とあるお城で、住み込みの女中として働き始めて、もう少しで一年になる。そんな私に、上司からこんな話がやってきた。
「麻衣さん、来週から一人女中が増えるのだけど、その方の教育係をお願いできる?」
「はい、もちろんです!でも、私で良いのですか?」
「麻衣さんもここで働き始めてもうすぐ一年でしょう。随分立派になったわよ。だから次は後輩を育てる経験も良いかなって。ちなみに、部屋も同室で良いかしら?」
「はい!その方が、きっと仲良くなれますので」
こうして評価されると嬉しい。一年間、真面目に務めてきて良かった。新しく入ってくる女中の子も、きっと最初は不安だらけだろうし、私が何かできることがあったら全部してあげたい。
「よーし、来週からさらに頑張るぞ!」
そう意気揚々と迎えた、その日。私は目を疑った。その新しく着任した女中の子が、とんでもない美人だったからだ。
「利子と申します。本日からよろしくお願いいたします」
「麻衣です……!利子さんの教育係兼同室になりました。よろしくお願いします」
長身ですらっとした体つきに、切れ長の目で整ったお顔。まるで美人を絵に描いたような利子さんに、同性なのにドキドキしてしまった。こんなに気立の良い娘さんがなぜ城の女中に!?町中の男性から求婚されてもおかしくないくらいなのに。ただ、この戦の絶えない時代、色んな背景を持つ人がいる。あれこれ詮索するのは失礼なので、それは声に出さないことにした。
***
利子さんと仲良くなるのは早かった。利子さんは私と同じ十八才。女中としては後輩だけれど、同い年であることに嬉しくなり、私は彼女に「お友達になりませんか?」と提案した。そして、お互いに「利子ちゃん」「麻衣ちゃん」と呼び合うようになり、敬語もやめることにした。
利子ちゃんは仕事を覚えるのも早くて、私が教育する必要はほぼなかった。ただ、一つだけ利子ちゃんに不思議に思うことがある。それは、利子ちゃんは必ず私より遅く寝て、私より早く起きているのだ。利子ちゃん、ちゃんと寝れているのかしら。
一度、本人に直接聞いてみたことがある。
「利子ちゃん、朝は毎日私より早くて、夜は毎日私より遅いけど、寝れてる?大丈夫?」
すると利子ちゃんは一瞬目を丸くした後、フッと微笑んで、「心配してくれてありがとう。麻衣ちゃんは優しいね」と言って、頭をふわふわと撫でてくれた。
そんな利子ちゃんが、あまりに綺麗で、そして妖艶で。女の子が相手だというのに、心臓がどきどきしてしまった。おそらく顔が真っ赤になっている私に利子ちゃんは言った。
「大丈夫。――たぶん来週はちゃんと寝れるから」
「? 来週?」
「うん」
***
そして、利子ちゃんが言っていた「来週」に当たる週。私は思い切って利子ちゃんを町に誘ってみた。
「ねえ、利子ちゃん、利子ちゃん」
「なあに? 麻衣ちゃん」
「明日は利子ちゃんも仕事お休みだよね?」
「うん、そうね」
「一緒に町までお買い物に行かない? 紅とおしろいが見たくって……」
そうすると利子ちゃんは一瞬うーんと迷ったような顔をしたので、慌てて付け足す。
「あっ、無理しなくていいよ、利子ちゃんにも利子ちゃんの予定があるよね……」
「いや、違うの、麻衣ちゃん。……そうね。一緒にお出かけしましょう」
「本当にいいの?」
「ええ。行きましょ」
そして私たちは町に来ていた。女の子二人で、紅を見たりおしろいを見たり。
「利子ちゃん、その紅、似合いそう」
「そうかな。麻衣ちゃんのほうが似合うんじゃない?」
「お嬢さんたち。もし良かったら試してみるかい?」
店のおばさんがそう声をかけてくれたので、私は「いいんですか!?」と食い気味に言ってしまった。そんな様子を見て利子ちゃんは「麻衣ちゃんはオシャレが好きなのね」なんて笑っている。
「利子ちゃんみたいに、元々が超絶美人だったら、私も紅に頼らずに済みそうだけど……」
「そう? 私は、麻衣ちゃんのほうが、私なんかよりずっと可愛いと思うわよ。でも、この紅が気になるなら、つけてみたら?」
こんな美人な利子ちゃんにそんなことを言われて困ってしまうけれど、利子ちゃんは紅を自分の小指に取ると、言う。
「麻衣ちゃん、少し口開いて」
……って、えっ、利子ちゃんが私に紅を付けてくれるの!?と驚いているうちに、利子ちゃんの小指が半開きになった私の唇に触れる。利子ちゃんの綺麗な顔が目の前にあって、またドキドキしてしまった。
