中学に入学した時には160センチだったはずの私の身長は、中3の今、170センチを超えた。周りの友達からは、モデルみたいでうらやましいとかなんだかんだ言ってもらえるけれど──私としては、小さくて可愛い女子がうらやましい。男子とはだいたい同じ目線だし、私より背の低い男子もたくさんいる。
ひそかに憧れていた男の子も、放課後に男子同士で「付き合うんやったら、やっぱり小っさくて可愛い女子がええな~」とか話しているのを聞いてしまった。
好きでここまで伸びたわけやないのに。
コンプレックスは大きくなるばかりだ。
「──キミはええなぁ、小さくて可愛くて」
目の前の猫にそう伝えると、猫は言葉の意味をわかってるのかわかっていないのかわからないが、ニャーと返事をした。
学校の裏にこっそり居座っている野良猫は、私の癒しだった。友達がいないわけじゃないけど、放課後、たまにこうしてひとりでいる時間が好きだ。猫と戯れながら、木陰に座り、少しぼーっとする。
猫は不意に耳をピンと張ると、トトトトトと歩き出し、私から離れていった。何だろう?誰か他の人でも来たのかな。猫の動きに合わせて視線を追うと、とある男子生徒の足元に行きついた。猫はその足元にすりすりをしている。
「今日も可愛かねぇ」
そんな声とともにその男子生徒はしゃがんで猫の背中を撫でたから、男子生徒と視線が合ってしまった。こんな人、うちの学年にいたっけ?
「あれ、こっちにも可愛い子がおったたい」
「は」
ナチュラルにナンパされて固まる。男子生徒は「そげん顔せんでも……俺も4月からこん学校の生徒ばい」と困ったように笑っている。彼の口調は九州の言葉のようだ。
「転校生?」
「ああ。今は3年1組におるとよ」
「そうなんや。私は8組」
「ユウジと小春と同じクラスなんやね」
「一氏くんと金色くん?うん。2人と仲ええの?」
「同じ部活たい」
「えっ、テニス部?」
「おー。さすがユウジも小春も有名人やねぇ」
少し気の抜けたような話し方に、なんとなくこちらまで毒気を抜かれる。彼は猫を撫でる手を止め、立ち上がって移動すると、私の隣に腰を下ろした。
「千歳千里」
「ちとせせんり?」
「俺の名前ばい。キミは?」
「支倉麻衣」
「よろしく、支倉さん」
「あ、うん、千歳くん、よろしゅう」
千歳くんのペースに巻き込まれて、なんとなく千歳くんと友達になった感がある。猫は私たちが座っている木陰へやってきて、私たちの間のスペースで転がっている。野良やのに、ほんま人懐っこいなぁ。
隣に座っている千歳くんは、また猫に手を伸ばして撫ではじめた。その手の大きさや腕の長さに驚く。私はずっと座ったままだからあまり気づかなかったけれど、千歳くんってもしかしてすごく背が大きいのではないか。
「……千歳くん、もしかしてめっちゃ背ぇ高い?」
「こん前の健康診断は194センチだったばい」
「194!すごい!」
「まぁ、テニスする上では助かっとるとよ。ばってん支倉さんも背ぇ高そうたい」
「あーうん……」
そんな無邪気に言われるとどう反応していいのやら。歯切れの悪い私の様子に千歳くんは何かを察したらしい。
「──背高いと、いろいろあるけんね。例えば俺ん場合は教室のドア入る時によく頭ぶつける」
「ふふ。そうなんや」
思わず笑ってしまった。
千歳くんは、やさしいな。
「ん。やっと笑った」
「?」
「やっぱり女の子は笑った顔が可愛かね」
ナチュラルにそんなことを言うからびっくりしてしまうが、千歳くんは特に何も考えずに発言している気もする。こういうの、天然たらしって言うんやろな。
「──そろそろ部活行くとすっかね」
「え、今からやったら遅刻ちゃう?」
「んー。その時は白石に怒られるばい」
千歳くんが立ち上がったので、私も立ちあがる。そろそろ帰ってもいいかなと思っていたし。立って並ぶと、千歳くんの背の高さが実感できた。男の子を見上げるというのは久しぶりの体験だ。
「背高いといろいろあるかもしれんばってん、俺にとっては支倉さんの身長はちょうど良かよ。かがまんでもちゃんと顔見て話せる女の子は貴重たい」
じゃ、と千歳くんはテニスコートへ向かって歩いて行ってしまった。ものの数分の出来事だった。けれど、私の中ではパラダイムシフトが起きた。
「ち、千歳くん!」
「ん、なんね?」
思わず大声で呼び止めてしまった。千歳くんはゆるりとこちらを振り返る。
「……ありがとう!ほんまは背高いのちょっと気にしててんけど、千歳くんのおかげで元気出た」
千歳くんのおかげで、コンプレックスが少し和らいだのだ。千歳くんと話しやすいこの身長が少しお気に入りになった。千歳くんはふわふわした笑顔を浮かべて言う。
「俺も支倉さんと話せて元気出たばい。次からは猫じゃなくて支倉さんに会いにくるけん」
一瞬日本語として咀嚼するのに時間がかかって、意味を理解した頃には、千歳くんの背中はすでにもう遠い距離になっていた。え。え。何やまた天然たらしな発言してへん?あの人。
足元に猫がやってきて、私の足にすりすりしている。熱くなった頬と高鳴った心臓を落ち着けるため、私はしゃがんで猫の背中を撫でた。猫はゴロゴロと喉を鳴らしている。
「──私は、千歳くんやなくて、ちゃんと『キミ』に会いにここに来るで」
負け惜しみと照れ隠しで、猫にそう言い聞かせてみた。猫はまた気まぐれにニャーと鳴いている。それでもやっぱり私は自分の気持ちに気づいてしまった。
──千歳くんのアホ、今のほんの数分で、千歳くんのこと気になってしまったやん。
きっと明日も明後日も、私はこの校舎裏の木陰に来ることになるのだろう。そんなことを思った。
Fin.
2021.8.22