Anniversary

「謙也くんのことが、好きです……!」

 一ヶ月後に中学卒業を控えた二月のバレンタイン、後悔しないように、当たって砕けろの精神で、クラスメイトの謙也くんにチョコを渡して告白した。やさしい謙也くんのことやから、断る時もきっとやさしいんかなぁ。もう振られる前提だから、何を言われても、覚悟できていたはずなのに。

「お、れも」
「えっ」
「……俺も、ずっと好きやった。まさか先に告白されるとか全く思ってへんくて……チョコ、めっちゃ嬉しい。おおきに」

 目の前の謙也くんは、口元を手で耳まで真っ赤にしていて。振られるシミュレーションはたくさんしていたけれど、OKされる想定は全くしていなかったので、私自身も動揺しすぎて頭が真っ白になってしまった。そんな中、謙也くんは緊張した面持ちで言う。

「その、告白は先にされてもうたけど、これは先に言わせてな。――俺と付き合うてください」
「は、い、お願いします……!」

 そんなわけで謙也くんとおつきあいが始まって、一ヶ月。私たちは中学を卒業して、春休みに入った。そして、三月十七日は謙也くんのお誕生日。私たちは一ヶ月記念日と、ホワイトデーと、謙也くんのお誕生日を全部まとめて、十七日にお祝いしようと決めた。
 四月になったら私たちはそれぞれ違う高校に進学する。そして謙也くんは、高校に入った後もテニスを続けるようだから、四月からはまた部活で忙しくなるはず。そう思ったら、ゆっくり二人の時間を過ごせるのはこの春休みしかなさそうだ。だから、二人で少し遠出しようかなんて話していたのに。

「雨やん……」

 朝起きて外を見ると、土砂降りの雨。到底遠出する気分にはなれない天気だ。謙也くんとは事前に、雨の場合は、その日の朝に連絡を取り合って考えようと約束していたので、早速メッセージを打つ。

『おはよう。雨やなぁ……』

 送信ボタンを押すと、〇時きっかりに「お誕生日おめでとう」と通話した履歴の下に、私からのメッセージの吹き出しが生成された。すると、すぐに既読がついて、返信が来る。謙也くんも、もう起きてるんや。

『おはようさん。ほんまに、バケツひっくり返したような大雨やな……』
『今日はどうする?』

 そう問うと、不意にスマホに着信が。もちろん謙也くんからだ。夜中に電話したばかりだけれど、改めて少し緊張しながら通話ボタンを押す。

「け、謙也くん、おはよう……!」
『おはようさん。で、その、今日やけど』
「うん」
『俺んち来おへん?』
「えっ」

 謙也くんち!? 確かに謙也くんの家と私の家は、小学校の学区こそ違えど近所で、徒歩十分圏内だ。だから、付き合う前から、登下校が一緒になることも多くて、それがきっかけで謙也くんを好きになったのもある。ただ、さすがに謙也くんのおうちにお邪魔したことはなかった。急に緊張して、言葉が出てこない。謙也くんはそんな私の様子を察して、急に早口になる。

『あ、その、スマン、急すぎやんな! 普通にどっか梅田とか行く?』
「えっ、や、その、謙也くんちほんまに行ってもええの? お誕生日ケーキとか何も用意してへんけど……」
『全然ええよ。どうせ昼間は俺しかおらんし。白石とか翔太の友達もアポ無しでよう来とるから気にせんで』

 待って。今サラッと謙也くん、昼間『俺しかおらんし』って。ということは、謙也くんちで二人きりなん……!? ご家族がいるのも緊張するけれど、これはこれでさらに緊張するシチュエーションだ。ただ、謙也くんは『白石とか翔太の友達も』云々と宣っている。なので、きっと謙也くんには他意はなく、単純に天気が悪いから今日は自宅で、と、ただそれだけなのだろう。そう考えたら意識しているのは私だけのようで逆に恥ずかしい。

「わかった。ほんなら謙也くんちお邪魔してもええかな?」
『勿論や。ほな、十時くらいに家まで迎えに行ったらええ?』
「あ、うん……!」
『ほな、後でな!』

 いつもの明るい声で電話を切った謙也くんからは、緊張の「き」の字も感じられない。変に意識しちゃって、私の方が妄想しすぎだ。――元々謙也くんに告白したのも、私からやし。謙也くんは私のことそこまで恋愛モードで好きなわけちゃうかもやし。まだまだ友達の延長くらいかもしれへんし。うん、深く考えるのやめよ。

 午前十時。朝よりは勢いは落ち着いているけれど、やはり雨は降り続いている。わざわざ玄関先まで迎えに来てくれた謙也くんと一緒に、二人でそれぞれ傘を差しながら、謙也くんの家へ向かう。

