「もうこんな時間か……」
麻衣は、スマホの画面に表示された時刻に目をやり、そして少しだけ寂しそうな顔をする。付き合ってからはまだ一年経たないが、中学の同級生、テニス部員とマネージャーとして出会ってからはもう七年目。彼女の些細な表情の変化で気持ちが読み取れるほどにはなっていた。
「……駅まで、送らせてな」
「寒いし、大丈夫だよ」
「あかん。暗いし、夜中やし」
「……わかった。ありがとう」
大学生になって俺は実家を出て一人暮らしを始めた。彼女は、三ヶ月記念日に初めてこの部屋に来て、そこからは、外でデートした後、ここへ立ち寄って、終電で帰る、というのがパターン化している。
一応お互い成人はしているが、とはいえ彼女もまだ十代で、親と同居している。外泊が増えて怒られるのも嫌だろうし、変に勘ぐられるのも恥ずかしいだろうし。
クリスマスイブの夜、俺達は、いつもより少し良いお店でディナーを嗜み、そしてこの部屋に帰ってきて、そしてその後は――まあ、お察しの通りで。
すっかり身支度が整った彼女は、とても清楚で可愛らしい。良い意味で、先程までシーツの中で甘やかな声をあげて乱れていた彼女と同一人物とは思えない。とはいえ、その姿を知っているのはこの世界で自分だけなのだ。
「……蔵、どうしたの、何か顔赤いけど」
「ん? いや、何でもないで」
彼女は納得がいっていないようだが、それ以上聞いても無駄だと思ったのか、深追いはされなかった。よかった、セーフや。
***
そのまま二人で、地下鉄の駅までの道を歩く。夜は冷えていて、息を吐くたびに空気が白くなった。会話は無く、二人分の足音だけがやけに響く。繋いだ手だけが熱を持っている。――こういう時だけ、駅近の物件であることが悔やまれる。あっという間に、別れの時間が来てしまうからだ。
「それじゃ、またね」
「ん。またな。最寄駅着いたら電話すること」
「もう、過保護だなぁ」
「心配やねん」
心配なのも本当だが、少しでも彼女の声を聴いていたい、という方が本音に近いかもしれない。どんだけ惚れ込んでんねん、と自分にツッコミを入れたくなるが、それほどまでに大切な存在だ。
明日は彼女は午前中からバイトが入っているらしいし、俺も俺で大学に行く用事がある。だからこそ今晩会うことにしたのだが。
「じゃ、そろそろ終電来ちゃうから、改札入るね」
寂しさを滲ませながらも笑顔を作る麻衣。そしてくるりとこちらに背中を向け、改札をまさに通ろうとするその瞬間。
「――すまん」
思わずその華奢な手首を捉えてしまった。驚いたように振り向く彼女をそのまま勢いで腕の中に収める。
「蔵、ここ公共の場……」
「誰もおらへんやろ」
「そうだけど……」
「やっぱり、帰したない」
「へ……」
少し腕を緩めると、彼女はこちらを見上げて真っ赤な顔をしている。
「ドラマみたいなこと言ってる」
「……はは。せやけど本気やで」
「……」
「あかん?」
彼女がその言葉に弱いのを知っていて、わざと使う俺は狡い男だ。彼女は暫し黙ると、ぽつりと言う。
「……バイトあるから、朝の八時前には帰るよ?」
「ん。お互い早起き頑張ろな」
「『四天宝寺テニス部の仲間とパーティーしていてオールになった』設定にします」
「真実やん」
「確かに」
そう顔を見合わせて、お互いにプッと吹き出す。そのままひとしきり笑い合って落ち着いたころ、ちょうど改札の向こうで彼女にとっての終電が入線してきた。
「……ほな、行こか」
「うん」
その電車にくるりと背を向けて、また手を繋ぎ直して、先程降りた階段を上っていく。地上に戻ると、冷えた空気が再び俺たちを包む。空いているほうの手で母親に電話をかけ、先程考えた設定通りに話している彼女。それに少し罪悪感を感じながらも、やはり二人で過ごせる時間が増えたことの嬉しさには敵わない。思わず綻んでしまう口元を、マフラーの内側に隠した。
Fin.
2024.12.24