私、利子ちゃんにドキドキしてばかりだ。私って、男の人じゃなくて、女の人が好きだったのかな。一応、過去に殿方にほんのり恋心を抱いたことはあるのだけれど、もちろん片想いで終わったし、こういう事には滅法疎い。
「あら、お嬢さん、似合うじゃない」
「ありがとうございます」
店のおばさんが褒めてくれるのはお世辞だろう。でも。
「……麻衣ちゃん。すごく可愛いよ」
目の前の利子ちゃんがそう言ってくれたので、心臓が震えた。どうしよう。私、利子ちゃんのこと、本当に好きになっちゃったのかな。
***
「利子ちゃん、私やっぱり頂けないよ」
「いいのよ。遠慮しないで」
利子ちゃんが褒めてくれた紅は、結構高かった。なので私は今日は買うのを諦めて、次のお給金が入ったら……なんて思っていたのに、なんと利子ちゃんが「いつものお礼」なんて言って、その場で買って贈ってくれたのだ。でも、あまりに高い贈り物すぎる。どうしよう。その時。
「貰ってくれると嬉しいんだ」
「……へ」
え。何だろう、今の。いつもの利子ちゃんじゃないような口調。心なしか声もいつもより低かったような。ただ、次の瞬間、利子ちゃんはいつも通り言う。
「麻衣ちゃん、ごめんね、私実はもう一つ約束があって。先に帰っていてもらえる?」
「えっ、そうなの?」
「うん。さようなら、麻衣ちゃん」
そう言って、利子ちゃんは足早にどこかへ向かって去っていった。約束があるって、やっぱりあの美人な利子ちゃんのことだ、恋人との逢瀬でもあるのだろうか。だとしたら、私は貴重な恋人との時間を奪ってしまった。本当にごめんね利子ちゃん……!申し訳ない気持ちになりながらも、先ほどから続いている違和感について考える。
今週になったら眠れるという発言、なかなか強引に紅を買って贈ってくれたこと、利子ちゃんらしくない声、そして最後の「さようなら」という挨拶。
――もしかして、利子ちゃん、どこかへ行ってしまおうとしている?もしかして、もう二度と会えない?
急に焦燥感が襲ってくる。利子ちゃん、そんなの私、嫌だ。せっかくお友達になったのに。お城からいなくなってもいいけど、私の友達はやめないで。
利子ちゃんが去っていった方を慌てて追いかけるけれど、利子ちゃんの姿は全く見当たらない。利子ちゃん、どこ!? 走れば走るほどどんどん町から離れて田舎になった。気づけば森の入り口だ。日も落ちてきて怖くなってきた私が、ついぞ引き返そうとしたその時だ。
「伏せろ!」
そんな大きな声に驚くとともに、誰かに頭からグッと抑え込まれた。ザクザクッと音を立てて何かが地面に刺さる。薄目を開けて確認すると、それは手裏剣のようなものだった。
「彼女は関係ないだろう!?」
「関係あるさ。お前の弱点だろう」
「……ッ」
人の会話が聞こえる。どちらも殺気だった声をしていて身体が震えた。私は伏せたままの体勢なので何をどうしてよいかわからない。
「麻衣ちゃん。手荒ですまない。移動するよ」
耳元でそんな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、私の身体は誰かに抱きかかえられたまま宙に浮いた。何これ。私に今何が起きているの!?なのに、さっき耳元で聞こえた声と、今私を抱きかかえているこの男の人――頭巾を被っていて顔がよくわからないけれど、なぜか、とても、よく知っている人のような気がして。私の頭の中で、ある可能性がよぎる。嘘、もしかして、この人。
***
連れてこられたのは、山の中の空き家だった。見た目は非常にボロボロだけれど、中は小綺麗に手入れされている。キョロキョロしている私の心を読んだかのように、頭巾を被ったその人は言う。
「ここはよく中継場所、拠点として、使わせてもらっているんでね」
「……利子、ちゃん……?」
「……麻衣ちゃん。ごめん。ずっと騙していて」
頭巾を取ったその人は、利子ちゃんにそっくりの男性だった。親友の利子ちゃんが、まさか男の人だったとは。その衝撃があまりに大きくて言葉が出ない。
「私の本当の名は利吉。君のいる城にはとある忍務により女中として先週まで潜入調査をしていた。そして、それは敵対する者に恨みを買う行為でもあった。なので、先ほど攻撃されたんだ。言える範囲はここまでだが、ずっと君を騙していた私には、説明義務がある」
