レモンティーは口実

「何や、麻衣、今日は購買なん?」

 昼休みも半ばに差し掛かったころ、購買に行くと、偶然謙也に会った。謙也は私の彼氏ではあるけれど、学校ではそのことはヒミツにしている。校内でもそれなりに人気のある謙也とただのテニス部マネの私がつきあっているとばれてしまうと、お互いいろいろ厄介だからだ。だから、そのことを知っているのは、金ちゃんを除いたテニス部のメンバーだけ。
 結局何が言いたいのかというと、校内で謙也と私は行動を共にすることがない。昼休みだってお互い違うクラスだから会うこともない。なのに、今日偶然購買で、しかもお互いに友達を連れ立っていなくて一対一で会うことができるなんて奇跡的だ。

「ううん、ただレモンティー買いにきただけやで。謙也は?」
「俺もまぁそんなとこや。コーヒーやけど」

 購買のおばちゃんにお金を払いながら謙也はコーヒー飲料のノンシュガーを手にする。私も慌ててレモンティーを頼んだ。

「せっかく偶然会えたんやし、いっしょに休憩せえへん?」

 謙也の背中についていくと、たどりついたのは屋上へ続く扉のある踊り場。短い昼休み、さすがにこんなところに人は来ないらしい。

「それにしても、ホンマ、はじめてやな。校内でこうやって部活以外のことで二人きりになるの」

 ストローを挿しながら謙也はそう呟いた。私も紙パックの口を片側だけ開いて、そこにストローを挿すと、もう一度ストローを固定するようにパックの口を閉める。

「ほんまや――なんや、どきどきするなぁ」
「え?」
「誰かにバレへんかなって」
「何や、そっちの意味やったんか」

 少し気が抜けたように肩を落とす謙也を見て、私は彼が期待していたほうの意味に気づく。

「…あ、ごめん」
「謝られると余計傷つくっちゅーねん」

 わざと拗ねたフリをする謙也はストローをちゅーちゅー吸っている。なんだかそれがすごくかわいく思えて、思わずレモンティーのストローを吸う口元が笑ってしまった。いつ飲んでも、レモンティーはおいしい。

「……げ、俺としたことが、思わずやけくそになって飲んでしもたせいで、もう中身あらへんわ」

 まだ一分も経っていないのに、謙也はコーヒーの容器を逆さにする。コーヒーは一滴も落ちて来ない。

「え、はやすぎちゃう!胸やけしそう」
「浪速のスピードスターは飲むんも速いっちゅー話や。麻衣はまたずいぶんのんびり飲むんやな」
「ストロー短いから、気ぃつけへんとパックの中に落ちてまうねん」
「よう、まあ、そんなめんどくさい飲み方すんなぁ。そのペースやったら飲み終わるまでに昼休み終わってまうで。ちょぉ、貸してみ」
「あっ、ちょお、謙也!」

 謙也は私の手からレモンティーの紙パックを奪い取ると、ストローを引き抜いて、パックの片側の口をもう一度開ける。そのまま謙也はダイレクトにパックを口に当てると、ごくん、と喉を鳴らした。

「このほうが早いやろ」
「……そらそうかもしらんけど。好きな人の前でそんな男前な飲み方できひん」

 何も考えないで言ったそのセリフに、謙也は、ほぉ、と目を細めて意地悪く笑う。この顔は何かを企んでいる顔だ。

「かわええとこあるやん。ほな、こういうのはどや?」

 謙也はもう一度パックに口を当てる。ここまではさっきと同じだけれど、なんとなく予想がついた気がする。そんな私の様子に気づいたのか、謙也は「逃げたらアカンで」とでも言いたげな目で私を一瞬だけ見つめると、すぐにその顔が近づいた。
 無意識に開いていた口から流し込まれる冷たいレモンティーは、やっぱり甘い。私はレモンティーを飲みこんでくちびるを離そうとしたけれど、謙也の舌が私の舌を捕らえて離さない。もうこれじゃあレモンティーなんて関係ない、ただのキスやん……!
 やっとくちびるが離れたころ、そう抗議すると、謙也は言った。

「せやなぁ」
「『せやなぁ』て……」
「せやけど、麻衣も、さっきとは違う意味でどきどきせえへん?」

 ――ずるい。そんなことを言うから、今まで気づかなかった心臓の脈を打つ速さに気づいてしまう。普段ヘタレのくせに、なんだか今日は珍しく謙也に翻弄されてしまっている。
 謙也はレモンティーの紙パックを床に置くと、またその手を私の顎の下へもっていく。まさに、その瞬間。

 キーンコーンカーンコーン。
 授業開始五分前を告げる予鈴が鳴る。

「……きょ、教室帰らんと」
「……この状況で?」

 目が泳ぐ。一度自覚してしまった脈は、どくどくどくと音を立てている。謙也と目が合わせられない。

「まだレモンティー残ってるで」
「………」
「どうする?」

 どうするもこうするも、きっと正解の選択肢は元々1つしかないのだ。

「……謙也のアホ。二人でサボって、うちらの関係、バレても知らんで」
「……ま、そのときはそのときや」

 ほんま適当やな、とツッコミたかったのに、謙也がまた私の唇を塞いだから、そのツッコミは幻となった。長い長いキスの途中で遠くから本鈴の音がして、『ほんまにサボってしもた、どないしよ』なんて頭の片隅では考えつつも、ほのかに残るレモンティーの味が私を溶かした。

Fin.
2009.3.17初稿
2021.9.17大幅修正