準決勝で青春学園に敗れ、そのまま数日都内に滞在後、決勝の立海大附属との試合を観戦し――最後の夏も、これで終わりや。
全国大会ベスト4。世間的には褒められる結果なのだろう。だが、部長の白石を筆頭に、俺達として望んでいた結果とは違っていた。そんな中、帰りの新幹線まで少しだけ自由時間があったので、彼女に連絡をする。
『せっかく東京来たのに全然会えへんくてすまん。今度はゆっくり来るわ』
彼女が四天宝寺の試合を見にきてくれていたのはわかっていたし、俺自身、彼女の応援で頑張れた部分は大きい。しかし、いかんせん今回は大会に出場することを目的に東京を訪れたのであって、彼女と交流することが目的ではない。したがって、彼女とゆっくり話すような時間は当然無かった。決勝戦の青春学園対立海大附属、彼女は見にきていたのだろうか。準決勝で俺達四天宝寺が敗退してから、彼女は俺を気遣ってか、試合に直接関わるようなメッセージは来なくなった。そんな思いやりが、逆に彼女への気持ちを駆り立てる。――やっぱり、好きや。めちゃくちゃに会いたい。平気なフリして本当は、悔しさで潰れそうな情けない俺を、ただ受け止めてほしい。せっかく同じ空気吸える距離におるのに、何で会えへんのやろ。思わずガシガシと頭を掻きむしる。そんな時、スマホが震えた。
『謙也くん、今どこ?』
送られてきたメッセージ。慌てて返信しようとすると、さらに彼女からその続きが。
『会えたら、会いたいです』
控えめだけれども、はっきり主張されたその意思は、俺が思っていることと全く同じで。もうそこからは、自制するのが無理だった。会わんで帰るとか、もう有り得へん。思わず通話ボタンを押すと、すぐに彼女はそれに応えた。
「有明テニスの森やけど……俺も、会いたい」
『実は、私も、有明テニスの森にいるの』
「え、有明テニスの森のどこ!? すぐ行くわ」
一応、部長の白石に「すまん、ちょお、外すな」と伝えると、白石は俺の通話の様子から全てを察したようで「ごゆっくり。品川で待ってるわ」と片手を上げた。持つべきものは、物分かりの良い親友だ。彼女から送られてきた位置情報をもとにその場所へ向かう。そこには、日傘を刺した私服姿の彼女がいた。ノースリーブのワンピースからのぞく白い手足が、やけに眩しく見え、思わず目を細める。逆に彼女はそんな俺の姿に気づいたようで、小走りで俺の元へやってきた。
「謙也くん……っ」
そんな彼女を、気づいたら正面から抱きしめていた。彼女もまさか抱きとめられるとは思っていなかったようだ、勢いで彼女が差していた日傘が床に落ちた。スマン、ホンマは拾い上げたいんやけど、今そんな余裕あらへん。そのままぎゅう、と胸の辺りに彼女を閉じ込める。最初こそ彼女は「謙也くん、人が見てるよ……!」などと言っていたが、俺の異変に気付いた瞬間、抵抗をやめた。
言葉に表すことのできない感情が押し寄せ、身体が勝手に震えていた。中学最後の夏が終わっていく。達成感、喪失感、悔しさ、どの言葉を与えてもしっくりこない。彼女だけが、俺の中で、北極星のようにいつもの場所で輝き続ける唯一無二。
そっと背中に、彼女の手が回る。
「……謙也くん、お疲れさま」
よく頑張ったね、と、その声が全身に染み渡り、我に返る。慌てて腕を緩めると、腕の中にいる彼女の方が目に涙を浮かべながらも、微笑んでいた。
*
今日、この瞬間、謙也くんに会えて良かった、と彼の震える腕の中で思った。いつも明るく元気な謙也くん。でも人間、二十四時間、三百六十五日、常にポジティブになんていられるわけない。そんな中で、今私は彼に存在ごと求められている、と感じたのだ。
私を解放した謙也くんは一言「スマン」と照れくさそうに謝って、すぐに落ちた日傘を拾って、私の代わりに差してくれた。自分で差すから大丈夫、いや俺が、と何度か会話の応酬をし、結果私は、自分で日傘を差すことに成功した。
「最近テニスばっかで、随分放ったらかしにしてしもたやろ」
「大丈夫だよ。謙也くんのテニス、応援したかったから」
「……ただでさえ、普通のカップルと違てなかなか普通に会えへんのに、寂しい想いさせたんちゃうかな思て」
謙也くんはいつだって優しい。男兄弟しかいないはずなのに、こうして意外と女心も理解してケアしてくれる。こういうとき、やっぱりこの人を好きになって良かった、なんて再認識してしまうのだ。
「今、こうして謙也くんに会えたから、もう大丈夫」
「……ほんなら俺の方がアカンやつやな。今会えてめっちゃ嬉しいねんけど、この後離れるんが寂しい」
彼はそう言って、眉を下げた。そんな素直に吐露されると、私も寂しさが増してしまう。次はいつ会えるのかな。まだ決まっていないな。お互い高校受験も控えているし、そうそう頻繁に会えるわけでもない、次に直接会うときには季節が変わっているだろう。
「……ってスマン、せっかく会えたんやし、もっと明るい話題にすべきやったな」
「ううん、そんな気遣わないで。今は、自分のことだけ考えててほしい」
「……俺、ホンマにええ彼女持ったわ」
そうしみじみと言われると、照れる。そのまま私たちは、木陰で当たり障りのない話をした。普段、メッセージや通話で話しているような内容を、どうしてこうやって隣で直接会話できるだけで、涙が出そうなくらい、嬉しくなるのだろう。
ふと日が翳ったのを感じ、なんとなく時刻を確認すると、そろそろ謙也くんがここを出なくてはならない時間になっている。楽しい時間はあっという間だ。
「……謙也くん、そろそろ行かないと」
「せやな」
せやな、という返事とは裏腹に、謙也くんは何かを考え込んだような顔をして動こうとしない。どうしたんだろう、と思った矢先に、彼から不思議な提案を受けた。
「……少しだけ日傘、借りてもええ?」
「えっ? あ、うん、どうぞ……?」
何のつもりだろう。よくわからないけれど、日傘を開いたまま謙也くんに渡すと、謙也くんは日傘を差したまま少し屈んだ。あ、と気づいたときには、謙也くんと至近距離で目が合い、この後起こることを一瞬で悟った。
唇が重なり合ったかと思えば、そこから少し遠慮がちに、彼は私のそれを喰んだ。少なくとも私は、そしておそらく彼にとっても、人生で初めてのキス。日傘で隠されたその行為は、きっと私たちだけの、夏の秘密。
to be continued…
2023.7.15