部活が終わった後更衣室で制服に着替えているときに、ふと気がついた。
ネックレスが、ない。
高校の制服は相変わらずのセーラーだったけれど、ぎりぎりネックレスをしていてもバレない程度には襟があった。だから、それをいいことに、私は毎日同じネックレスをしていた。光とつきあってからはじめて迎えた私の誕生日に、光が私にくれた、ネックレス。つきあいはじめたばかりのころのデートで行ったお店で、私がずっと買おうかどうか迷っていて、でも結局買うのをやめてしまったネックレスを、光は覚えていてくれたのか、誕生日にプレゼントしてくれた。もらったとき、嬉しさのあまりに涙が出そうになって、光にからかわれたのを覚えている。
そんな、大切なネックレスを、どうやら私は、
――嘘、どこかで落とした……?
部活中は、絶対あったのに。背中に冷や汗が流れる。どうしよう。どうしよう。
部室で日誌を書いているときは、確か首にはネックレスの感触があった。なら、いつ、どこで落としたんだろう。あ、そうだ、もしかしたら、さっき体育倉庫にテニスボールのカゴをしまいに行ったときに、倉庫で落としてしまったのかもしれない。
いっしょに帰る約束をしている光は、きっとまだ部室で着替えているはず。
光と校門で待ち合わせている時間までは、あと10分。
うん、10分あれば倉庫でネックレス探せるはず……!
スクールバックを肩にかけると、ダッシュで私は体育倉庫へ向かった。
*
「……何でないん」
喉の奥からしぼり出たような声は、まるで自分の声なのに、自分の声ではないかのように震えていた。倉庫を探してもネックレスはない。倉庫の周りだってちゃんと四つん這いになりながら確認をした。もちろん、倉庫の中だって、くまなく探した。なのに、いわば最後の砦の体育倉庫にも、私のネックレスは、ない。すっかり制服がほこりまみれになってしまって、スカートのプリーツも崩れ始めてはいたけれど、そんなのどうでもよかった。倉庫の暗がりの中、外から入ってくる光を頼りに腕時計で時刻を確認すると、もう光との待ち合わせ時間を15分も過ぎている。
「……でも、どないしよ、」
こんなほこりまみれの恰好だったら、絶対に不審がられてしまう。訝しげな顔をした彼が目に浮かぶようだった。それに、せっかくもらったプレゼントをなくした分際では、彼に会わせる顔もない。
――ほんま、どこいってもうたんやろ。私のネックレス。
鼻の奥がつんとする感覚に、首を振る。あかん、泣いたら負けや。あきらめるのはまだ早い。
そんなときだった。
「何しとんねん、麻衣」
そんな言葉とともに影が差して、視界がさらに暗くなる。床に座り込んだ状態のまま反射的に振り向くと、倉庫の扉に手をかけながら少し焦ったような顔をした光が立っていた。
「――ひ、光、何で」
「『何で』もなにも、時間になっても自分来ぉへんし、携帯に電話かけても無反応やし。めっちゃ探したんやけど」
「あ……ごめん……携帯、鞄に入れっぱなしで……」
「……つか、」
光はそのまま体育倉庫の中に足を踏み入れて、私の手首を掴むと、そのまま私を立たせるように上に引っ張った。そのまま引っ張られるがままに体育倉庫を出ると、暗いところに目が慣れていたせいか、逆に西日が眩しい。
「いっぱい聞きたいことはあんねんけどとりあえず、」
「う、うん……」
「何でそない泣きそうな顔してるん」
いつになく真剣な顔をした光に、嘘をつく気にはなれなかった。
今となっては何もついていないさびしい首元を、空いているほうの手でおさえる。
「……光、ごめんな、私、せっかくもらったネックレス落としてもうて……」
「は?ネックレス?」
「……中学のとき、誕生日にもろたネックレス……めっちゃ大事にしててんけど、今日気づいたら、なくなってて……たぶん体育倉庫で落としたはずやねん。せやから今までずっと探しててんけど、結局なくて……」
声に出すとなんだか情けなさが倍増だ。なんであんな大切なもの、落としてもうたんやろ。
――私の宝物やったのに。
視界が目にたまった涙でゆらぐ。それなのに、光はそんな私の横で、ぶっ、と吹き出したかと思うと、めずらしく声を押し殺しながら爆笑しだした。え、何で?!そこ笑うとこちゃうやろ……!
「な、何で笑うん」
「心配してソンした思て」
「どういう意味」
「こない汚い倉庫におるし、そないなカッコやし、最初はいじめにでも遭うたんか思ってめっちゃ焦ってんけど、ネックレスて……ぷっ、あかん、原因平和すぎやろ」
「もう、確かに光の言う通りやけど、笑うことないやん……」
私の涙はいつの間にかひっこんでしまったけれど、口ではいじわるなことばかり言って私をからかうくせに、さりげなく私の制服についたほこりをはらってくれる彼のやさしさに、ろうそくの炎が灯ったように胸の奥が温かくなる。
「ネックレスのことで俺に申し訳ないとか思ってるんやったら、それは別に気にせんでええ。どうせ安物やったし」
「……値段の問題ちゃうもん。私、ほんまに大事にしてたのに……光からもらった最初のプレゼントやし……」
「そんなん言われんでも知っとるわ。せやけど、」
「せやけど?」
そう私が次の言葉を促すと、光は少し黙ったあと、一回しか言わんからよう聞きや、と前置きをする。私がこくりと頷いたのを確認して、光は口を開いた。
「――俺は、こないなるまで麻衣がネックレスを必死に探してくれたっちゅー事実だけで、十分やから」
そう言うと同時に私の肩の上に乗ったわたぼこりをはらう光を思わず見上げる。
目が合ったかと思えば、今度は、光は私の頬に手を伸ばした。ひんやりした光の手が火照った私の頬に触れた瞬間、胸が、きゅ、としめつけられる。
――前言撤回。光は確かにいじわるなことばかり言って私をからかうけれど、たまには、こんなにやさしいことも言ってくれて、そんな彼に、私は心底惹かれているのだ。今だって、そんな気持ちが心の中に収まりきらなくて、言葉になってあふれていく。
「光、」
「何、」
「……だいすき」
「あほ。まつげにまでゴミつけながら何言うてんねん。とったるから目ぇ瞑り」
「え?!恥ずかし……!」
――あーもう、せっかく、良い感じや思ったのに……!まつげのゴミのせいで、さっきまでの甘い雰囲気は一気に崩れ去ってしまった。軽く落ち込みながら言われた通り目を伏せる。すると、ため息交じりの光の声がした。
「……麻衣。自分、ほんまあほやろ」
「は?」
ゴミついてるとか、麻衣に目ぇ瞑らせる口実に決まってるやん。
そんな種明かしをされたのは、強引に重ねられたくちびるが名残惜しそうに離れたあとだった。
Fin.
2010.5.7
2021.8.29一部修正