Holy night

 蔵とお付き合いをはじめたのは三ヶ月ほど前。そんな彼と初めて迎えるクリスマスイブ、私は少し緊張していた。彼から、「クリスマス、どうしたい?」と聞かれた時に、素直に「一緒に過ごしたい」と答えたところ、「俺も」と彼は微笑んで、そして少しだけ緊張したような声色でこんなことを言ったのだ。「――なあ、二十四日の夜、うち、泊まりに来おへん?」と。

 そんなわけで迎えた当日。夕方に駅で待ち合わせをして、そのままいつものレストランへ。告白された日に、その直前まで一緒に食事をしていたそのレストランは私たちにとって大切な場所で、一ヶ月記念日も、二ヶ月記念日も、そのレストランでお祝いをした。だから、三ヶ月記念日のお祝いも兼ねて、クリスマスイブもそのレストランで過ごすことにしたのだ。すっかり常連となった私たちは、お店の人たちにすっかり覚えられていて、「記念日、おめでとうございます」なんて声をかけられて気恥ずかしい。
 いつもはアラカルトだけれど、今回は背伸びして、クリスマスの特別なコース料理を頂くことにした。私自身はテーブルマナーはあまり自信がないけれど、蔵はソツなくナイフとフォークを使って食事をしている。

「蔵はすごいね。私テーブルマナー自信ないよ」
「全然すごないで。麻衣の前でカッコ悪いとこ見せたないし、昨日慌ててネットで調べてん」

 その言葉が本当かどうかは知らないけれど、私を気遣ってそうやってわざとおどける彼は、本当に優しい。こんな素敵な人とお付き合いできてよかったな。

 そして、お店を出る。いつもなら、このまま駅まで送ってもらって、またね、となるのだけれど、今日は違う。そうすることが当然とでも言うように、蔵は私の手をとると、そのまま自分の指を絡めた。三ヶ月経ってようやく慣れてはきたものの、ずっと憧れていた彼が、私と同じ気持ちでいてくれて、そしてこうして手を繋いでくれることに未だに感動してしまう。

「――今日は、おんなじ方向やもんな」
「うん」

 今日は彼の住む家へ一緒に向かうのだ。少しずつまた緊張して、心臓がドキドキしてくる。でも、隣を歩く蔵はなんだかいつも通りで、私ばかりがドキドキしてるのかな、なんて少し悔しくもある。お姉さんと妹さんに挟まれている彼は、大学生になってから、彼女たちに気を遣って一人暮らしをしている。ただ、その家に招かれたのは今回が初めてだった。どんなお部屋なんだろう。そして、――どんな夜になるんだろう。

 そのまま地下鉄で移動し、彼の家の最寄駅へ着く。駅から歩くこと五分程度で、彼の住む、単身赴任者や学生向けっぽそうなマンションが現れた。ついに、来てしまった。

「そんな立派な家ちゃうけど、どうぞ」
「あ、う、うん、お邪魔します」
「はは。めっちゃ緊張しとんなあ」
「そりゃ、緊張するよ……」
「ほんま、可愛えな」

 こうやって、さらっと可愛いとか言うから、本当に心臓に悪い。蔵は私の頭を軽く撫でると、そのままオートロックを開ける。そのまま彼の半歩後ろを着いていき、エレベーターに乗って、彼の住む階へ。彼の家のドアの前に立った時、私の緊張は最高潮に達していた。この先に、蔵のお部屋が。

「入ってええよ」

 部屋の鍵を開けた彼が、ドアを引いて開けてくれたので、改めて「お邪魔します」と中へ入った。玄関の照明はセンサーで反応するタイプなのか、そのままパッと玄関が明るくなる。入った瞬間にまず感じたのは、香りだ。蔵に抱き寄せられた時の、爽やかな香りがする。この部屋は、本当に蔵が毎日寝起きして過ごしているプライベートな場所なのだ。そんな感動をしていたのに、次の瞬間、頭が真っ白になる。いきなり後ろから、コートを着たままの蔵に、ぎゅっと抱きすくめられたからだ。

「えっ、蔵……?!」
「……今日一日、ずーっとこうしたかったの、我慢してたんやで」

 こっち向いて、と蔵は言うので、彼の腕の中で百八十度回転し、彼と向かい合わせになる。彼はそのまま私の頬に手を当てて、その端正な顔をこちらへと近づけた。熱くなった頬に、ひんやりとした彼の手が気持ち良い。そのまま、ここは玄関だというのに、彼はその唇を私のそれに重ねる。最初こそ触れるだけだったのに、いつの間にか、そのキスは頭がくらくらしそうなほど濃厚なものへと変わっていく。彼の舌が私の口内で、まるで何か別の生き物のように蠢く。その度に、甘い味が口の中へ広がっていく。

