4年目・夏(文庫書き下ろし・Web再録)

 謙也さんと初めて出会った時、彼は四年目、私は一年目。そんな私が、出会ったときの謙也さんと同い年になった。一年目の頃、四年目の先輩のことは、大先輩のように感じていたけれど、実際自分が四年目になってみるとまだまだ未熟だ。それでも、新入社員の子達を見ていると、名刺交換や電話応対がたどたどしく、それに比べたら、と自分の成長も感じる。渉外課に係替になって、一年三ヶ月。運転も仕事もさすがに慣れた。お客様とも信頼関係ができてきて、毎日充実している。仕事は上手くいっている。
 しかし、プライベートが、そうもいかない。謙也さんと喧嘩したとかそんなことはないのだけれど、単純に私も彼も忙しい。同じ支店で働いていたころは、毎日顔も合わせていたし、会話もいつだってできたけれど、今は毎日メッセージアプリで会話するなどをしなければ、一日の中でお互いの存在を感じられる瞬間は無い。ただ、そのアプリでのチャットの会話すら、ままならない日々が続いている。謙也さんが海外に長期出張しているせいか、もう一ヶ月近く会えていない。合鍵はもらっているけれど、鍵を開けて彼の部屋に行ったところで、本人は出張中、留守なのだ。さすがに寂しくなってきたし、過去の嫌な記憶がフラッシュバックする。前の恋愛のように、距離が原因で、お互いの気持ちが離れてしまわないだろうか。

 ――謙也さん、早く会いたい。

 時差により、変な時間に届いた「おやすみ」のスタンプを見ながら、想いを馳せる。彼が東京に戻ってくるまで、あと一週間。

 やっと謙也さんが帰ってくる日になった。事前にメッセージで、乗る飛行機と成田空港への到着時間が知らされた。現地を金曜日出発の飛行機で、到着は日本時間の土曜日とのこと。『成田まで、お迎えに行ってもいいですか?』と送ったら『すまん。気持ちはめっちゃ嬉しいねんけど、上司と同じ飛行機やねん』と返信がきたので、悲しいけれど我慢する。社内の人に付き合っていることがばれるのは、いろいろと人事に影響が出るのでご法度だ。結婚するまでは隠し通さなければ。――結婚とか、するのかなあ。謙也さんから、具体的にそんな話が出たことはないけれど。そして、彼からはこんなメッセージも来ていた。『その代わり、俺の部屋で待っててくれたら、嬉しいねんけど、どうかな』と。

 久しぶりに合鍵を使って謙也さんの部屋に入る。一ヶ月強もの間、留守にしていた部屋の空気は籠っていて、すぐに窓を開けて換気した。相変わらずの1Kの部屋。初めてこの家に来たときは、まだ二年目だったな。あの時は謙也さんが酔っ払いの私を介抱してくれたんだった。そんな懐かしい思い出が蘇り、ふふ、と自然と笑ってしまった。
 もうこの部屋に来るのは何度目だろう。お付き合いをはじめてからもうすぐで丸一年だ。最初こそ緊張していたけれど、いつの間にか、ここが第二の家くらいの感覚になっている。クローゼットの中には私のパジャマもあるし、洗面台には私の歯ブラシも常にセットされていて。いつの間にか、こんなに距離が縮まっていたんだな。そんなことを改めて感じた。
 ――そろそろ帰ってきてもいい時間なんだけどな。
 成田に無事着陸したとメッセージを受けてから、もうすぐで二時間。少しドキドキしてきた。久しぶりに会えると思って、メイクもいつもより時間をかけたし、服も、前に謙也さんが「めっちゃ可愛い。似合うてる」と褒めてくれた服を着てきた。喜んでくれるかなぁ。

 ガチャ、と、玄関のドアの鍵が、音を立てる。外側から鍵が差し込まれて開錠される音だ。瞬間、玄関へと急いだ。謙也さんだ。

「……おかえりなさい!」

 そうドアが開いた瞬間、声をかけると。気づいたら私は、目の前の愛しい人に抱きすくめられていた。こんなに強い力で抱きしめられたのは初めてで、少し苦しい。それでも、嬉しさのほうが強くて、なんだか涙腺が緩む。謙也さん。謙也さん。謙也さん。やっと会えた。

「――めっちゃ、会いたかった」

 耳元で、大好きな声で、そんなことを言われたら、胸がきゅうっとする。そして少し腕が緩められて、私たちはお互いの顔を見つめ合った。一ヶ月以上も会えていなかったことが嘘みたいに、顔を見るだけでお互いの気持ちが伝わってくる。

