「今日も送ってくれてありがとう」
「ええよ。どうせ通り道やし、気にせんで」
「白石くんは優しいなぁ。そらモテるわけやわ」
「そない褒めても何も出てこぉへんで」

 俺の自転車に乗せていた彼女のスクールバッグを彼女へ返すと、彼女は「ありがとう」と言ってなかなかの重さのバッグを左肩にかけた。少し軽くなった自転車にふと寂しさを覚える。
 自転車を押しながら、彼女と二人で、夜空の下、駅までの帰り道を歩く。この何の変哲もない時間が、俺にとって心地良く、大切な時間だ。
 はじめは偶然だった。校門で、クラスメイトの彼女とバッタリ会った。空はすっかり暗く、女の子一人歩いて帰るのもと思い、「一緒に帰ろか?」と声をかけたのが最初。自転車通学の俺は、自転車を押して、電車通学の彼女を徒歩で駅まで送った。彼女とは当たり障りのない会話はしたことがあったが、改めて話してみると、彼女の纏う空気、紡ぐ言葉、笑顔がとても澄んでいることに気がついた。

『白石くん、送ってくれてありがとう』

 あの日の彼女も、今日と同じように俺に礼を言って笑っていた。そんな彼女に、思いもよらなかった言葉が俺の口をついて出ていた。

『また、一緒に帰ろな』

 また、なんて。言ってしまった後で恥ずかしくなる。彼女はそんな俺の言葉を受け止めると、一瞬きょとんとした顔をしたけれど、すぐにその澄んだ笑顔に戻って『うん、また』と柔らかく言った。

 それから、なんとなくお互い部活を終えて帰る時間が合ったときは一緒に帰る、ということを何度も繰り返している。彼女と話す時間は、テニス部の部長でも何でもない、素の自分自身に戻れるような感覚があったし、単純に楽しかった。

「ほな白石くん、また明日……やなかった、今日金曜日や。また来週」
「ん。また月曜日な」

 信号を渡れば、もう駅だ。赤信号が青に変われば、彼女はここを渡って去っていく。週末を挟んで3日後にはまた3年2組の教室で会えるというのに。――何やろ、この気持ち。
 ふと、信号が青になる。彼女はそれを確認して、俺に最後に『ほなね』と言って信号を渡ろうとする。気づけば、そんな彼女の華奢な手首をパシッと掴んでしまっていた。驚いた彼女は「白石くん?」と目を丸くしている。信号はすでに点滅していて、そのうち赤に戻ってしまった。

「――すまん」
「だ、大丈夫」

 目の前の彼女の頬は、暗くてもわかるくらい赤く染まっている。そしてきっと俺自身も。掴んだままの手首を解放する。もう少しで信号は再び青になりそうだ。彼女は言う。

「……また一緒に帰ってくれる?」
「当たり前や」
「うん。ほな、またね」

 再び青になった信号を彼女は渡っていく。そして渡り切った後、こちらを振り返って控えめに手を振ると、そのまま彼女は駅構内へと入っていった。

 ずっと手で押していた自転車、そのサドルに片足を跨ぎ、腰を掛け、ペダルを漕ぎ始める。家までは数キロだ。柔らかな向かい風が、俺の熱くなった頬を冷ましていく。さっきまでは彼女の歩く速さに合わせてゆっくりと流れていた街並みが、自転車のスピードに合わせてあっという間に流れていく。
 彼女といっしょにいるときの街並みはなぜかキラキラ輝いて見えるが、こうして一人で自転車を漕ぎながら眺める街並みは、特にいつもと変わり映えはない。そんな自分の気持ちに、そろそろ気づかないふりをするのが難しくなってきた。
 ――アカンな。さっき別れたばかりやで。
 なのに、もう、無性に会いたい、なんて。

Fin.
2022.1.20