ぼくの聖域は狂わない

 人間、理由もなくいらいらして、へこむときもあると思う。今の俺はちょうどそんな状態で、すべてのことにやる気を失って、誰もいない教室の机に突っ伏して、首だけを横に向けて、そのまま君の席を見つめる。ただ、その席の主である君は、もちろんそこにはいない。けれど、俺にはその残像が見える。幻の君の姿に、目を細める。本物の君は、今頃、俺の知らない男といっしょに楽しい時間を過ごしているというのに。

「ねえ幸村!私、告白されちゃった!どうしよう!」

 あの日、その台詞を聞いた瞬間、胃袋が一気に重たくなったような不快感がした。

「……告白くらいでいちいち騒ぎすぎだよ、麻衣」
「そりゃ幸村は1年中愛の告白されまくってるから何でもないことかもしれないけど、私にとっては人生はじめてなんだよ……」
「相手、誰」
「E組で去年同じクラスだった人。たぶん幸村は知らないと思う」
「ふーん。そっか。それで、何て答えたの」
「いや、それが……えっと……『1日考えさせて』って……」

 いつもなら俺や真田と対等にわたりあっているくらい男前でさっぱりしているくせに、今日の麻衣はらしくもなく顔を赤らめて、もじもじしている。それを見て、俺の中の不快感はさらに増す。

「ねえ、幸村、……どうしたらいいと思う?」
「何で俺に聞くのさ。自分で考えなよ」
「…そ、その通りなんだけど………」
「麻衣は、その相手のこと、好きなの?」
「……友達としては好き、だけど……恋愛感情かどうかはわかんない」
「そっか。なら、試しにつきあってみればいいじゃない。とりあえず『好き』なんだったらさ。それで、恋愛感情として好きなら万々歳だし、もし、それで友達以上の感情は抱けないってわかったら別れればいいんだし」
「な、なるほど……!」

 不機嫌そうな俺の声色にも気づかないほど動揺している麻衣に、さらに俺は不快感を覚える。そして次の日、俺の適当に繕ったアドバイス通り、麻衣はそのE組の男とつきあいはじめた。それからだ。意味もなくいらいらしたり、意味もなくへこむようになったのは。今日も麻衣は、彼とデートだとか何だと言って、掃除当番代わって、と俺に教室掃除を押し付けてさっさと帰ってしまった。
 ああ、もう、何なんだ。どうしてこんなに、胸やけがするんだ。
 そのとき、ガラガラと教室のドアが開いたかと思ったら、女子生徒がひとり泣き顔でかけこんできた。と思ったら、それは麻衣じゃないか。デートはどうしたの。

「ゆ、ゆきむら……何でいるの」
「……さあ。何でだろう。麻衣こそどうしたの。俺に掃除押し付けたくせに。デートだったんじゃないの?」
「……別れた」
「は?」
「逃げてきたの。やっぱり私、あの人のこと友達以上には思えなかったみたい」
「……なんでまた、そんな突然」
「――校舎裏で、嫌だって言ったのに、無理やり、キスされそうになった」

 その瞬間、相手の男を一発ぶん殴りたい気持ちになった。さっきまでの胸やけは、もっとくっきりとした怒りの形に姿を変える。俺は身体を起こす。麻衣は、真っ赤な目で俺を見る。

「……彼女の合意もなしにキスするような男なら別れて正解だよ」
「うん」

 おいで、と言えば、従順な麻衣は俺の隣の席に腰をかける。ゆっくり背中を撫でてやると、麻衣は我慢していた涙をぽろぽろと流した。

「あんな人だと思ってなかったのになぁ……」
「まあ、つきあってみないとわからないこともあるでしょ」
「……なんか今日、幸村やさしいね?前、彼とつきあうかどうか相談したとき、結構冷たかったのに」

 なんだ、わかってたんじゃないか。俺がわざとそっけなくしていたこと。

「……やっぱり彼氏はしばらくいらないや。幸村がいてくれればいい」

 そんなことを呟く麻衣に、思わず口角が上がった。そうだよ、麻衣には俺がいればいいんだ。
 君は、俺の聖域なんだから。

Fin.
title by 星空