それはいつもの部活中に起こったことだった。長太郎のスカッドサーブのコントロールが外れて、バウンドして跳ね返った球が、偶然コートの近くにいたマネージャーの私の足首に当たった。
──痛っーーーーーー!!!!
いくらバウンドした後の球とはいえ、元々の球速が速いのだ、かなりの衝撃と痛みで思わず悶えそうになったが、私の中に残っている理性がそれを制する。
これで私が痛がってしまっては、練習を中断させることにもなりかねないし、部員の集中も切れてしまうし、何より長太郎が自責の念を抱いてしまうかもしれない。
「麻衣先輩っ…!!すみません、俺っ…!!」
「麻衣、大丈夫か?!」
長太郎と、対戦相手だった宍戸がそれぞれ私に駆け寄ってきたが、私はそれを笑顔で制する。
「大丈夫!気にしないで。バウンドした球だったからそんなに痛くなかったし」
「……よかった、本当にすみませんでした」
「それなら良いけどよ。無理すんなよ」
「うん。だから2人は試合続けてて」
そう言うと2人は素直にコートに戻っていった。良かった、ごまかせた。──本当は、めちゃくちゃ痛いけど。
そのままコートから離れて、こっそり正レギュラー用の部室へ向かおうとしていた。正レギュラー用の部室には救急箱があるから、足のケガの状態を確認しつつ、自分で必要最低限の手当てをしよう。
そんなとき、後ろから呼び止められた。
「麻衣」
「あれ、忍足?どうしたの?」
「……自分、なかなかカッコええなぁ」
「は?」
「足。ホンマはめっちゃ痛いくせに、宍戸と長太郎の試合止めるの嫌やったから、痛ないフリしたんやろ」
「!」
さすがの洞察力だ。忍足の目は誤魔化せなかったみたいだ。
「──部室、俺も着いてくわ。手当てせんと」
「じ、自分でできるよ」
「人の足手当するんと勝手がちゃうやろ。それにさっきから右足だけ少し引きずって歩いてんで。ホンマは歩くんもしんどいんとちゃうの」
図星だった。
一瞬言葉に詰まった私に、忍足はため息をつく。
「はぁ、ほんまにそこらの男よりよっぽど男前やな、麻衣は」
「な、何それ、男前って」
「正確に言うと『男前な女の子』やな。女の子なんやから、強がらんと頼ったらええねん」
そのまま忍足はしゃがんだから、私の目の前には忍足の広い背中がある。え、これって……?!
「部室までの辛抱や。今ちょうどみんなこっち見てへんし、今のうちやで」
「え?!」
「早うしぃや。──あ、それか、お姫様抱っこのほうが良かったんか?」
「ば、ばか!そんなわけ……」
「ほな、早よ乗りや」
そんな忍足の提案を断り切れず、彼の背中にひょいと乗っかり体重を預ける。いわゆる『おんぶ』された状態で、私たちはこっそり正レギュラー用の部室へと移動した。
*
「うっわ。ごっついな」
忍足は私の足首を見るなり、言う。
「ヤバい色なってるで」
「そりゃ内出血してるんだから青紫にはなるでしょ…骨には異常ないと思うし大丈夫だよ」
正レギュラーの部室のソファに座らされた私は、右足だけ靴下を脱ぎ、ジャージの裾をふくらはぎあたりまで捲り上げた状態で、右足首の患部を忍足に診せている状態だ。
「まずはアイシングやな」
「……はい」
「何やねんその煮え切らない返事」
「いや、私がレギュラーの手当てすることはあっても、まさかレギュラーに私の手当てしてもらうことになるなんて……なんか申し訳なくて」
「アホやなぁ。ケガ人目の前にしてレギュラーもマネージャーもないやろ」
忍足は、床に片膝を立てて座りながら、アイスノンを私の足首の患部に当てる。その手つきがやけにテキパキしていて驚いた。ああ、でもそういえば忍足ってお医者さんの息子だったっけ。
