『ハラテツ先輩、卒業式の後、少し時間いただけませんか』
そんな連絡をもらった時から薄々当日何が起こるか感づいてはいたが、あくまで気づかないふりを続けた。それがきっと麻衣を一番傷つけないと思ったからだ。
麻衣の気持ちに気づいたのは、割と早かったと思う。きっかけは、俺が白石の姉さんを好きになったことだ。白石の姉さんが気になっている気持ちを部員達に一切隠さない俺も俺だが、そのせいか麻衣は俺から距離を置き始めた。最初こそ、何で麻衣が俺から距離を置く必要があるんや、なんて思ったが、ある可能性を考えた時に合点がいった。
――もしかして麻衣は、俺のことが好きやったんちゃうか、と。
そしてそれに気づいたときに一番最初に出てきた感情は。
なぁ麻衣、何で俺なんや? お前、好きになる相手がちゃうやろ。
俺なんかよりよっぽどええ男が、お前のこと好きなんやから、早よソイツを好きになりや。
なあ、白石。
***
「麻衣、気持ちはめっちゃ嬉しい。けど、お前の気持ちには応えられへん。ホンマに堪忍な」
「大丈夫です。ハラテツ先輩が白石のお姉さん好きなんは、知ってますから。逆に気持ち聞いてくれて、ありがとうございました」
「……お礼を言うのは俺のほうや。俺なんかを好きになってくれて、おおきにな」
その瞬間、今まで頑張って笑顔を作っていた麻衣の表情が不意に崩れそうになった。ああ、すまん、泣かせるつもりはなかってん。
慌てて顔をそむける麻衣もホンマに可愛い。ただ、その「可愛い」はやっぱり、俺にとっては異性のそれではなく、家族愛に近いものだった。
そんな麻衣に、せめてもの気持ちを。
「麻衣。手ェ出して」
「手?」
俯いたままの麻衣は、不思議そうな声を出しながらも、素直に両手を器の形にする。
「今までおおきにな。煮ても焼いてもええ。俺からの気持ちや」
「……第二ボタン」
「恋愛の意味での好きには応えられへんけど……俺にとって麻衣はそれくらい特別な後輩っちゅうこと」
「……ありがとうございます」
「高校行っても、たまにはテニス部顔出すつもりやから。今後ともよろしゅう頼むで、マネージャー!」
「はい! これからもよろしくお願いします」
「ん。ほんなら、俺、そろそろ行くな」
そう言って、麻衣の頭を軽くポンと撫でて、俺は三年の教室に戻ることにした。この後はクラスの打ち上げがあるし、それにきっと――この後、麻衣はここで泣くだろう。そう思ったら『俺』はそそくさと姿を消すほうが良いのだ。そして、ここにいるべきは、『アイツ』や。
***
不意にスラックスのポケットに入れていたスマホが震えた。取り出して通知を確認する。
――ハラテツ先輩? 何やろ、さっき教室には挨拶行ったし、テニス部の追いコン自体は来週やのに。
ただ、その通知の中身を開いて、一瞬で何が起きたか悟った。そして、ハラテツ先輩には何もかもが筒抜けだったことも、今知った。
メッセージはシンプルだった。
『三号館の裏。頼んだで』
ハラテツ先輩に自分の気持ちを話したことは一切ない。ハラテツ先輩の恋愛相談を受けることはあっても(何せ相手が自分の姉である)、俺がハラテツ先輩に恋愛相談をするなんてことはなかった。そのはずなのに――やっぱり、よう周り見とんなぁ、あの人。俺が一年の時からずっと麻衣を好きなこと、全部気づいていたのだろう。
半年前、麻衣は言った。卒業するときまで気持ちが変わらなかったら、そのときはハラテツ先輩に想いを伝える、と。真面目で律儀な麻衣のことだ、ちゃんと俺との約束通り、実行したのだろう。そう思うと、彼女の勇気を讃えたい。それに引き換え俺は、彼女に告白することを勧めておきながら、未だ彼女に想いを伝える勇気がない。いや、もっと正確に言うと。
麻衣はハラテツ先輩への恋心をなくしたがっていた。その意味で、告白をして自分の中で終わりにしたかったのだと思う。
