第1話 梅田ダンジョン

 幼稚舎からの大親友の理沙が、中二の秋、お父様のお仕事の都合で、大阪へ転校してしまった。もちろん引越しの時は品川駅のホームまで彼女を送りに行ったのだけれど、その時、彼女は涙ながらに言った。「新幹線に乗ればすぐだし、絶対、大阪に遊びにきてね!」と。その約束を果たすために、中二から中三に上がる春休み、私はついにやってきたのだ、JR新大阪駅に。

「……降りたはいいけど、どうしよう」

 理沙との待ち合わせ場所は、JR大阪駅、グランフロント前。
 彼女は新大阪まで行こうか?と言ってくれたけど、彼女の新しい家はどうやら兵庫県にあるらしく、県を跨いで来てもらうのも申し訳ないのに、新大阪まで来てもらうわけにはいかず、大丈夫だよ、と断ってしまった。彼女は、そんな大袈裟じゃなくて、横浜や川崎に住んでる人が東京駅に出ていくようなものだよ、と笑っていたけれど。
 スマホアプリを見ながら、そして「15・16番のりばから発車する電車はすべて大阪駅に停まります」の表示を見ながら、在来線へと乗り換える。とりあえず大阪駅までは無事辿り着けそうだ。私は安心していた――ここから先が一番の難関だったというのに。

「えっ、全然わかんない……」

 JR大阪駅に降り立った私は、呆然と立ち尽くしていた。まず、改札が多すぎる。どの改札から出たら良いのだろう。東京で暮らしていると、出る改札を間違えたらもうアウトで、目的地までなかなかたどり着けないことが多々ある。だからきっとこれは改札ガチャだ。外したら最後な気がする。とはいえ、理沙との待ち合わせ時間まではまだ三十分もある。時間に余裕をみてきて正解だった。なるべく迷惑をかけないように、理沙にヘルプを求めるのは最後の手段にしよう。
 とはいえ呆然と立ち尽くしているわけにもいかないので、ネットで調べる。三階の改札から出るって書いているけど、今私の前には一階の改札しかないんですけど!? 普段一人で行動することが少ないので、自分が方向音痴だということを今知った。それこそ、理沙と遊ぶときは、道案内は理沙に頼りっきりだったし。どうしようもないので、改札ガチャが当たるかはわからないけれど、目の前にあった御堂筋口改札というのを出てみた。そして、出た瞬間に思った。多分私は改札ガチャに失敗している。
 大阪も大都会なので、その辺にはたくさん人が歩いており、道を聞こうと思えばいくらでも聞けるのだけど、なかなか勇気が出ない。せめて同世代の女の子とかだった聞きやすいのかな。あとは優しそうなお姉さんとか。きょろきょろと見渡してみるけれど、同世代の女の子は友達と連れ立って何やらおしゃべりで盛り上がっていたり、OLのお姉さんは忙しそうに颯爽と歩いていくので、なかなか話しかけられる雰囲気でもなかったりする。
 そんな時だ。不意に後ろのほうから声をかけられた。

「……もしかして、道迷っとる?」

 頭の上の方から落ちてきたその声に振り返り見上げると、そこには同い年くらいの、学ラン姿の金髪の男の子が立っていた。えっ、ヤンキー!? 今通っている氷帝にはいないタイプの男の子だ。ちょっとだけビビってしまった私に、彼は言う。

「あっ、ナンパとかそんなんちゃうから、ビビらんといて! その、自分、さっきからきょろきょろしとるから、もしかして道わからへんのとちゃうかな思って話かけてみてん」
「そうでしたか! すみません、ありがとうございます」
「あれ、標準語や」
「その東京から遊びに来てて、こっちの友達と待ち合わせてて……でも迷ってしまって」
「そうなんや。大阪、めっちゃわかりにくいよな。俺も住んでへんかったら絶対迷子やわ」

 そう言って、金髪の男の子はニカっと笑う。その笑顔がとても眩しくて、人の良さがにじみ出ていた。金髪だけでヤンキーとか思ってしまってごめんなさい。

「で、どこに行きたいん?」
「へ?」
「待ち合わせ場所、行きたいんやろ? 俺もこれから友達と待ち合わせとるんやけど、まだ時間あるさかい、案内するで」
「え、良いんですか?」
「おん。この浪速のスピードスターに任しとき!」

