ただいま

※映画忍たま乱太郎「ドクタケ最強の軍師」のEND翌日のお話です。ネタバレにご注意ください。

「おかえりなさい、土井先生。坂東へ出張なさっていたと伺っていました。急にそんな遠くまで大変でしたね」

 約一月ぶりに会った彼女は、私の顔を見るなり、ぎこちない笑顔を浮かべ、急に饒舌になる。忍術学園という環境の中、忍ではない人間は少数派だが、その少数派に入る一般事務員の彼女の内面は、表情や仕草を観察すればすぐに分かってしまう。
 ただ、今は昼休み。私たちの周りには自由時間を思い思いに過ごしている生徒達や先生方がたくさんいる状況だ。そんな中で踏み込んだ話も出来ず、私は彼女のそんな話に合わせることにした。

「はい。今回の出張は骨が折れました」
「でも、無事にお帰りで何よりです。土井先生がいらっしゃらないと、備品のチョークの減りが遅くて。つい、いつも通り発注したら、棚から溢れちゃいました」

 わざと小言を言っているのは分かっている。ああ、やはりこの人は可愛い人だ。そんな小言を言う声は少し鼻にかかっているし、嫌味を言うふりをしてわざと逸らした目は、ほんのり赤く色づき、潤んでいる。そんな彼女に「すみません、手裏剣代わりにチョークを使うのは程々にします」と告げると「もう。本当ですよ?」なんて少し口を尖らせた様子だから、さらに愛しさが増す。何故こんなに大切な人のことが、一月もの間、きれいさっぱり記憶から消えていたのだろうか。

「麻衣さん」
「何ですか?」
「夕刻、少しお時間ありますか?」
「え? あ、はい、大丈夫です」
「坂東のお土産をお渡ししたいので、空き教室で待っていてもらえませんか」

 そう問うと、彼女は目に見えてきょとんとした顔をした。無理もない。坂東のお土産なんて、あるはずもないのだから。ただ、彼女はよく分からないながらも、「わかりました、お待ちしています」と答えて軽く頭を下げた。

***

 そして夕刻。指定した教室を尋ねると、彼女はこちらを振り返る。

「土井先生」
「麻衣さん、お待たせしました。こんな時間に呼び出してしまってすみません」
「いいえ、大丈夫です。それで『坂東のお土産』って……?」

 彼女は少し困惑した様子でこちらを見上げる。私は彼女の問いには直接回答しなかった。

「……麻衣さんは、聡い方だ。初めから気づいていたのでしょう? 私が坂東へ出張しているというのは嘘だと」

 そう言うと、彼女は一瞬身体をこわばらせた。そのまま暫し沈黙が続いたが、その後、ぽつり、ぽつり、と、彼女は言葉を紡ぎ始めた。

「ある日急に、タソガレドキの雑渡様と諸泉様が、一年は組の教壇に立ち始めたんです」
「うん」
「山田先生もお姿をお見かけしなくなって。六年生の姿も、五年生の姿も、見かけなくなって」
「うん」
「……きりちゃんが、とても思い詰めたような顔をしていたんです」
「うん」
「四年生以下の子達が何にどれだけ気づいていたかはわかりませんが、少なくとも私は大人なので」
「うん」
「……何も知らされず、ただ信じて待つというのは、結構酷な時間でした」

 そう言う彼女は、いつの間にか俯きながら、私の着物の前身頃を軽く掴んでいた。その手が、微かに震えている。

「一生会えないことも覚悟しました。だから、本当に――良かったです、帰ってきてくれて」

 そんな言葉と共に、ぽたり、と床に滴が落ちた。

「麻衣さん。顔を上げてくれないか」
「だめです、こんな顔、お見せできません」
「私が、麻衣さんの顔を見たくて堪らないんだ」

 自分の右手で彼女の左頬を包みこみ、そのまま緩やかにこちらに顔が向くように動かした。言葉に反し、意外と抵抗なく、彼女は素直に顔を上げた。

「土井先生……」

 瞬きをした彼女の瞳から、綺麗な涙がすぅっと頬を流れていく。愛おしさが突き抜けると、人間は衝動的にこんな行動を起こすのか、と何処か他人事のように思いながら、私は目の前の彼女をいつの間にか抱き寄せていた。すっぽりと腕の中に収まる彼女は、華奢だった。

「麻衣さん。本当にご心配をおかけしました」
「……本当に」
「私も、何があったかは今は話せませんが、一歩違えばもう一生麻衣さんに会えなかったのかも、と」
「えっ……」
「だから、またお会いできたら、必ず伝えようと思って」

 少し腕を緩め、彼女としっかり目を合わせる。

「――私はあなたが好きです。麻衣さん」

 “土井半助”として再会できたら、伝えておきたかった。皮肉にも、天鬼にならなければ、迷ったままであった。
 言葉にせずとも私達が同じ気持ちであることはお互い気づいていた。ただ、天涯孤独で身寄りもなく、抜け忍で真名も名乗れぬ私の人生に、彼女を巻き込んでしまう。それを思うと、手遅れになる前に彼女から距離を置いた方が、とも思ったのだ。
 ただ、彼女のことも含め、全ての記憶を失い――そしてまた天鬼として在った自分に、土井半助としての記憶が流れ込んできた時。彼女のその存在の大きさは、天鬼が戸惑うほどであった。
 私は大うつけだ。
 手放せるわけがないだろう。彼女を。

「まさか先生から、そんな言葉を、目が黒いうちに聞けると思っていませんでした」
「困ったな。麻衣さんは、本当に何でもお見通しなんだから」
「それでも良いと思っていたんですよ。でも私も、あなたと同じ」
「?」
「一生会えないかもと思っていたので……もし再びお会いできたら、私もちゃんと想いを伝えておきたいと思いました」

 そこまで言って急に恥ずかしくなったのか、彼女が今まで何かの旋律のように滑らかに紡いでいた言葉が止まった。そのまま、元々泣いているせいで、鼻の頭から頬、耳の先まで真っ赤になっているのに、さらにその顔が赤く染まっていく。

「私もあなたのことを心からお慕い申し上げております。改めて、おかえりなさい、土井先生」
「……うん。ただいま、麻衣さん」

 すると、目の前の彼女は、やっといつも通りに、花が咲くように笑う。これで、ようやく私の、“土井半助”の、愛おしい日常が戻ってきたのだ。

Fin.
2025.1.18

たぶん当人達だけ気づいてなくて、学園中みんなが見守ってるパターンだと思ってます