事前に謙也くんとはどこに行くかを相談していて、私たちが今回訪れたのは、東京スカイツリーだった。私自身も実はあまり来たことがない場所で、わくわくしている。
「やっぱり近くで見るとめっちゃデカイな」
「ね。すごいね」
「麻衣ちゃんは、あんまりスカイツリー来おへんの?」
「うん。住んでるといつでも行けると思っちゃって、なかなか……」
「そうなんや。確かに俺も、通天閣はそんな頻繁に上らへんもんな〜」
「通天閣かぁ。行ってみたいな」
「お、ほな、今度大阪来た時は一緒に行こや! 四天宝寺中からもわりとすぐやねんで」
そう言う謙也くんは隣で、太陽のように明るく笑っている。直接会うのはまだ二回目だというのに、全然気を遣わなくても、一緒にいて楽しくて、ずっと前から知っている人のような感覚。一方で、どこの誰かも、もはや名前すら知らなかった謙也くんが、いろんな奇跡が重なった結果、今こんなすぐに手の届く距離にいることが信じられなくて、どこか夢見心地だ。
日曜日のお昼ということもあって、東京スカイツリーのある東京ソラマチは、観光客や家族連れ、カップルなどで、とても賑わっている。列に並んでチケットを買って、しばらく順番を待ってから、ついに天望デッキへ向かうエレベーターへ。エレベーターホールは暗くなっていて、いよいよ……という気持ちにさせられる。
「ついに、やな」
「うん」
エレベーターは私たち以外にもたくさんの人が乗るので、私たちは流れで奥の方に押し込まれた。――人の波に揉まれて、謙也くんと離れてしまいそう。一瞬そんな不安が頭をよぎったのだが、そんな不安はすぐに消えて、代わりに私は一気に身体中が熱くなった。
「すまん。嫌かもしれへんけど、今だけ我慢して」
耳元に、私にしか聞こえないくらいの音量で、謙也くんの囁き声が落ちてきたかと思ったら、私の腰は謙也くんの右腕に引き寄せられていた。えっ、待って待って待って。全然嫌じゃない。嫌ではないけれど、今目の前には謙也くんの首元があり、全身が謙也くんの体温に包み込まれている。これって、お互いに不可抗力とはいえ、謙也くんに抱きしめられているような状態、だよね……? どうしよう、ドキドキしすぎて、心臓がどうにかなってしまいそう。
*
「おー、着いたで!」
無事にエレベーターから降りた私たちは、地上から三五〇メートルの高さにある天望デッキにたどり着いた。謙也くんはさっきのエレベーターでの一件については、何も動揺しなかったのだろうか。私はまだまだ上手く切り替えられず、頬が火照りっぱなしだ。
「ん、麻衣ちゃん、どないした?」
「……何でもない」
何でもないことない。でも説明するのも恥ずかしくてそう誤魔化すと、謙也くんも途端に顔を真っ赤にしてしまった。きっとお互いに考えていることは同じだ。しばらく黙ってお互いに立ち止まって見つめ合っていたけれど、ふと我に返る。
「あ、立ちっぱなしじゃだめだよね……」
「せやな……! ほな行こか」
「うん」
謙也くんはそのまま窓の方向に向かって歩を進めていくので、私はその後ろを小走りで着いて行った。梅雨の季節ではあるが、奇跡的に今日は晴れていて、遠くまでよく見える。
「めっちゃ高っ! すごない!?」
「うん、すごくキレイ! ね、先進む前に写真撮ってもいいかな?」
「おん、勿論や。俺も撮って侑士に送ったろ」
「えっ、忍足くんに送るの……?」
「あかん?」
「いや、ダメじゃないよ! けど忍足くん、今日謙也くんが私とスカイツリーに来てることきっと知ってるんだよね……? 次に忍足くんに会う時、ちょっと照れるなと思っただけ」
「……確かに、いかにも『今麻衣ちゃんとデートしてます』言うてる感じやんな。やっぱやめとくわ」
ん? 今、謙也くん、『デート』って言った……? いや、デートのつもりではあるけれど、改めて謙也くんの口からその単語を聞くと、一気に意識してしまう。きっと私は、エレベーターあたりからずっと顔が熱くなりっぱなしで、謙也くんもさっきからずっと耳が真っ赤だ。こんなにいちいちドキドキしてしまったら、今日が終わる時、私たちは果たして立っていられるのだろうか。
そんなとき、ふと記念撮影をしているファミリーに目が留まった。パパとママと、まだ小学校に上がる前の男の子と女の子。パパがスマホのカメラを立ち上げて、ママと男の子と女の子の三人の写真を撮影している。パパも写真に入れたらいいのに、なんて思った矢先、隣にいた謙也くんが既にそのパパに声をかけていた。
「俺、シャッター押しますんで、パパも一緒に写真入ってください」
「え、いいんですか? ありがとう!」
謙也くんはそのパパからスマホを預かると、「ほな行くで~」と、数枚シャッターを切っていた。謙也くんのこういう優しいところがやっぱり好きだな、と思う。きっとこんな風に誰にでも優しい謙也くんだから、春のあの日、大阪駅で迷っていた私のことも助けてくれたのだろう。一通り写真を撮り終わった謙也くんに、パパが声をかける。