「高校の制服買うた?」
「ううん、まだ。謙也くんは?」
「この週末やけど。ブレザー、慣れる気せえへん」
「謙也くんのブレザー新鮮やんなぁ」

 そんな当たり障りのない会話をしていたら、あっという間に謙也くんの家に着いてしまった。謙也くんのおうちを外から見たことは何度もあるけれど、中に入るのは初めてだ。

「おじゃまします」
「そない緊張せんでええで。俺しかおらんし。自分ちや思てくつろぎや」

 謙也くんはガチガチになった私を見て、いつもの調子で爽やかに笑う。いや、逆に謙也くんしかいてへんさかい緊張するねんて。とは言えない。謙也くんは、玄関で脱いだ自分のスニーカーを当たり前のようにきちんと揃えていた。一見やんちゃでこういうマナーなどに無頓着そうな謙也くんだけれど、時折見える育ちの良さにきゅんとする。そのまま濡れた傘を傘立てに預かってもらって、用意されたスリッパに履き替えて、謙也くんのお部屋のある二階へ。

「そういえば、今日はハヤブサちゃんもおるん?」
「おん。せやけど……自分、イグアナ平気か? アイツには一旦翔太の部屋にいてもろてるけど」
「生のイグアナははじめてやけど、後で会うてみたい」
「そーか! ほな、後で翔太の部屋から連れてくるわ」

 階段を上りながらそんな会話をしていると、どうやら謙也くんの部屋に辿り着いたらしい。

「ココ、俺の部屋」
「謙也くんの部屋……」
「適当に座っとって。俺、下から飲みモンとか、適当に取ってくるわ」
「あ、うん」

 そう言って部屋の主は元来た道を戻ってしまったので、私は彼の部屋に一人残された。ほんまは今頃、二人で電車乗っとるはずやってんけどなぁ。実際は、全く予想だにしていなかった場所にいる。謙也くんの部屋は、意外とすっきり片付いていた。勉強机の上には、つい先日受け取ったばかりの卒業証書が筒のまま置いてあった。それを見て、三年二組で謙也くんと出会って、ほんまに良かったなあ、なんて感謝の気持ちで胸が熱くなる。

「お待ちどおさん!」
「わっ、速っ……もう戻ってきたん!?」
「浪速のスピードスターをナメたらあかんで」

 謙也くんはなぜかキメ顔でそう言うと、トレーに乗せたコップやお菓子を、ローテーブルの上に置く。そして、部屋のドアを閉めた。謙也くんがドアを閉めたことで、謙也くんの部屋という密室に、謙也くんと私の二人きり。途端に、緊張度が増す。ただし、謙也くんは相変わらずいつもの調子だ。ここは私も、冷静に、冷静に……。

「今日は雨で残念やったけど、ま、せっかくやし二人で楽しもや」
「うん。せやな。いつも白石くんとか来たときは、何してるん?」
「まあ、ゲームか、くだらん話するか、テスト勉強か……そんな感じやな。女子はどんな感じなん?」
「あんまり変わらへんよ。基本はみんなで話しとるだけかも」
「そうなんや。ほな、俺らも今日はゆっくり話そか」
「謙也くんもゆっくりすることあるんや」
「そら、基本は何でも速いのが好きやけど……その、彼女と過ごす時間は、ちょっとでも長いほうがええやんか……」

 謙也くんの語尾が、どんどん小さくなっていく。それと同時に彼の頬が赤くなっていく。それを見て、私の方までドキドキしてしまった。謙也くんから『彼女』という単語が出てきたことに、嬉しさとともに、動揺する。私、改めて謙也くんの彼女なんや。

「そ、そうや、まず最初にな、渡さなあかんモンがあんねん。ちょお待ってや」

 謙也くんはこの緊張した空気を切り替えるようにそう言うと、何やら部屋の隅に置いてあるテニスバッグを漁り始めた。そして何かを取り出して、こちらへ戻ってくる。

「バレンタインのお返し。その……気に入ってもらえるかわからんけど」
「謙也くん、これ自分で買いに行ったん?」
「テニス部のみんなとやけどな。これは、小春にアドバイスもろて選んだんや」

 少し照れくさそうに謙也くんがローテーブルの上に追加で置いたのは、可愛らしくラッピングされたキャンディ。確かに謙也くんにしては、女子ウケを理解しすぎていて、金色くんプロデュースなのが頷ける一品だった。きっと買うときも、結構恥ずかしかったんちゃうかな。せやけど、私のために買うてきてくれたんや。そう想像すると、じわじわと嬉しさが心にしみていく。

「おおきに、謙也くん。めっちゃ嬉しい」
「おん。喜んでもらえたんやったら良かったわ」
「うん。ほんでな、私も謙也くんに渡したいものがあんねん」
「ん? 何や?」
「謙也くん、今日お誕生日やろ? ささやかやけど……誕生日プレゼント」

