The end of summer

 小学校の同級生だった蔵は、私の初恋の人だ。はじめて出会ったのは1年生の教室。そこから6年間同じクラスで毎日を過ごした。蔵と私はきっとお互いにひかれあっていたのだけれど、まだ彼も私もその気持ちをちゃんと「恋」に昇華するには幼すぎた。

 私は中学受験をして私立中学に通うこととなり、蔵は蔵で四天宝寺中に進学することになった。卒業式の日、何か言いたげに蔵に「麻衣」と名前を呼ばれたけど、私が「何?」と答えた時には、蔵は他の男子に話しかけられてしまっていて、結局蔵が何を伝えたかったのかはわからないままだ。

 毎年恒例の地元の神社のお祭り。中学最後の夏、少しおめかしして参加しようと浴衣を着てみた。小学校から同じ中学に進学した親友の理沙に声をかけて、理沙と2人でお祭りを回る。

「麻衣、めっちゃ浴衣可愛い!」
「理沙も浴衣めっちゃ似合う!キレイ!」
「もし蔵が今の麻衣の浴衣姿見たらめっちゃ喜びそうやわ〜」
「……もう、蔵って。いつの話をしてんねん」
「せやって、蔵も麻衣も小学校の頃絶対お互いのこと好きやったやろ?卒業してから付き合ってないどころか1回も会ってないって聞いてほんまびっくりしたわ」
「あはは。もう3年近く前の話やで。蔵も私のことなんて名前も覚えてへんやろ。四天宝寺ではどうやら爆モテの『白石くん』みたいやし」

 四天宝寺中に進学した友達から、蔵の噂は聞いている。全国レベルのテニス部の部長をしているとか、女の子からめちゃくちゃモテててバレンタインのチョコの数がバグってるとか。それを聞くと、きっと彼女の1人や2人いるだろうし、もう私のことなんて忘れてしまっているだろう。

「──でも麻衣はまだ好きやんな?蔵のこと」
「な、何言うて」
「麻衣、結構モテるのに『他に好きな人いる』言うて誰とも付き合わへんやん」
「……やっぱり理沙には隠しごとできひん」
「当たり前やん。うちら親友やねんで」
「そのうち他に好きな人できるやろ思ってたんやけど……なかなか忘れられないもんなんやね、初恋って」

 そんな話をしていたら少ししんみりしてしまった。理沙はそんな私を気遣ってわざと明るい声を出す。

「そや、あっちでわたあめ売っとったし、買いに行かへん?私めっちゃわたあめ食べたい!せっかくのお祭りやし楽しも?」

 そんな親友の気遣いが嬉しい。私も、うん、と笑顔で頷いて、理沙といっしょにわたあめを買いに行くことにした。

 そして、わたあめやさんの前で、事件は起きていた。赤い髪の少年がやたら大声で喚いている。そして、それを保護者のような男性が諌めている。

「嫌やー!ワイ、わたあめもベビーカステラもどっちも欲しいねん!」
「せやけど、お小遣い足りひんのやろ?ワガママはそこまでにせんとどうなるかわかっとるよなぁ、金太郎」
「毒手は嫌やー白石ぃ〜!堪忍!わたあめだけにするわ」
「ん。ほんなら金ちゃん、好きなキャラクターのやつ選び」

 赤い髪の少年は、わたあめを機嫌よく選びはじめた。そして保護者のような男性は「騒がしくしてもうてすんません」と周りに頭を下げる。よく見ると、その男の人も、普通に10代の男の子だった。そして、もっとよく見ると──

「…蔵?!」

 私より先に理沙が声をかけていた。

「理沙やん。めっちゃ久しぶりやなあ!」
「何や白石、知り合いか?」
「小学校の同級生やねん」

 蔵は赤い髪の少年以外にも数人の男の子とこのお祭りに訪れていたようだ。そして、蔵の視線が、理沙の後ろでコソコソしていた私の姿を捉えたのもわかった。

「……麻衣も。久しぶり」
「あ、久しぶり、蔵」

 まさか、こんなところで蔵に再会するなんて。お互い少しぎこちない雰囲気になってしまった。そんな様子に気づいたのか気づいていないのか、理沙と蔵の友人達はお互いに社交的な性格のようで勝手に自己紹介をはじめている。

「みなさんはじめまして、三浦理沙といいます」
「あ、俺らは四天宝寺中テニス部のメンバーで、」
「財前です」
「お前なんで先にちゃっかり自己紹介しとんねん!」

 意外とたくさん人数がいて覚えられない。ザイゼンくん、オシタリくん、イシダくん、チトセくん、ヒトウジくん、コンジキくん、コイシカワくん……あ、もう誰が誰かわからへん……!

