あかん。待って。どないなっとるんや。
気がついたら、猫になっていた。どうやら白猫らしく、視界に入る自分の毛はどこを見ても雪のように白かった。 俺、さっきまで部室におらんかった? え? 何がどないなっとるんや、ほんまに。てか、ここどこや!? 人間に戻れるんか!? 一気に不安が増す。いやいや待て、落ち着くんや、蔵ノ介。こない非常識なことがあってたまるか。きっと夢や夢。せやけど……それにしては感触が色々リアルすぎるやんな。肉球越しの地面の熱さも、風で揺れるたびにぴくぴくと動くひげも。
そんな時、聞き覚えのありすぎる声が聞こえて、思わず俺の猫耳がピクッと動いた。
「わぁっ、猫ちゃんや。どないしたん? 迷子? それとも捨てられてもうたん?」
……マネージャーやん。四天宝寺のジャージの上下を身につけた彼女は、しゃがみこんで俺(猫)と視線を合わせる。いや、迷子っちゅーか、俺、白石やねん。と伝えたいが、俺の口から出てきたのは「にゃー」という可愛い鳴き声でしかなかった。世知辛い世の中や……。
「可愛い声しとんなぁ。首輪してへんし、野良猫ちゃんかな。せやけど真っ白やし毛並みもええなぁ。おまけに美人さんや。って男の子かもしれへんけど」
そう言うと彼女は俺の前足の付け根、人間的感覚だと脇の下に手を差し入れて、そのまま持ち上げる。みょーんと身体が重力に従って伸びた。
「……あ、男の子やったわ、ごめん。美人さん改めイケメンくんやな」
おい、どこに目をやっとんねん……! とツッコミたいが、くどいが俺は今猫の姿であって。そのまま彼女は俺を抱き上げる。
「すごい、キミ、大人くてええ子やなぁ。可愛い。ふわふわや」
彼女はそのまま俺の首元あたりに顔を近づけて、すうっと息を吸う。いわゆる猫吸いの一種だ。とはいえ、人間的感覚でいくと首元に顔を寄せられていて、緊張する。人間の時より鋭くなった嗅覚が、彼女の髪からするシャンプーの香りを感知した途端、脈が速くなる。いや、めっちゃ距離近ない? 好きな子にこないなことされたら動揺するやろ、普通。そう自分を正当化するが、とはいえ生理的な反応は止められず、そのまま体温は熱いままだ。
「んー、キミ、白くておとなしゅうて、なんやうちの部長に似とるなぁ。『猫ノ介』って呼ぼうかな」
何や、その壊滅的なネーミングセンスは。ツッコミたいが、くどいが俺の口からは「にゃー」しか出てこない。それを彼女は肯定と受け取ったのだろう。笑顔で俺の頭を撫でると、そのまま「ほんなら、猫ノ介、一緒に部室に行こか」と俺を抱き上げたまま部室へ向かって歩き出す。
「さて、今日は猫ノ介と一緒にマネージャーの仕事しますか。って、あれ、白石? 寝とる?」
部室のドアを開けた瞬間、そこには驚きの光景が。いや、机に突っ伏して寝てるん、完全に俺やん。ちゃんと息もしているし、生きている様子で安心したが、ということは俺の意識だけがこの白猫に入ってしまっているのだろうか。途端に今の状況がさらにわからなくなる。え、これ俺大丈夫なん? 一生猫ちゃうよな? 途端に不安が増すが、そんな俺に気づかず、彼女は一旦俺を机の上に下ろすと言う。
「猫ノ介、ちょお待っててな。うちの部長さんお疲れみたいやから、何か掛けるもの探してみる」
そんな彼女の優しさに、不安が少し和らいだ。そして猫の姿で、自分の肉体に近寄り、様子を伺ってみる。顔色も悪ないし、息もしとるし、ほんまに寝てるだけみたいやな。っちゅーことは、この目の前の「俺」が見てる夢が、この「猫ノ介」なんか? そんなことを考えている間に、彼女はストールのようなものを持ってきた。
「……ごめんな白石、私物で申し訳ないけど、風邪引くよりマシやんな」
よく見るとそのストールは彼女自身がエアコンの風に当たって寒い時などによく肩から掛けているものだった。好きな女の子の持ち物というだけで、緊張してしまうし、目の前にいるのは「俺」のはずなのに、猫の俺は、目の前の人間の姿をしている俺に少し嫉妬心がわく。
そして彼女はストールを俺の肩にかけると、一瞬周りをキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認すると、なんとそのまま俺の隣の椅子に座り、寝ている俺を観察しはじめた。その様子が気になった「猫ノ介」の俺は、猫の姿で彼女に近づく。すると彼女は、慌てたように「あっ、猫ノ介には見られてもうた。恥ずかしい」と笑いながら顔を赤くした。
「うちの部長さん、キミによう似てるやろ? 白石って言うねんけど」
そのまま彼女は猫ノ介に話しかける。
「……白石、めっちゃ頑張り屋さんでな。いっつも人のことやチームのことばっかり考えてて。自分のこと優先するんが苦手やねん。せやから、こういう疲れてる時くらいはゆっくり休ませてあげたいなって」
そう言う彼女の表情が、とても何か愛おしいものを見るようなものだったからだ、勘違いをしてしまいそうになるのは。――もしかして、自分、俺のこと好きなんちゃう?