――せやけど、俺は、まだこの気持ちを終わらせたいとは思ってへんのや。
*
三号館の裏にたどり着くと、校舎の影でしゃがみこんでいる女子生徒がいた。顔は隠されているが、紛れもなく彼女である。
「……麻衣。こんなとこずっとおったら風邪引くで」
「し、らいし……? 白石こそ、何でこんなとこに」
「まあ、ちょっとな」
顔を上げた彼女は、散々泣きました、と言わんばかりに目を真っ赤にしていた。そして、恥ずかしげもなくズズッと鼻をすする。
「ハハ、ティッシュ持ってへんの? これ使い」
「……ありがとう。ティッシュ持っててんけど……全部使い果たしてもうて」
「えらかったな。その様子やと、ハラテツ先輩にちゃんと伝えたんやろ?」
未開封のポケットティッシュを彼女に渡すと、彼女はそれを使って鼻をかみながら言う。
「……うん。半年前、白石と約束したから、今日ちゃんと伝えられた。おおきに」
「俺は何もしてへんで。麻衣がちゃんと勇気出した結果や」
「……ありがとう。やっぱり半年ってあっという間やったなぁ」
「ほんまやな。引退式の日が、昨日のことみたいに思い出せるわ」
そう言いながら、俺も麻衣の隣にしゃがむ。
彼女の気持ちが半年間変わらなかったのと同様に、俺の気持ちも半年間全く変わることはなく、むしろもっと大きくなっているような気もする。
――ホンマに半年って怖いくらいあっという間やな。
「なぁ、白石、これどうしたらええと思う?」
「これ、って……ボタンやんな」
「そう。ハラテツ先輩から第二ボタンもろてん。煮ても焼いてもええって言うてはったけど」
彼女の小さな手に乗っかる、ハラテツ先輩の第二ボタン。それを見て、俺はなぜかハラテツ先輩の気持ちを汲んでしまった。
――ハラテツ先輩、恋愛という形ではないにしろ、麻衣のことホンマに大切に想っとったんやろなあ。そうやなかったら、こんなん渡さへんやろ。
「麻衣は、このボタン、どうしたいん?」
「うーん……正直に言うてええ?」
「随分勿体ぶる言い方するやん」
「いや、笑われるかもしれんくて……」
「何やねんそれ。笑わんからとりあえず言うてみ?」
そう俺が促すと、彼女は言った。
「埋めたい」
「埋めたい……?」
「うん」
そんなことを純粋な顔で言うものだから、思わず笑ってしまった。
「っ、……ちょ、埋めたいって……っハハ!」
「ちょ、やっぱり笑うやん~~!? せやから言いたくなかってん……!」
「ハハ、スマンスマン。あまりに青春すぎんねんもん」
笑わん言うたのに堪忍、と伝えると、麻衣は、もうええねん、と半ば投げやりに言った。
ただ、そんな麻衣自身も笑っていて、笑顔が戻ってきてよかった、とも思う。
「せやけど、どこに埋めるん」
「公共の場はあかんもんなあ……うーん。学校の敷地内に埋めるのもいちいち思い出しそうで嫌やし……」
「まぁバレへんようなとこ……海に流すとか? 砂浜に埋めてもええし」
そう軽い気持ちで言ったつもりが、それがなぜか彼女の心を強く捉えたようだ。
「海! 青春っぽい!」
「ハハ、まさか麻衣に海がそんなヒットすると思わへんかったわ。で、ホンマに海にするん?」
「うん。今白石が言うてくれたときに、ピンと来てん。海辺の砂浜に埋めたいなって」
「そうか、そらよかった。……で、一人で埋めに行くん?」
「え? うん、そのつもりやけど……何で?」
「一人で海にボタン埋めに行くん、めっちゃわびしない? 良かったら付き合うで」
そう言うと、麻衣は「えっ、白石、ホンマに?」と嬉しそうに聞き返すので、「男に二言はないわ」とわざと茶化してみた。
「一人でボタン埋めに行く想像したら何や海でまた泣いてしまいそうやってんけど、白石がつき合うてくれるんやったら、ちゃんと笑顔で埋められそう」
「ほんなら決まりやな。春休み中、第二ボタンの埋葬しに行くで」
to be continued…
2025.11.5