「ほら、麻衣も挨拶!」

 理沙にそう言われてハッとする。

「あ、支倉麻衣です!よろしくお願いします」
「ねーちゃんたち可愛えなぁ!ワイ、遠山金太郎いいますねん。よろしゅうよろしゅう!」
「こら、金ちゃん!ナンパもあかんで」

 さっきの赤髪の子だけは覚えやすい。金ちゃん。そんな金ちゃんの頭を押さえながら、蔵は言う。

「やかましゅうてすまんなぁ」
「楽しそうでええやん。てか蔵、卒業以来やけどめっちゃ背伸びたなぁ。どこのイケメンかと思ったわ」
「何や理沙、会ってすぐ口説くなんてやるなぁ」
「あはは。せやけど蔵が口説きたいのは私やなくて麻衣やんな?」

 ちょ、理沙、いきなり何を言うてくれてんねん!他のメンバーは後ろでワイワイガヤガヤ雑談してくれていて、私たちのこんな会話は聞いていなかったようで助かった。そんなとき、おそらくコンジキくんが、こんな提案をしてくれた。

「理沙ちゃん、麻衣ちゃん、ここで会うたのも何かのご縁やしよかったらウチらと一緒に回らへん〜?女の子おったほうが楽しいやん?」
「小春!浮気か!死なすど」
「やぁん、ユウくん、アタシはいつもユウくん一筋やで♡」

 この2人の関係は一体?!あっけにとられた私が返事をする前に、理沙が「ぜひ!」なんて回答していた。まさか、蔵と蔵の友達とお祭りを回ることになるなんて。

 蔵の友達は、聞いてもないのに勝手に蔵の近況を教えてくれた。2年の時から部長を務めているテニス部は去年は全国大会ベスト4で、今年ももうすぐ全国大会を控えているとか、逆ナンしてくる女の子にいつも困ってるとか、勉強はできるのに笑いのセンスはイマイチだとか。理沙とブリーチしてる男の子(名前が思い出せない…)の会話はどんどん盛り上がっていく。

「へー蔵、モテるんやな」
「ホンマえげつないくらいモテんねんけど彼女おらんねん、アイツ」
「そうなんや。テニスが恋人っちゅうやつ?」
「表向きにはそう言っとるけどな。ほんまは好きな子がおるらしいねん」

 『好きな子』──そのワードがやけに耳についた。彼は中学でどんな恋をしてきたんだろう。蔵に想われているその子がうらやましい。私は蔵を忘れられへんのに。聞きたくなかったな。
 理沙も私の方をチラリと見て、ごめん、と伝えたいのか申し訳なさそうな視線だけ送る。こんな形で失恋か。そりゃそうやんな、3年も経てば蔵にだって他に好きな人ができて当然だ。
 終始だんまりな私は、彼らにはどう映っているだろう。私だって普段はこんな大人しいキャラではないのに。

「麻衣!お腹痛いん?」
「えっ?!」
「さっきから何や暗い顔してんねんもん」
「金ちゃん、心配かけてごめんなぁ。元気やで」
「ほな、お腹空いたんか?ワイのわたあめ、食ってもええで!」
「ふふ。それ金ちゃんの大事なお小遣いで買ったやつやろ?気持ちが嬉しいわ。ありがとう。でも金ちゃんが全部食べてな」
「麻衣、やっと笑った!」

 金ちゃんは全力の笑顔を私に向けてくれた。この子、めっちゃ癒しやなぁ。うん、もう蔵のことは一旦脇に置いて今日は楽しもう。

「そろそろ花火の時間やで」

 小石川くん(やっと全員の顔と名前が一致した)がそう教えてくれて、みんなで花火の見やすいところへ移動する。まさかこんなにぎやかな花火鑑賞になるとは思っていなかった。

「麻衣、楽しめとる?」
「理沙、ありがとう。楽しいで」
「そか。ほな、良かった」

 理沙は、眉を下げて安堵のため息をついていた。彼女は、謙也くんが何の悪気もなしに言った例の蔵の『好きな子』発言をだいぶ気にしているみたいだった。理沙も謙也くんも何にも悪くないのに。
 現に、今日は四天宝寺のみんなとたくさん会話ができて楽しいのだ。ただ、蔵とだけは全然話していないけれど。

「麻衣ー!いっしょに見ようやー!」
「うん、ええよ〜」

 金ちゃんにだいぶ懐かれた私が、ほのぼのと会話をしていたときだった。

「金ちゃん、ずーっと麻衣とおるやろ。俺にも麻衣と話させてくれへん?」
「えー嫌や白石ぃ!麻衣はワイといっしょやもん」
「理沙も金ちゃんと話したい言うてたで」
「そうなん?ワイも理沙と仲ようなりたい!」
「ん。ほんならあっちに理沙と財前と銀おるからあっち行っとき」