 私も、バッグから謙也くんへのプレゼントを取り出す。中身は、謙也くんと一緒に本屋さんに行った時に、彼が欲しそうにしていたバンドスコアだ。

「わ、何で俺の欲しいモンわかったん!?」
「謙也くん、このバンドスコア見ながらずっと欲しそうな顔しとったもん」
「……俺、そないわかりやすい?」
「うん。めっちゃわかりやすい」
「何や照れるな。せやけど、俺もめっちゃ嬉しいわ。おおきに」

 そう言う謙也くんは本当に嬉しそうで、胸の奥が温かくなる。ほんまに幸せやなぁ。大好きやった謙也くんとこうして恋人同士になれて、お誕生日もお祝いさせてもろて――夢みたいや。

 そのまま謙也くんと二人で、いつものようにいろんな話をする。付き合う前から謙也くんとは不思議と話が弾んで、いっしょにいるとすごく楽しい。ほんまは遠出するつもりやったけど、こうやっておうちデートでゆっくりするんもアリやなぁ。そんなふうに思いながら、ようやく緊張が解れてきた頃。

「へー、そうやったんや」
「おん」
「……」
「……」

 本当に、ふと。
 会話が途切れた瞬間が訪れた。

 えっ、こんなん珍しい。ただ、何や気まずいなぁ。数秒間の沈黙が耐えられなくて、慌てて何か話題を探そうとしてみたけれど、それは予想しなかった形で遮られた。

「っ、」

 隣にいる謙也くんの右手が、私の左手の上に重ねられた。条件反射で左隣の謙也くんを見ると、彼は黙ってこちらを見つめていた。その視線がやけに熱を帯びている。いつもの爽やかな謙也くんとは違って、どちらかというと大人っぽいような、艶っぽいようなその視線に、目がそらせない。

 謙也くんは何も言葉を発しない。だから、謙也くんの部屋の窓を叩くポツポツという雨音と、自分の心臓の音だけが、やけに耳についた。沈黙の後、謙也くんはやっと言葉を紡ぐ。

「……ほんまは、家に誘った時から、ずーっとこうしたかってん」

 謙也くんは一旦手を離すと、そのまま私の身体に腕を回す。そのままぎゅっと抱き寄せられ、謙也くんの右肩に私の顎が乗った。わ。わ。どないしよ。抵抗なんてもちろんしないけれど、緊張しすぎて身体が震える。そんな私の様子に気づいた謙也くんは、一瞬不安そうに「……嫌か?」なんて言うから、慌てて横に首を振った。

「嫌やない、けど、緊張する……」
「……おん。俺も」
「まさか謙也くんからこんなんしてくれるなんて思ってへんかった」
「え、何で?」
「告白したんも私からやし、謙也くん、さっきまでめっちゃ普通やったし……その、この状況意識してもうてるの、私だけやと思って……」

 だんだんと恥ずかしさが増してきて、思わず謙也くんの首元に顔を埋めた。左耳から、謙也くんが、ふぅ、と息を吐く音がやけにリアルに聞こえる。

「……アホ、俺がどんだけ自分のこと好きや思ってんねん、こっちかて必死で平静装っとったっちゅー話や! 最初は手ぇ繋ぐだけでめっちゃ幸せやったけど、どんどん欲張りになるっちゅーか……それだけや足りんくなってもうて……」
「……」
「麻衣」

 謙也くんは、耳元で私の名前を紡ぐ。お付き合いを始めてから、謙也くんからは二人きりの時だけ下の名前で呼ばれるようになった。まるで、恋人モードに切り替わるためのスイッチだ。謙也くんは少し腕の力を緩めて、私の表情を確認しながら、問う。

「……キス、しても、ええ?」

 いつも明るくて爽やかな笑顔の謙也くんの、熱情を秘めたような真剣な眼差しに、いつもより低めの少し掠れた声。さっきまで無邪気な十五歳の少年だったはずの彼は、すっかり一人の男性として、私の前にいる。そんな彼のせいで、全身の血が沸騰したみたいに、身体中が熱い。
 ゆっくりと首を縦に振ると、謙也くんがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。謙也くんの頬もすっかり赤く染まっている。そのまま謙也くんの顔がこちらに近づいてくる。なぜかそれはまるでスローモーションのように見えて。
 そっと目を閉じると、くちびるに柔らかなものがそっと触れた。謙也くんと私のファーストキス。くちびるが重なり合ったまま、謙也くんの手が、ぎこちなく私の頭に触れて、そのまま後頭部を撫でていき、首の後ろあたりにそのまま添えられる。
 どのくらいの時間が経っただろう。どちらともなく、くちびるを離して、至近距離で見つめ合う。

「……一ヶ月記念日、おおきに。大好きやで」

 照れくさそうに、でも、ちゃんと言葉にしてくれるのが嬉しくて、今度は自分から謙也くんにぎゅっと抱きついてしまった。神様、どうか、二ヶ月記念日、三ヶ月記念日、とこれから先も幸せな日々が続きますように。

Fin.
2023.3.17