利子ちゃん――もとい、利吉さんはそう言いながら「怪我はないかい」と問う。利吉さんが守ってくれたおかげで奇跡的に私は無傷だった。なので、私は首を振る。
「だ、大丈夫です……」
「敬語じゃなくていいよ」
「でも……利子ちゃんじゃないし……」
「……。そうだよな」
利吉さんは少し寂しそうな顔をしたので、何だか申し訳なくなった。利子ちゃんと過ごしたのはおよそ一月。その間私達は朝から晩まで文字通りずっと一緒にいて、お互いに色々な話をしたのだ。あの時間は嘘ではないと信じたい。
利子ちゃんだった利吉さんは、いつだって私を褒めてくれて、仲良くしてくれて、紅まで贈ってくれた。そう思ったら、きっと彼はとても心の真っ直ぐな方なのだ。そう思って勇気を出す。
「ごめんなさい。ううん、ごめんね、利吉さん」
「麻衣ちゃん?」
「私、今利吉さんを傷つけちゃった。利子ちゃんも利吉さんも同じ人なのに。私に優しくしてくれた利子ちゃんは、利吉さんなのに……」
そう謝ると、利吉さんはこちらを向いて、そして利子ちゃんだったときと同じように微笑みながら、私の頭をふわふわと撫でる。
「本当に優しい子だな、君は」
利子ちゃんと同じ、でも全然違う男の人の顔が目の前にあって、心臓が爆発しそうになった。冷静に考えてあの超絶美人の利子ちゃんの正体が男の人だったのだ、当たり前に、人生で見た中で一番格好良い顔だ。待って、私こんな男前な方と一月も共に過ごして、そして夜も同じ部屋に寝て……えっ、えっ!?頭が混乱する。
「あの、利吉さん」
「ん?」
「私たち同じ部屋で生活してたよね……その……」
「あー……君の着替えは見ないようにしてたから安心してくれ。信じてくれるかわからないけど」
利吉さんはそう言うけれど、恥ずかしさが増してくる。でも信じよう。信じた方がお互い幸せだ。たぶん。
少しの沈黙の後、ぽつり、と利吉さんは語り始める。
「本当は利子のまま君の前から姿を消すつもりだったんだけど、君が追いかけてきてくれるなんて、嬉しい誤算だったな」
「私が追いかけなければ利吉さんはあの敵みたいな人を出し抜いて今頃任務終了だったんだよね?邪魔をしてごめんなさい……」
「いや。本当は『この姿』でちゃんと君に向き合いたかったから。本望だ」
利吉さんはそう言うと、「今から言うことはとても急だけど」と前置きをする。一体何だろう。
「私は、君に惹かれていた」
「え!?」
「いや、過去形じゃないな。今も惹かれている」
「……えええ!?」
「利子として出会っていたし、もう一生会わないと思ったから、さっき紅を贈って全部自分の中では終わりにしようとしたんだ」
それを聞いて、なぜ利子ちゃんが紅を贈ってくれたのかが、すとんと腑に落ちた。この紅に、そんな大切な意味が。元々宝物にしようと思っていたけれど、その気持ちがぐっと強くなる。その後、利吉さんは、なぜ私を好いてくれるようになったのかを話してくれた。
「君は、女中として入ったばかりの私に、いつも明るく優しく接してくれただろう。出会った時からすごく良い子だなと思っていたんだ」
「……うん」
「そして、私の出自などをむやみやたらに聞いたりしてこない配慮や、睡眠不足を心配してくれる優しさが、嬉しかった」
そうだったのか。全然気づかなかった。
「……あと、寝顔が可愛い」
!!! 見られてたんだ!!!
一気に恥ずかしくなる。耳まで赤くなった私を見ながら、利吉さんは「訂正。寝顔『も』可愛い、だな」なんて笑うから、さらに照れてしまう。
「……こうしてちゃんと『利吉』として君に会えた。これは神様がくれた機会だと思ってね。答えは今すぐじゃなくていいから、真剣に考えてくれないかな。私とのこと」
ついさっきまで親友だと思っていた女の子が実は男の人で、その人に今、告白されている。頭がついていかないのだけれど、心はずっと前から利子ちゃんに惹かれていたのだ。今すぐじゃなくても、きっと近い未来に利吉さんのことも好きになれるはず。――うん、きっと。
「……じゃあ、利吉さん」
「?」
「――次の休みの時に、一緒にお団子屋さんに行ってくれる?」
勇気を出してそう誘うと、利吉さんはその整った顔を少し緩めて「もちろん」と笑った。その後正式に利吉さんと私が恋仲になるまで、あと少し。
Fin.
2025.1.6