レギュラーもマネージャーもないやろ、と言われてしまうと、ふいに部活中には封印している気持ちが蘇ってきてしまう。何を隠そう──私は、この忍足侑士に、こっそり片想いをしているのだ。部活のときはなるべく恋愛感情を持ち込まずに過ごしているけれど、こんなふうに部室でふたりきり、しかも、彼の手は私の右足に触れていて、意識しないほうが無理だった。
──足、汗くさくないかな。
──すね毛とか、生えてたらどうしよう。
こんなことになると知っていたら、前の日に念入りにお手入れをしてきたのに。
「……何や顔赤いなぁ、麻衣」
「!」
「俺とふたりきりで緊張してるん?」
「ちょ、いきなり何言ってんの?!」
「暴れない。アイシング中やで」
「じゃあ暴れさせること言わないで」
「別に暴れさせよう思て言ってへんわ」
忍足は患部からアイスノンを離しながら、呆れた声で言う。私から見た彼はいつもと全く同じ様子で、私ばかりが彼の冗談を間に受けてドキドキしてしまっていたようだ。それは悔しくもあり、少し悲しくもあった。私ばかりが忍足を意識しているだけで、忍足はきっと私のことをレギュラーの男子たちと同じようにしか見ていないだろう。
「次、湿布貼るで。一瞬冷たなるけど我慢しぃや」
と、次の瞬間、患部に一気にピタッと冷たい湿布がくっついて、思わず変な声が出た。
「っひゃあ、冷たっ!」
「……どっから声出しとんねん」
「だって、冷たいんだもん、しかも痛いし!」
「あ、やっと『痛い』言うたな」
「!」
「最初から素直にそう言うとけばええのに」
忍足はそう言って少し大人びた笑みを浮かべている。
「──自分、周りのこと考えすぎて自己犠牲に走る傾向あるから注意やで。でもまぁ、周りのことそれだけ思える優しいとこは麻衣の長所やな」
そんなセリフとともに忍足の手によって私の足首にはテーピングが綺麗に巻かれていく。忍足はずるい。忍足が私のことを何とも思っていなくても、私は忍足のそんな言葉や行動一つ一つに動揺してしまっている。
「はい。できたで」
「……ありがとう。すごくラクになった」
「せやろ」
「うん。忍足の方が私より全然手当て上手いかも」
「ま、医者の息子やし、麻衣と出会う前からテニスでいっぱい怪我してきてるからな」
「そっか」
ジャージの裾を元に戻し、テーピングの上から靴下と靴を履いて、ソファーから立ち上がる。さっきよりずっと痛さが軽減されて、これなら普通に歩けるしマネージャーの仕事もできそうだ。
「そしたら忍足、そろそろ部活戻ろっか?」
「──戻る前に1つ約束してくれへん?」
「約束?」
何だろう、改まって。
「他の奴らの前で強がるんはええけど、俺の前では強がらんでちゃんと本音で話すこと。痛い時は痛い、悲しい時は悲しい、ちゃんと話してや」
「え……」
「ま、自分があまりに弱音吐かへんから、こっちも洞察力を鍛えるええ機会やけどな。今日やって俺が気づかへんかったら、こんなキレイで細っそい足にごっつい打撲させたまま無理してマネージャーの仕事させてまうとこやったんやろ。そんなん耐えられへんわ」
忍足が真剣な顔でそんなことを言うから。
不思議と、また緊張してきた。
「う、うん…?」
「……何やねんその『うん…?』って返事」
「そうやって言ってもらえるの、すごく嬉しいけど。そもそも何で、そんなこと言うのかなって思って」
素朴な疑問をぶつけると、忍足は少し目を見開いて、そのあと全力で呆れ顔でため息をついた。
「麻衣、自分、鈍すぎやで」
「?」
そして、次の瞬間、私の耳に落ちてきたのは、彼の低い声によって紡がれたとても甘い言葉だった。
「……そんなん、俺が、麻衣を好きやからや」
Fin.
2021.10.10