12月24日金曜日。街中に恋人たちが溢れかえるこの日、私はアルバイト先の制服に身を包んでいた。
私のバイト先は、あろうことか、記念日や誕生日によく予約をされるような、少しお高めの隠れ家レストランだ。だからこそ、クリスマスイブとクリスマス当日は超繁忙期。お休みをくださいなんて口が裂けても言い出せるような雰囲気ではなかった。それでもオーナーは優しくて、「イブは難しいけど、クリスマス当日はイブよりは忙しくないから、休んでいいよ」と言ってくれて。なので私は、明日の休みを楽しみに、自分と同世代か少し年上の恋人たちに、一生懸命に料理をサーブしているのである。
半個室のような席で、恋人たちは思い思いの時間を過ごしている。会話の内容は、別に聞きたいと思っているわけではないが、時折聞こえてきてしまう。幸せそうな彼らの様子に、思わずため息が出そうだ。――いいなあ。
一緒に過ごす相手がいないわけではない。むしろ、一緒に過ごしたい相手がいるからこそ、この特別な夜を一緒に過ごせないのが、今更寂しくなってきた。謙也は今頃、何してるのかな。
先日、イブにバイトが入ってしまったと謙也に告げたところ、彼は「そら、しゃーないな!頑張りや!麻衣の家で待ってるさかい」と文句なんて一切言わず、笑っていた。それでも私は気づいてしまったのだ、私がバイトが入ってしまったと告げたほんの一瞬だけ、謙也が寂しそうな顔をしたこと。憶測にすぎないけれど、もしかしたら謙也は、私とどうやってクリスマスイブを過ごそうか、既に色々と計画を練ってくれていたのではないのだろうか。ただ、私のバイトが入ってしまったことで、その計画を無に帰してしまったのではないだろうか。そう思ったら、申し訳なさが襲った。ごめんね謙也。
「支倉さん、次3番テーブルにメイン運んでくれる?」
「はい、かしこまりました」
ふと、またすぐに仕事が降ってきて、謙也に思いを馳せる余裕もなくなってしまう。やっぱり今日は1年で一番忙しいかもしれない。色々なテーブルに色々な料理とドリンクをサーブしていたら、あっという間に閉店時間になってしまった。
閉店した後も雑務がある。この調子だと家に着くのは日付が変わるころになりそうだ。せめて日付が変わる前に帰れたらいいな。
*
自分の家のエントランス前にたどり着いたのは、23時50分だった。イブが終わるまであと10分。今日は謙也に家の鍵を預けているから、オートロックで自分の部屋の番号を押して、謙也を呼び出す。
「麻衣です」
『お疲れさん!今鍵開けるで』
機械越しだけれど、深夜には似つかわしくない謙也の太陽のような明るい声が聞こえてきて、ふと顔がにやけてしまう。普段一人暮らしの家に、こうして待っててくれる人がいるのが、なんだか幸せだ。
謙也が開けてくれたエントランスの自動ドアを抜け、エレベーターに乗って自分の部屋のある階へ。そして一応部屋のインターホンを押す。すると、部屋の内側からドアがガチャリと開いた。え、そこにいるのは――。
「1日お疲れさん、麻衣!ええ子の麻衣のところにサンタさんがやって来たで!」
「えっ、謙也、そのカッコ……!!」
やばい、笑いが耐えられない。待って待って待って。
目の前には、サンタのコスチュームに身を包んだ最愛の人。ちゃんと白い付け髭までしている。口を手で押さえて笑っている私に対して、謙也はドヤ顔で言う。
「どや、サンタの格好、似合うてるか?」
「……う、うん。似合ってるよ。後で写真撮らせてね」
「そうか?ド○キで買うてきて良かったわ〜」
無事サンタのコスプレが大ウケして上機嫌な謙也は、早よ入りや、と私を促す。そうだ、このまま玄関で立ち話をしていてもしょうがない。それにしてもサンタの謙也、可愛いなぁ。可愛いとか言ったら本人は嫌がりそうだけど。
そのまま部屋に入ると、自分の部屋なのになんだか自分の部屋じゃないようなことが起こっていた。1Kの小さな部屋のローテーブルの上には、小さなホールケーキと、シャンパンやチキンなどのご馳走が載っている。そしてよくわからない小さいサンタとトナカイのオブジェも載っている。
「えっ、すごい!これ謙也が準備してくれたの?」
「おん。サンタさんやからな!」
「ぷっ、ねえ、いつまでサンタ設定引きずるの」
元々25日が休みなのは伝えていたから、25日は二人でデートして外で美味しいごはんでも食べようかとは話し合っていたのだけど、まさか24日の夜に謙也がこんな準備をしてくれるなんて思っていなかった。
「明日ちゃんとデートするし、今日はいつもの晩ごはんでもええんかなとも思ったけど、せっかくやしな。スーパー行ったらご馳走だらけやったで。あとケーキは駅前のケーキ屋さんで買うたわ」
「えっ、駅前のケーキ屋さんのなの?!」
「せや!麻衣、あそこのケーキ好きやろ」
「……でもあのお店人気だし、予約しないと買えなかったんじゃ」
そう言うと謙也はぎくりとしたような表情で「さ、さあ、どうやろな〜」と目を泳がせた。もう、本当に嘘つけないんだから。きっと前から予約しておいてくれてたんだね。胸がキュンとしてしまう。
「ねえ、このオブジェ何?」
「可愛いやろ!100均で見つけてつい買うてもうたわ」
変なオブジェ、と言ったら怒られるだろうか。あんまり可愛いとはいえない微妙なセンスのサンタとトナカイのオブジェは、彼が今でも大切に持っている中学時代の変な消しゴムセレクションを彷彿とさせる。
今までの話を整理すると、私がバイトしている間の彼の行動はこうだ――まず、駅前のケーキ屋さんに予約したケーキを取りに行って、そのあとスーパーでお買い物をして、100均に寄り道してオブジェを買って、私の家に帰った後はそれらのセッティングをして、サンタのコスプレに着替えて、付け髭をつけて――そして私の帰りを待っていてくれたのだ。日付が変わる直前まで。
不意に、ぎゅるるるるる、という音が聞こえた。謙也のお腹が鳴る音だ。そうだよね、ずっと食べないで待っててくれたんだもんね。
「うわ、腹鳴ってもうた、恥ずっ」
謙也はサンタの格好のまま照れていたけれど、すぐに私の異変に気づいて、びっくりしたような表情に変わる。
「麻衣、え、泣いてるん?」
「――ご、ごめん、謙也、」
「俺、何やまずいことした?」
「違う。その逆」
謙也がどれだけ自分を大切に想ってくれているかが、一つ一つの行動から伝わってきて、思わず手に持っていたバッグを放って、サンタの謙也の腰に抱きついた。その胸に顔を埋めると、謙也も私にそっと腕を回す。
「――謙也、いっぱい準備してくれてありがとう。大好き」
そう伝えた声は涙声になってしまったけれど、謙也にはちゃんと伝わったようで、彼は左手を私の後頭部に持っていってぽんぽんと頭を撫でてくれた。そして少し腕を緩めると、彼は私に視線を合わせるようにかがんで言う。
「明日は休みやし寝坊できるやろ。今から二人で楽しもな」
「うん」
「――俺も麻衣が大好きやで」
そのまま目を細めた謙也は、いつもより大人びた表情でドキッとした。そのまま無言で見つめ合って、どちらともなく触れるだけのキスをする。白い付け髭が触れてなんだかくすぐったいこのキスは、きっと私の中で一生の思い出になるのだろう。
Fin.
2021.12.24