am10:00

 彼は、あまり人の多いところを待ち合わせ場所にするのを好まない。中学生の時に酷い逆ナンに遭ってから若干トラウマらしい。
 確かにそのはずだ。深緑をベースとした上品なチェック柄のコートを身に纏う彼は、その華やかな外見で人目を引いてしまう。渋谷での待ち合わせ場所を、ハチ公前ではなく、ヒカリエの1階にしたがる理由がわかる気がした。

 待ち合わせの時間まであと5分。
 例のトラウマがあるというのに、私を待たせないように、いつも必ず10分以上前に待ち合わせ場所に来てくれている彼をたまらなく愛しく思う。
 だから、逆に彼より早く待ち合わせ場所に着かないことが、マナーだと思っている。2,3分前に「お待たせ」と笑顔で現れることが、きっと彼の望んでいることだ。そう思うと、今すぐ彼の前に現れるのは、タイミング的に少しだけ早い気もして。

 ヒカリエの壁に寄りかかる彼を、行き交う女子高生たちがチラチラと振り返りながら小声で「キャー、今の人かっこよかったね」なんて言っていて。そんな彼と待ち合わせしているのはこの私なのだと思うと、ちょっと優越感に浸ってしまう。我ながら性格悪いかな。でも、彼──白石蔵ノ介は、その外見もさることながら内面がとても魅力的な人で、本当に私には勿体ないくらい素敵な人なのだ。奇跡的に彼と想いが通じて、隣に立たせてもらえていること、本当に感謝しかない。
 私を待ってくれているその横顔も、コートのポケットに冷えた手を入れる仕草も、全てが尊いように感じて、思わずスマホのカメラを起動してしまった。盗撮なんて、彼は嫌がるだろうな。でも、この尊いこの瞬間を切り取って保存しておきたかったのだ。

「お待たせしました」
「おはようさん。そんな待ってへんで」

 待ち合わせ2分前。蔵の前に現れると、蔵はいつもの優しい顔でそう言ってくれた。

「そしたら、早速だけど、行く?」

 今日は渋谷から代官山まで散歩しながらカフェでも行こうかと話していたのだ。

「ん。でもその前に」
「?」
「スマホの写真。消そな」
「え?」
「俺の写真さっきコソコソ撮ってたやろ。いくら彼女とはいえ盗撮はアカンで」

 うわ、バレてた。しかも蔵の様子を見ると、わりと本気モードで怒っている気がする。きっと彼は学生時代からこういうことをずっと経験して、嫌な思いをしてきたのだろう。推し量れなくてごめんなさい。素直に謝る。

「ごめんなさい……」
「彼女なんやしそないなことせんと普通に撮ったらええやん」
「……うん。嫌な思いさせてごめんね。消すね」

 慌ててスマホを取り出してカメラロールを表示する。一番左上に表示される、さっき撮ったばかりの蔵の写真。削除しようと指を動かしていると、一緒に画面を覗いていた蔵が言う。

「……すまん。怒るより先に何で写真撮ろ思ったんか理由聞かなあかんかったな」
「え、蔵が謝ることないよ」
「いや、勝手に過去の経験と結びつけて怒ってもうたのは俺や。な、写真消す前に聞かせて?」

 そう言う蔵の声色はいつもの優しいものに戻っていた。珍しく蔵を怒らせてしまって萎縮していた心臓が溶けていくのを感じる。

「……私を待っててくれてる蔵の姿見てたら、すごく好きだなぁって思って……そしたらその瞬間を保存したくなってつい……」

 これ、改めて言葉にすると結構恥ずかしいやつかもしれない。蔵も何かを堪えるように口元に手を当てている。これは照れている時の仕草だ。

「……理由聞いてよかった。聞かへんかったら、一生こんな可愛え理由知らんままやったわ。今まで勝手にSNSに投稿されたりして盗撮に良い思い出なかってんけど、今初めて知らんとこで写真撮られるの嬉しい思ったで。せやから、消さんでええよ」
「……いいの?」
「ああ」
「そしたら、ロック画面にしても……?」
「お、一気に調子乗ったな?」

 蔵はそう言うと、コートに入れていたポケットから出した右手で、私の左手を取る。

「ロック画面にするんやったら、2人で写ってる写真の方がええんちゃう?」
「え?!恥ずかしいよ」
「どっちも似たようなもんやろ。ほな、今日はデートしながらツーショットいっぱい撮らなあかんな」

 隣にいる蔵は、機嫌よさそうに代官山方面に歩き出したので、私もそっと同じ方向に足を踏み出した。

Fin.
2021.11.11