「もしよかったら、二人の写真も撮りましょうか?」
「えっ、良いんですか?」
「もちろん。彼女さんもぜひこちらへ来てください」
彼女さん、って……彼女じゃないんだけど、いいのかな!? ただ、ここで「付き合ってないんです」なんて無粋な言い訳するようなことは、謙也くんも私も、さすがにしない。掲げられた謙也くんのスマホのカメラに向かって、緊張しながらも、笑顔を作ってみた。
「こんな感じでどうです?」
「めっちゃ良う撮れてる! ホンマにありがとうございました」
「いやいや、お礼を言うのはこちらの方なので。家族写真、ありがとうございました」
そのままそのファミリーは私達に向かって頭を下げて、順路通りに歩を進めていった。その背中を見送ると、謙也は言う。
「写真、後で送ろうとは思っとるけど、今見たい?」
「あ、うん、折角なら……」
「こんな感じやで」
謙也くんが見せてくれた写真は、スカイツリーから見える絶景を背景に、キラキラの笑顔をした謙也くんと、ちょっと照れたように微笑んでいる私のツーショットだった。自分はともかく、謙也くんの笑顔が尊すぎる。もう絶対にこの写真はデータとしても保存して、プリントもして、部屋に飾っておこう。
*
「えっ、もう、五時なん……?」
「謙也くん、新幹線、品川から六時過ぎだったよね。そろそろ駅に向かわないとかな……」
アインシュタイン曰く、「熱いストーブの上に手を置くと、1分が1時間に感じられる。でも、きれいな女の子と座っていると、1時間が1分に感じられる。それが相対性理論」だそうだが、まさにそれを体感してしまった。好きな子と一緒におる時間、あっという間すぎひん!? 毎日電話やメッセージアプリで会話はしていたものの、本物の生身の彼女には適わない。久しぶりに会った彼女はやはり可愛くて、一緒にいて楽しい。――あかん、めっちゃ、好きや。どうしようもないくらいに感情がこみ上げてくる。
スカイツリーでの観光を楽しんだ俺達は、品川駅へ向かうべく、押上駅から、京急線直通の電車に乗った。スカイツリーのおみやげ店で購入したお揃いのキーホルダーが、さっそく彼女のスクールバッグと俺のテニスバッグに取り付けられ、電車の揺れにあわせて、ゆらゆらしている。
半日彼女といっしょにいて、自意識過剰でなければ――彼女と俺はきっと同じ気持ちだ。次、いつ会えるかはわからない。だからこそ、本当ならきちんと気持ちを伝えたいと思っていたのに――今は電車の中で、この後は品川駅で。どこをどう取っても落ち着いて告白できる場所ちゃうやん……。
「……謙也くん、考え事?」
「え? 俺、何や考えてそうな顔しとった?」
「うん。眉間にシワが寄ってたよ」
「あーすまん。折角一緒におるのに、変な顔してもうて」
「ううん。でも、本当に、一緒にいられる時間、あとちょっとだね……」
腕時計にちらりと目をやったあと、彼女は寂しそうに眉を下げた。ああもう、そない寂しそうな顔せんといてくれ。無理やりでも大阪に連れて帰りたなってまうやんか。俺自身も感情が揺れ動いてしまい、思わずゴクリと唾を飲んだ。
*
品川駅に着いてからは、彼女と一緒に、部活仲間へのおみやげを選んで、そのまま入場券を買ってホームまで見送ってくれるという彼女と一緒に新幹線のホームへ。新幹線の時間までは、残り三分ほどだ。
「気をつけて帰ってね」
「麻衣ちゃんもやで。品川から家まで、気ィつけてな」
「うん、ありがとう」
「……新大阪着いたら、また連絡するな」
「うん、私も家着いたら、連絡するね」
「おん」
ふとアナウンスが入り、俺が乗る予定の新幹線がホームへ入線してきた。ああ、もう、ホンマに行かなあかん。彼女の表情を見ると、赤くなった瞳に涙が溜まっている。
「……ご、ごめん、謙也くん、こんな顔見せたくなかったのに」
「俺こそ、泣かせてもうて、すまん」
「ううん。また東京遊びに来てね」
そう言って、涙を我慢しながら無理やり笑顔を作る彼女が愛おしくて、考えるより先に身体が動いてしまった。華奢な手首を掴み、こちら側に引き寄せ、そのまま彼女の背中に腕を回し抱き寄せる。俺の胸元あたりに彼女の頭がすっぽり埋まった。
まだ手も繋いでへんのに、いきなりこんなんして、引かれるんちゃうか!?
っちゅうか、ここ、思いっきり公共の場所やねんけど、大丈夫か!?
などと冷静な判断のできる自分は、どこかへ行ってしまったようだ。
「け、んやくん、」
「――好きや」
「えっ、」
そのまま彼女を解放し、慌てて新幹線に乗り込むと、すぐにプシューという音を立てて、ホームドアと新幹線の扉が閉まった。新幹線のドアの窓越しに、涙目のまま真っ赤な顔をした彼女が見えたが、そのまま無常にも新幹線は加速し、お互いの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
to be continued…
2023.6.11