「――今日、甘いな。お互い最後に食べたん、ブッシュドノエルやからかな」

 一旦唇を離して、冷静にそんな分析をする彼に、「蔵のばか」と軽く彼の胸元当たりを叩いた。

「関西人にばか言うたらあかん」
「だって、ここ、まだ玄関……」
「せやけど、嫌やなかったやろ?」

 そう、いつもの穏やかな表情で言う蔵に、言い返せない。確かに嫌じゃなかった。むしろ嬉しかった。でも認めるのが悔しい。そんな私の心は彼には見透かされていて、彼は何も言わずに満足げに笑った。

 通された部屋は、よくある学生一人暮らしの、蔵らしいシンプルな空間だった。

「きれいな部屋だね」
「そら彼女来る思ったら掃除頑張るやろ。そう思ってもらえてホッとしたわ」

 コート脱ぐ?と彼はハンガーを手に取る。私からコートを受け取った彼は、それを丁寧にハンガーに通し、ハンガーラックへと掛けた。そして彼自身もコートを脱ぎ、私のコートの隣に自分のコートを掛ける。そのまま、座っててええよ、と言われるけれど、一体どこに座ったらいいのだろう。

「すまん、俺の部屋、ソファなくて。ベッドがソファ代わりやねん。ベッド座っとって」
「は、はい」

 なぜか敬語になってしまった。そのまま言われるがままにベッドに座ると、蔵はキッチンの方で何やらお茶でも淹れてくれているようだ。そして持ってきてくれたのが、ジンジャーマンクッキーとハーブティーだ。果たしてこれ、蔵のセンスなのだろうか……? そう疑っていると、彼のほうから種明かしされる。

「姉ちゃんからの差し入れや。この前実家寄った時、クリスマスに彼女うち来る言うたら、くれた」
「えっ、そうなの? ありがとうございます……!」
「姉ちゃんも妹も、早よ家に彼女連れて来い言うとったわ」

 せやけど、連れてったら絶対女子会になって、俺がいじられるだけやろ。と、蔵はすでに嘆いていて、それが少し可愛い。そして、ご家族に私の存在を紹介してくれていたことが嬉しかった。蔵のお姉さんと妹さん、絶対に美人なんだろうな。ハーブティーを飲むと、冬の寒さで冷えていた身体がじんわりと温まる。ノンカフェインだし、夜に飲むのに最適だ。ほっと一息ついていると、いつの間にか私の隣に腰を下ろした蔵がじっとこちらを見つめていた。

「? どうしたの?」
「……今日の服。クリスマス仕様なん?」
「うん、せっかくクリスマスだから、赤にしようと思ったの」
「はは。なるほどな、サンタさんみたいや」
「えっ」

 可愛いとか褒めてくれるんじゃないかと期待した私がいけなかった。サンタさんみたいや、って。確かに深紅のワンピースの腰の部分を細めのベルトでマークしているから、サンタさんといえばサンタさんっぽいかもしれない。でも、せっかく蔵にちょっとでも可愛いと思ってもらいたくて選んだのにな。言わないけど。

「……ははっ、ほんまわかりやすいな」
「え?! どういうこと?」
「『可愛い』って言われたかったんやろ? そんなん言わんでも、当たり前に思ってるで」

 めっちゃ可愛い。似合うてる。蔵は私の髪を耳にかけると、そう耳元で囁く。反射的に身体が震えた。危ない、手に持っているティーカップを落としてしまいそうだ。慌ててローテーブルのソーサーの上にカップを戻す。

「そんな可愛いサンタさんから、今年一年ええ子にしとった蔵ノ介クンは、プレゼントもらいたいねんけど、ええかな」

 台詞こそ、可愛い子供みたいな台詞なのに。目の前にいる彼は、じ、と私の目を見つめる。彼の瞳に、驚いたような顔をした自分が映っている。観念して目を閉じると、そのまま、また唇が重ねられた。今度のキスはハーブティーの味がする。そんなことを思っているうちに、それはどんどんとまた酸素が足りないくらいの激しいものになり、気づけば私の視界は蔵の部屋の天井を捉えていた。
 お互いに見つめ合う。お付き合いをはじめてから三ヶ月、蔵は私をとてもとても大切に扱ってくれた。だから、ここから先は、初めての領域で。

「……やめるんやったら、今が最後のチャンスや。多分もうこの先は止まれへん」

 さっきまでレストランで涼しい顔をしていたのが嘘みたいに、瞳の奥に欲望を秘めた蔵がそこにいた。そんなギャップに私の脈は一段と速くなる。そんな瞳をされたら、もっともっと蔵を感じてみたくなってしまう。