 浪速のスピードスター……? 何だろう、彼のあだ名なのかな。とりあえず深くは突っ込まずに、待ち合わせ場所がグランフロント前であることを告げる。

「グランフロントか。改札出るとこ間違えてもうた感じやな」
「やっぱり……」
「落ち込まんでええって。歩けばすぐやで!」

 彼はそう言うと、こっちや、とキラキラした笑顔で私を案内し始める。最初こそビビッてしまったけれど、よく見ると彼はとても整った顔をしていて、背も高くて、正直かっこよかった。こんなかっこよくて優しい男の子に案内してもらえるなんて、ラッキーだなあ。そんな彼はテニスバッグを背負っていることに気づく。テニス、するのかな。うちの中学も男子のテニス部は強くて、全国大会にも出場経験があるから、なんとなく気になってしまったのだ。グランフロントまで歩きながら、彼の方から話しかけられる。

「今日、東京から一人で来たん? 見たとこ自分、中学生くらいやろ?」
「はい。この春から中三になるんですけど。親にはちゃんと許可取って、勇気出して来ちゃいました」
「へー。俺らタメやな!」

 同い年くらいかなと思っていたけど、やっぱり同い年なのか。そんなことから敬語を外すように言われ、そのまま彼との会話を楽しんだ。どこのたこ焼きが美味しいとか、観光に行くならどこがいいとか、彼はそんなことを教えてくれて。気づいたらグランフロント前に無事辿り着いていた。

「着いたで。お疲れさん」
「案内してくれてありがとう! 本当に助かったよ」
「全然。俺もちょうど友達と待ち合わせとるのこっちの方面やったから気にせんで。ほな、大阪楽しんでな!」

 彼はそう言うと、片手を上げて、そのままその場を立ち去ってしまった。名前もわからないけれど、本当にありがたかったな。彼と過ごした時間はきっとたったの五分、十分くらいだったはずなのに、やけに彼のことが心に残る。もう一生会わないのかな。逆ナンみたいだけど、連絡先、聞いておけば良かったかな。もっと仲良くなりたかったな。そんな後悔で悶々としていたら、気づいたら理沙との約束の時間になっていた。

「迷わず来れた?」
「……それが、迷っちゃって」
「やっぱり新大阪まで行けばよかったよね。ごめんね……」

 カフェで向かいの席に座る理沙は、そう申し訳なさそうに謝った。

「ううん、大丈夫。親切な人が案内してくれたの」
「へえ、世の中捨てたもんじゃないね。それは良かった」
「うん……」
「……でも何でそんな浮かない顔してるの? せっかく親切な人が案内してくれたんでしょ?」

 そう言う理沙にさっき起きた一部始終の出来事を話す。

「それってさ、その人に一目惚れしちゃったってことなんじゃない?」
「一目惚れ!?」
「だって、かっこよかったんでしょ? 優しかったんでしょ? また会いたいなって思っちゃったんでしょ?」
「うっ、うん……」
「それって、もうその人のこと、気になりはじめてるじゃん」

 言われてみると、確かにその通りだ。え、嘘、私あの男の子に一目惚れしちゃったの!? とはいえ、名前も知らない。連絡先も知らない。強いていうならあだ名(?)が「浪速のスピードスター」ってことくらいだ。

「えー……どうしよう理沙、そんなこと言われても、もう二度と会えないよ……名前もわかんないもん」
「何か手掛かりになることないの?」
「……制服が学ランで。春から中三で。テニスバッグ背負ってて。金髪で。あだ名が『浪速のスピードスター』ってことくらい」
「最後のは結構インパクトあるね……。手掛かりは少ないけど、調べてみる価値はあるかもよ?」
「調べるって言ってもどうやって……」
「あ、そーだ、忍足くんは?」
「忍足くん? って、去年私達と同じクラスだった忍足くんのこと?」
「そーそー。忍足くんも大阪の小学校から氷帝に進学してきたじゃない? しかもテニス部だし。ダメ元で聞いてみるとか」
「確かに……! そんな仲良しだったわけじゃないけど……四月、学校始まったら恥を忍んで聞いてみようかな」
「そうしようよ。麻衣から、誰かのこと気になる~なんて話初めて聞いたから、嬉しいな。麻衣のこと好きな男子はいっぱいいるのにね」
「もう、そういうの、よそうよ……」

 久しぶりに会った理沙との会話が、まさか出会ったばかりの金髪の男の子のことで盛り上がるなんて思わなかったけれど。その後は、逆に、理沙が大阪に引っ越してから、気になっている男の子の話で盛り上がったりもして。私達は中学生らしく恋の話題に花を咲かせるのであった。

to be continued
2023.4.2