雫をすくうのは

「視線の先に僕はいない」の続きです。

 麻衣、君はどうしてあんな鈍い男が好きだっていうんだ。背は確かに俺より高い。真面目で、誠実で、それから地味にイイ男だってことも認めてやる。なんてったって、あいつは俺の親友でもあるんだ。でも、絶対俺のほうが女心だってわかってやれるし、テニスだってセンスがあるし、何より、君が人恋しいとき、傍にいてやれるのはあいつより俺なんだ。ほら、今みたいに――。

 二人きりの部室。ロッカーを背もたれにしゃがんで泣きじゃくる麻衣の隣に、俺も黙って胡坐をかく。麻衣の気持ちが爆発寸前だということは知っていたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。詳しいことは知らないが、ひょんなことから麻衣はその長年心に秘めてきた想いを南に悟られてしまうような発言をしてしまったらしい。聞かなかったフリをしてやればいいのに、くそ真面目な南は、麻衣に「ありがとう。でも、ごめんな」と、本当に申し訳なさそうな顔をして伝えたそうだ。そこまでが、嗚咽をもらしながらもなんとか麻衣が俺に伝えてきた話。

 俺から言わせてみれば、南はバカだ。大馬鹿だ。
 だが、そういうところに、麻衣は惚れたんだろう。
 南なんかに惚れた麻衣だって大馬鹿だ。――俺は絶対君を傷つけたりしないのに。

 もし麻衣が俺の隣を歩いてもいいと言ってくれるなら、喜んで俺は君以外の女の子との関係を断ち切るし、これからも断り続ける。本当の俺は一途なのだ。中学の時から、俺には麻衣しか見えていない。君への叶わぬ想いを忘れようと、来る者拒まず去る者追わずのスタンスでいろいろな女の子とつきあった。時にはくちびるを重ね、身体を重ねた。しかしそれは逆効果だった。そのたびに、目の前の女の子は麻衣ではないと思い知らされ、君への想いを再確認することになってしまった。
 そう思ったら、大馬鹿は俺も一緒か――ふ、と自嘲する。気づけば隣にいる麻衣の呼吸は先ほどよりだいぶ整ってきていた。そのまま彼女の頭に手を伸ばし、そっと撫でる。

「南の前では、泣かなかったんだろ? えらいじゃん」
「……っ……だって、私が目の前で泣いたら、南が困っちゃうでしょ」

 ――この期においても君は南のことを思いやるのか。
 呆れてしまうが、俺は麻衣のそのまっすぐなところが好きだった。なんだかんだで麻衣と南はそういうところが似ている。俺が好意を持つ人間っていうのはそういう性質を持っているものなのかもしれない。

「じゃあ俺は困らせてもいいんだ?」
「……あ!……っ、ごめん千石……」
「冗談だよ。ほら、ティッシュ」

 部室にあったティッシュ箱を渡すと、麻衣は勢いよく鼻をかんだ。おいおい、少しは恥じらってくれよ。そう思いながらも、その涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せてくれるほどには心の距離は近いのだと感じて、頬が緩む。

「……でもね、私、ちょっとすっきりしたんだ。南が『ありがとう』って言ってくれたから、今までの想いもちょっとは報われた。ただの迷惑にならなかったんだって」
「へぇ、そのわりには目に水分がたまってるように見えるけど?」
「もう。目にゴミが入ったことにしておいてよ」

 そう言って麻衣は目を手でこする。

「あーあー、ダメダメ。こすったら次の日目腫れるから」
「……だって」
「明日後悔するのは麻衣だと思う。腫れた目で南に会えないだろ?」

 そのまま、麻衣の手首を捕まえて下におろす。潤んだ瞳が至近距離に現れて、思わず息をのんだ。もう長いつきあいになるが、彼女のここまでの泣き顔を見たことはなかった。中3で部活を引退するときですら、ここまで号泣していなかった。
 南を想って泣いているはずの麻衣に、なぜか俺はたまらなくいとしさを感じる。本当ならばそのままキスでもしてしまいたいくらいだが、麻衣はそれを望んでいない。そもそも、俺のこの想いだって、まだ伝えていない。
 その代わりとは言ってはなんだが、俺は麻衣の頬に手を伸ばす。そして、そのまま瞳から頬へ零れおちてしまった涙のしずくを、そっと親指で拭う。

「……そういうことを普通に誰でもするから千石はモテるんだろうなあと思うよ」
「ははは。お褒めに預かって光栄です」
「褒めてません。……でも、今はそのやさしさがうれしいよ。つきあってくれてありがとうね」

 俺の手が頬に触れたまま、麻衣は素直に礼を言う。そんなことされたら、君が失恋している弱みにつけこもうなんて俺のよこしまな気持ちが、本当に何か罪深いものに思えてくるじゃないか。だから、俺も誠実に向き合うことにした。

「……まだ泣き足りないなら、今日はとことんつきあうからさ」
「うん、」
「明日の朝練では、目腫らすなよ」
「うん」

 再び、麻衣の頬にはきれいな涙が伝う。今度はそれを人差し指で拭ってやった。
 今は、君の涙をすくうその役目だけでいい。それで、君が明日笑ってくれるなら。

to be continued…