「……止まらなくていいけど、電気消して」

 そう答えた自分の声は、あまりにも蚊の鳴くような情けない声で。なのに、彼は何かを感じたのか、そう答えた途端に、彼らしくない乱暴な仕草で、性急に枕元にあった部屋の電気のリモコンを取ったかと思うと、次の瞬間、視界が暗転した。

 朝起きて、まず感じたのは喉の渇きだった。何でこんなに喉が渇いているんだろう。そうぼんやりと考えて、ふと一つの答えに辿り着き、一気に体温があがったような気がした。微睡んでいる場合ではなかった。私は今、蔵ノ介のベッドの中にいるのだ。起きあがろうとしたけれど、今度は腰に違和感がある。そして昨夜の色々をまた思い出し、沸騰しそうだった。あれ、でも隣にいるはずの彼の姿が、ここにない。ベッドは私一人が占領しているようだった。あれ? 蔵……?

「おはようさん」

 そんな爽やかな挨拶とともに、蔵は私の視界に現れた。彼は、ヘアセットまでもを終えて、既に街中へ出かけられるような服装になっている。私ばかりが昨夜の姿のまま、彼のベッドで寝坊していたのかと思うと、それだけで恥ずかしい。

「起こしてくれて良かったのに……」
「気持ちよさそうに眠っとるとこ起こすの可哀想やろ。……それに昨日だいぶ無理させたん、俺やし」

 そう言う蔵も、少し照れたような顔をしていて、昨夜起きたことは夢ではなかったのだと実感する。色々と思い出すと、もう穴があったら入りたい気持ちだ。でも穴はないので、布団にくるまることしかできない。

「なあ。それより、枕元気づいた?」
「枕元?」
「やっぱ気づいてへんかったか。今度は蔵ノ介サンタから、ええ子の麻衣チャンにプレゼントや」

 枕元にはリボンの巻かれた小さな箱が置いてあった。その箱にはジュエリーブランドのロゴが入っていて、大体中身の想像がつく。その瞬間、なんだか嬉しさで涙腺が緩んだ。こんなに幸せで良いのかな。

「何や、まだ中身見てへんのに、もう泣いてるん?」
「だって……」

 枕元の箱を手に取り、そのまま胸元をうまく布団で隠しながら、ゆっくりと上半身を起こした。相変わらず腰は少し変な感じがするけど。そのままラッピングを解くと、窓越しの朝陽の光を受けてキラキラと輝くネックレスが現れた。

「すっごく可愛い。ありがとう」
「……折角やし、つけたとこ見たい。ダメ?」
「ダメじゃないよ」
「ほな、つけさせてな」
「えっ、今?」
「ん。今」

 蔵はそう言うと、ネックレスを私の手元の箱から取り、そのまま私の背中側へ回って、首にネックレスをかけると後ろの金具を器用に挟んだ。昨夜の余韻も残る中、蔵の指がときたまうなじあたりに触れるので、なんだか変にむずむずしてしまう。

「……夜は暗くて見えへんかったけど、きれいな背中やな」
「……えっち」
「えっちでええよ。それだけ好きやっちゅーことや」

 そう言いながら蔵は私の肩甲骨あたりにキスを落としながら、腰からヒップにかけてのラインをその大きな手でなぞっていくから、また身体が少し震えてしまった。

「今度は前からから、ネックレスつけたとこ、見せてな」

 蔵は再び私の正面に戻ると、満足げにこちらを見る。

「可愛い。めっちゃ似合っとる。パーフェクトや」
「ふふ。ありがとう。蔵が私に似合うデザイン選んでくれたんでしょ?」
「せやで。って言いたいところやねんけど、ほんまはお店の店員さんにめっちゃ手伝ってもろてん」

 照れくさそうにそういう彼に愛おしさが募る。隠していればいいものを、隠しきれないそんなところも好きだし、そうやって迷いながら選んでくれたことが嬉しい。

「なぁ、麻衣」
「?」
「――まだ学生やし今年はネックレスやけど……いつかはちゃんと指輪渡したい」

 急に真剣なトーンで蔵はそう言うから、また心臓が跳ねる。彼は、とりあえずその場の恋愛を楽しむタイプではなく、付き合うとしたら将来まできちんと考えるタイプの人だ。

「……うん。その日、待ってるね」
「おおきに。それまで愛想尽かされんようにせんと」
「愛想なんて尽かさないよ」

 そう言うと彼は、ほんまに最高の彼女やな、と嬉しそうに笑っていた。そして、そのままベッドの縁に腰掛けて、私の耳元に唇を寄せながら、呟く。

「メリークリスマス。愛してるで」

Fin.
2022.12.24