 突然現れた蔵はまるで魔法のように金ちゃんを動かしてしまって、なぜか私たちは2人になった。蔵は何も悪くないけれど、さっきの謙也くんの発言で失恋直後の私にとっては相当気まずい。なるべく平静を装って対応する。

「麻衣、ほんまに久しぶりやな。会わんうちに綺麗になったな」
「お世辞でも嬉しいわ。蔵こそめっちゃ背伸びたんやなぁ。卒業式のときは身長同じくらいやったのに。声もちゃうし」
「まぁな。それくらい月日が流れたっちゅーことやな」

 蔵はそう言って笑う。その笑顔にはかつての面影があった。

「元気にしてるん?」
「見ての通りや。毎日こんなんやで」
「楽しそうでええなぁ」
「せやろ。麻衣は元気なん?」
「んー。ぼちぼちかな」
「さよか。ま、あんまり無理したらあかんで。毎日暑いし」

 こうやって会話をするとまるで3年近くも会っていなかったのが嘘のように普通に会話が進んでいく。小学校の頃はこうやって毎日蔵と会話をしていたな。昨日見たテレビの話、夏休みの自由研究の話、空に浮かんでいる雲の形や道端に生えている草花について語り合ったこともあったっけ。そんなだから、今だって目の前に上がっている花火について、私たちは話している。

「……キレイ」
「リチウムの炎色反応やなぁ」
「えーその感想めっちゃありえへん…!」
「はは、すまん。麻衣の前だと素が出んねん」
「もう、世の中の女子はロマンチックなのが好きなんやで。私の前やったらええけど、ほんまに好きな子の前でそんなん言うたらあかんよ」

 そう言うと、蔵はなんとも言えない表情に変わった。何でそんな顔すんねん、好きな子おるんやろ。

「麻衣、卒業式の日覚えとる?」
「──うん、覚えとる」
「俺、ホンマはあの時麻衣に『好きや』言うつもりやってん。中学別れてまうし、最後のチャンスやって。まぁ、邪魔入ってもうて結局言えへんかったんやけどな」
「あはは。そうやったんや。私もあの時蔵のこと好きやったで。伝えてくれとったら、付き合ってたのかなぁ」

 ──何で今そんなこと言うねん、アホ。
 あの時蔵のこと好きやったで、なんて、笑顔で強がりを言ってみたけど、本当は泣きそうだった。蔵にとってはもう全部過去の可愛い初恋の思い出なのかもしれないけど、私にとってはこれは過去でもあり今でもある。
 あの時蔵がちゃんと私に想いを伝えていてくれたら、今頃私たちは恋人同士としてここに立てていたのかもしれない。でも今彼には他に好きな人がいる。運命は時に残酷だ。蔵の顔が今は見れない。たぶん顔を見たら涙が出てしまう。だから、夜空の花火を見ることに集中した。紫の花火、あれはカリウムの炎色反応。そうやってロマンチックと程遠いことを考えていれば、だんだん心も落ち着くはず。

「──俺、今からめっちゃ女々しいこと言うわ」
「女々しいこと?」
「麻衣にとってはもうずっと前のことで過去の思い出かもしれへん。せやけど、俺、あれからずっと麻衣のこと忘れられへんかった」

 え。
 思わず蔵のほうを向いてしまった。

「ずっと連絡とらへんかったら、麻衣のこと忘れて他に好きな子でもできるやろって最初は軽く思っとった。せやけど、全然無理やった。女の子に『好きや』言われる度、麻衣の顔浮かんで、麻衣のこと全然忘れられてへんことに嫌でも気付かされてん」
「……せやけど、蔵、好きな子おるって謙也くんが言うてたで」
「せやから『好きな子』イコール麻衣のことや」

 嘘、いや、でも嘘であってほしくない。

「──蔵、私も同じやねん。蔵のこと忘れて他の人好きになれるんちゃうかって思っとったけど、全然忘れられへんかった。今日、間接的に謙也くんから蔵に好きな人おるって聞いて、せっかくのお祭りなのに失恋した気分でずっと泣きそうやった。──けど、今はめっちゃ嬉しい」
「……麻衣、それホンマ?」
「嘘ついてどないするん」
「はは。せやな。お互い3年近く遠回りしてもうたけど、遠回りした分、これからたくさん埋めてこな」

 蔵がそう言った直後、花火はクライマックスに入ったのかこれでもかというくらい連続で打ち上がり、打ち上げ音と観客の歓声で音が聞こえにくくなった。

 そんな中、耳元で聞こえてきたのは、3年間、私が心の奥底で待ち望んでいた言葉だった。

「麻衣、好きやで」

Fin.
2021.8.25