※蕩けていく秘密の前日談です。前作読んでいなくても読めます。
女子だというのに、着物や化粧ではなく、火薬に興味を示すとは、珍しい子だ。それが彼女に対する第一印象だった。
出会った頃は私も忍術学園に着任して間もない頃で、彼女もまた十歳の子供であった。ただ、火薬の授業での彼女のキラキラと輝いた目は忘れられない。火薬なんて、女の子、特に十歳の女の子には全く興味が持てない話ではないかと思っていたのだが、杞憂に終わった。彼女は私の話す言葉一つ一つを興味深く帳面に書き留め、そして、授業が終わると必ず質問に来た。なんて教え甲斐のある子なんだ、と単純に嬉しかったし、まだ子供との距離を測りかねている頃だった私にとって、火薬の知識目当てだとしても、単純に懐いてくれるのは有難かった。そんなあの頃が、今となっては懐かしい。
*
「麻衣先輩~!」
「あれ、は組の良い子たち、どうしたの?」
「今日はくの一教室で合同授業だったんです」
「そっか。それで、みんなボロボロなのね」
乱太郎・きり丸・しんべヱを筆頭に、麻衣を見かけるなり一直線に駆け寄って甘えている。先ほどまで行われていたくの一教室との合同授業で、は組の生徒たちはそれぞれくのたま達に、下剤入りのお菓子を食わされたり、物理攻撃を仕掛けられたりと、こてんぱんにやられていた。その上でくのたまの最上級生・彼女たちの先輩にあたる麻衣に懐くのは、教師としては「お前たち、さっきまであれだけやられていたのに警戒心は無いのか」と思う。ただ、一方で仕方がない気もした。麻衣は、後輩には滅法優しい子だ。くの一教室の後輩は勿論、男子生徒達に対しても面倒見がよく、同期はさておき、後輩に術を仕掛けたり悪戯をすることは一切無かった。だからこそ、皆から慕われているのだ。
「傷は大丈夫? 新野先生か伊作に診てもらったほうがいいんじゃない?」
「大丈夫です。これくらいならへっちゃらです!」
「麻衣先輩に会ったら、元気になりました!」
身長の低い彼らと目線を合わせるように屈み、傷の様子を診る彼女に、三人組はやはり女の子の前では格好つけたいのか、そんなことを言っている。思わずクスクスと笑いが漏れてしまった。
「って、土井先生~! そんなところでこっそり見てないでくださいよぉ」
「悪い悪い。お前たちが麻衣の前で格好つけてるのが、いじらしくてな」
そう素直に伝えると、しんべヱはともかく、きり丸と乱太郎は目に見えてヘソを曲げてしまった。いかんいかん。彼らも思春期に差し掛かっているのだから、あまりからかってはいけない。
「土井先生、いらっしゃったんですか」
「こんにちは、麻衣。元気か? 最近あまり火薬の質問に来ないじゃないか」
「すみません、勉強をさぼっているわけではないのですけど……」
そう話しかけると、麻衣は少し緊張したように目を逸らす。一年生の頃はあんなに小さく可愛かった少女が、十五になり、すっかり大人になった。三、四年生くらいまでは、毎日のように職員室まで質問に来ていた彼女。それが、五年生の半ばあたりから頻度が減り、六年生に上がってからは、言葉を交わすことすら減ってしまった。何か嫌われるようなことをしたのだろうか。最初の方こそ悩みもしたが――食堂や、廊下を歩いているときなど、ふとした瞬間に麻衣からの視線を感じることがあった。勿論彼女はプロに近い実力を持つくの一なので、普通の人間なら気づきもしない視線。ただ、私は、彼女の教師であって。逆に、彼女に気づかれぬようにこっそり彼女に視線を移すと、そこにあったのは――くの一でも、生徒でもなく、ただ一途に恋をする女の顔であった。
その瞬間、全ての点と点が一本の線で繋がった。彼女が質問しに来なくなった理由も。目を合わせてくれなくなった理由も。
自惚れでなければ、彼女は、教師である私に、恋慕の情を抱いている。
そうであったとして、では私自身はどうすべきか。当然に私は教師で彼女は生徒なのだから、気づかないふりをして、卒業まで先生・生徒として接し続けるのが大人の対応であろう。そう思っていたのに。
「最近は、私ではなく、仙蔵に質問しているようじゃないか」
「土井先生は、は組の担任でお忙しそうですし、ほら、最近火薬の授業は、忍たま六年と合同じゃないですか。だから、同じ授業を受けているならまずは同級生の仙蔵に聞くほうが早いかなって。仙蔵にわからないことがあったら、その時は先生にお伺いさせてください」
麻衣は、そう言って少し困ったように笑う。私は、胃が少しひりつく。可愛い生徒に妬いているようでは世話ないな、と自分でも呆れてしまうが、彼女の口から出てくる『仙蔵』の名に、心に靄がかかる。
そうでなくても、麻衣は見るみるうちに、蕾が花開くように成長した。彼女の同級生達は皆学園を去ったが、その理由で一番多いのが「縁談が決まった」である。つまりはそういう年なのだ、彼女も。たまに休日に町へ出かけようとする彼女の私服姿を目にするが、あまりに華やかなので、毎回心の中で冷や汗をかいている。男に声をかけられたりしないだろうか。暴漢に襲われることはないだろうか。
そんなことを考えている時点で、もう自明であった。
私の方こそ、彼女をもうただの生徒として見ることができていないではないか。
「そんな遠慮しなくていいのに」
「ありがとうございます」
「私で良かったら、いつでも聞きに来なさい」
とはいえ、今はは組の生徒たちの前でもあり、真昼間、学園の敷地内。あくまで教師の顔を作ってそう伝えると、麻衣は私に向かって四十五度の最敬礼をした。高い位置で結った髪が、さらさらと落ちるそのさまと、一瞬見えた白い項。計算していないからこその、ふとしたその色香に、一瞬にして弾かれてしまいそうになる。
「帰るぞ、みんな」
「麻衣先輩、さようなら~!」
「「さようなら~!」」
「うん、またね」
麻衣は、後輩たちに笑顔で両手を振っている。ただ、私と目が合った途端、その笑顔がまたぎこちなくなる。
一年は組の教室に帰ると、ふいに三人組が言った。
「土井先生~。先生って麻衣先輩に嫌われちゃったんじゃないですか?」
「えっ!?」
「ぼくもそう思いました! 麻衣先輩、先生と話す時だけすごく緊張しているんだもの」
「先生、麻衣先輩に何かしたんですか? 早く謝ったほうが良いですよ」
本気で心配し始める三人に、思わず笑みが零れる。
「……はは。そう見えるか。心配してくれてありがとう。そうだな、実は心当たりはあるんだ。ちゃんと謝るか」
「そうですよ。あんなにやさしい麻衣先輩だもの。謝ったら許してくれますよ」
「でも、先生、なんだか機嫌が良さそうですね」
「そうか?」
彼女の緊張が、まさか、は組のこの子たちにも気づかれてしまうほどとは。自惚れではないことを再確認し、そして改めて彼女との関係性を考える。卒業まで待つべきか。ただ、卒業まで待つということは、六年の二学期、自分ではない誰かと房中術の実習も受けさせることとなる。――大切な蕾が、綺麗な花を咲かせるまで、ずっと見守ってきた。他人に手折らせてたまるか。
時は満ちた。手折るのならこの手で。
(こんな教師らしくないことを考えている私でいいのか、お前は)
心の中で彼女に問うが、勿論返事などない。
Fin.
2025.1.2