「……とりあえず、ここ、玄関なので、中に入りませんか?」
「せやな」

「やっぱり海外のフィンテックはすごいわ。日本は遅れとる」
「すごい、今は与信はアプリで行う時代なんですね」

 謙也さんのお土産話を聞きながら、私たちは夕ごはんを食べていた(ちなみに、お土産話と同じくらい、お土産物もたくさんもらった)。一応私も銀行員の端くれなので、海外の最先端の金融テクノロジーは興味深くて、一バンカーとしてお土産話を楽しんだ。ただ、私たちは銀行員同士でもあるのだけれど――恋人同士でもあって。夕ごはんを食べ終わって、謙也さんのお土産話が一息ついたころ。

「――なあ」
「何ですか?」
「……麻衣は、俺と一ヶ月ちょっと会えへんくて、どやった?」

 不意に謙也さんは真面目な顔でそんなことを聞いてきたので、ドキッとした。どやった、って、寂しかったに決まっているけれど、素直に言うのも少し恥ずかしいような気もする。すると先に謙也さんは言った。

「……俺は、改めて、自分の存在の大切さに気付いてん。どうしようもないくらい、めっちゃ会いたなった。時差もあるから電話もでけへんかったし、正直めっちゃ寂しかったわ」

 素直に気持ちを吐露する謙也さんを見て、私は反省した。何で私も素直に気持ちを伝えなかったんだろう。

「……私も、すごく会いたかったです。それに、連絡もままならなかったから、少し不安でした。謙也さんの気持ちが、私から離れちゃったらどうしようって。でもそんなことなかったみたいで、安心しました」
「アホやな。俺の気持ちが離れるわけないやろ? いや、でも、そう思わせたんも俺や。すまん。もっと毎日『愛してるで』とか『好きやで』とか言うとかなあかんかったな」
「ふふ。そういうの、白石さんなら似合いそうですけどね」
「……確かに、アイツならさらっと言うてそうやわ」

 二人で顔を見合わせて笑う。

「ほんでな。俺、この一ヶ月で思ったことがあんねんけど」
「はい、何でしょう?」

 そう問うと、忍足さんは少し緊張した表情をしている。何だろう。

「俺、引っ越そうと思うねん」
「え、どこにですか」
「いや、これからそれは二人で検討すんねんけど」
「?」
「……その、俺ら、一緒に住まへんか?」

 そんな言葉に、思わず口があんぐりと開いてしまう。え? 一緒に住む? それって同棲ってこと? でも住所が同じになってしまうと、会社に同棲がばれるのでは。そんな私の頭の中を見抜いたように、謙也さんは言う。

「同棲ちゃう。その……こういうことや」

 そのまま謙也さんは、私の左手を取ると、いつの間にか準備していたそれを薬指にすっとはめる。ダイヤが輝くそれは、どこからどう見ても、エンゲージリングだ。やっと頭が回ってくる。と同時に、涙腺が緩む。え、謙也さん、これってもしかして。

「……プロポーズ、されてますか?」
「……せや。忍足謙也さんの一世一代のプロポーズやで」

 そんな謙也さんの赤くなった頬と真剣な表情に、思わず目にたまった涙が頬を伝って零れた。そのまま目の前の謙也さんに抱き着くと、謙也さんは驚きつつも受け止めてくれて。そして耳元で、彼は問う。

「改めて――支倉麻衣さん。俺と結婚してください」

 そんな聞かなくたって、答えは一択しかないのに。

「はい。よろしくお願いします」

 返事を確認した謙也さんは、ほっとしたように溜息をつくと、そのまま一度腕を解く。

「これで、もう毎日一緒におれるな」
「……はい」

 目の前の謙也さんは嬉しそうに笑っている。そんな笑顔を見て、私の胸も熱くなった。

「なあ、」

 謙也さんは改めて私の名を呼ぶと、その整った顔を私の顔に近づける。私がそっと目を閉じると、謙也さんの大きな手が後頭部に回ってきて、そのまま彼のほうに引き寄せられた。
 くちびるが重なる。久しぶりの、そしてプロポーズされた後のキス。感情が昂るのは彼も私も同じだ。そのまま、どんどんと深くなっていくキスに頭が真っ白になる。もう、謙也さんのことしか考えられない。そのまま私たちは、キスを重ねながら、彼のシングルベッドの上に折り重なる。会えなかった一ヶ月を埋めるように、私たちは濃厚で甘い時間をたっぷりと過ごすのだった。

2025.3.17 WEB再録
謙也くん、お誕生日おめでとう!