳に水が溜まってきてしまって、瞬きするとともに頬を伝って流れていくのがわかった。
「あかん、また泣かせてもうた」
「す、すみません……嬉しくて……感動してしまって……」
慌ててハンカチを探そうと肩に掛けていた通勤バッグを下ろそうとしたのに、その涙は、なぜか白石さんの長くて綺麗な指に掬われてしまった。びっくりして、ハンカチを探すのを忘れる。そのまま白石さんはその大きな手を私の頭の上に乗せて、子どもをあやすように、ぽん、と撫でた。
「ほんまに可愛い後輩やなぁ」
「へ……」
「今年もまだ数営業日残っとるけど、来年もよろしゅう頼むで」
「は、はい! 来年もよろしくお願いします!」
「ん。ええ返事や。ほな、お互い家帰ろか」
白石さんもそれなりに酔っているのだろうか、いつもの大人っぽい微笑みとはちょっと違って、彼は私と同じただの二十代の男の子というような雰囲気で、上機嫌そうに笑っていた。
2023.9.17