「何でそんな疲れて倒れてまうほど頑張るんやろって、思うやろ? せやけど、私はそういう白石のこと、めっちゃカッコええな、好きやなぁ、って思うねん」
って、本人の前では絶対言われへんけど。猫ノ介と私だけの秘密やで。
なんて、はにかむ彼女に、一瞬にして身体中に血が駆け巡る感覚。もしかして、って思っとったけど、ほんまに俺ら両想いやったんや……!しかも、こんな可愛いこと言われたら、さらに好きになってまうやん、ずるいで、ほんま。
こんな形で彼女の想いを知れるとは、本意ではないが、猫にもなってみるものだ。人間に戻ったら、絶対俺から告白せな。せやから、神様、お願いや。一刻も早よう人間に戻してくれ。
*
「――白石?」
「……ん」
「やっと起きたわ」
「何や、ケンヤか」
「何やって何やねん! マネージャーやなくて悪かったな」
「いや、そんなん一言も言うてへんけど」
気がつくと目の前にケンヤがいて、よく見るとその周りにユウジ、小春、銀などいつものメンバーがいた。あれ、俺、人間に戻ったんや。っちゅーか、猫になってたんはやっぱり夢やったんやな。やけにリアルな夢やったわ。
と、身体を起こしたとたん、肩からハラリと落ちたのは、マネージャーのストールだった。え、夢で見たやつと同じやん。え、ちょお、待って。
「……白い猫見ぃひんかった?」
「え、お前何なん? エスパー?」
「え?」
「マネージャー、部室の近くで白猫拾ったんに、目ェ離した途端急に消えてもうた言うて、千歳と金ちゃんとその辺探しとるわ」
「……そうなんや」
「で、具合はどや?」
「だいぶようなったわ。心配かけてすまんかったな」
「そのセリフはマネージャーに言うんやな。お前が部室で机突っ伏しとるの、ずっと気にかけとったで」
――話の辻褄が全て合う。やはり、さっきのは夢ではなく、俺はほんまに猫になっとったんちゃうか。っちゅーことは、猫ノ介は存在自体消えたんかな。一生懸命探している千歳と金ちゃんと彼女には申し訳ないが。
「マネージャー含め、猫探しとる三人には俺から声かけとくわ。あとはみんな休憩入ってや」
そう声をかけると部員たちはバラバラと休憩に入っていく。そして俺は部室の外に出て、千歳と金太郎とマネージャーを呼ぶ。
「猫探しもそこらへんにして、自分らも休憩しぃや」
「おっ、白石が起きたばい」
猫じゃらしを持った金太郎と、金太郎を肩車した千歳は、木の上に猫がいないか探していたようだ。ただ、マネージャーがいない。
「……あれ、マネージャーは?」
「姉ちゃんは、校門の方に行ったで!」
「おおきに。呼び戻してくるわ」
*
そして、校門のほうへ向かうと、少し寂しそうな彼女の背中が見えた。
「どこ行ってもうたんやろ……」
そう呟く彼女の肩をポンっと叩き、名を呼ぶと、彼女は驚いてこちらを振り返った。
「しっ、白石!? びっくりした〜」
「白猫探しとるんやろ。みんなに聞いたで」
「せやねん。さっきまで一緒に部室におったのに……」
「残念やけど、もうその『猫ノ介』は現れへんと思うで」
「えっ?」
「ん?」
「な、名前、なんで、知って」
一気に顔を赤くしてしどろもどろし始める彼女。「え、あのとき起きとったん!?」なんて慌てて訊ねてくるので「何のことやろな?」ととぼけてみた。まさか俺があの白猫の方でした、なんて言ってもきっと信じてもらえないだろうが、その代わりに。
「今日、部活終わった後、予定ある?」
「……ない」
「ほんなら、部室残っといてや。話あんねん」
「……は、はい」
死刑宣告を受けたような彼女の顔を見て吹き出しそうになる。ほんまに可愛いな。なぁ神様、約束通り、今日ちゃんと伝えるで。
Fin.
2023.9.20