同じクラスの小石川くんは、いつも控えめだ。彼はテニス部の副部長をしていて、人望もあるはずなのに、いつも部長の白石くんの後ろで控えていて、部長の白石くんを立てている。
そんな控えめで優しい小石川くんが好きになってしまった。奥ゆかしい感じがたまらないのだ。それに、小石川くんは、背が高くて、イケメンで、普通にかっこいい。ただ、それは、みんなに気づいてほしいような、ほしくないような。
*
「っ重〜……」
昼休みだというのに、お昼ごはんも食べずに社会の授業で使った大きな地図を社会科準備室へ運んでいた。筒状になったそれを、なぜ女子一人で抱えているのか。それは、同じ教科係の男子が単純にサボったからだ。田中くんのどあほ。ってあかん、つい言葉が汚くなってもうた。声に出てへんし、セーフかな。
それにしても、なぜ社会科準備室はこんなに遠いのだろうか。校内の隅に追いやられた社会科準備室へ向かう廊下は、どんどん人気が少なくなる。一旦、休憩しようかな。ふう、とため息をつきながら重たい筒を下ろして、廊下の壁に立てかける。このまま放置していけたらどれだけ良いか。まぁ、実際はそんなことできない性格なのだけれど。悲しいかな、根が真面目なのだ。と、その時。
「おっと、こないなとこでどないしたん」
「っ、小石川くん!?」
まさかの想い人登場に驚いた。さっきのひとりごと、心の中に留めておいてほんまに良かった。思わず背筋を伸ばして、スカートの裾を握る。
――だって、好きな人の前では緊張するやんか、しゃーないやん。
誰に対して言い訳しているのかわからないけれど、心の中でそう呟きながら、私は彼の問いに答えた。
「四時間目社会やったやろ? その時使こた地図を社会科準備室まで運ぶ途中やねん」
「それやったら田中も社会の教科係とちゃうか? 女の子一人で運ぶん大変やろ。アイツはどないしたんや」
「田中くんはチャイムが鳴った瞬間食堂へ走ってってしもた」
「……なるほど。そらご愁傷様やったな」
小石川くんは眉を下げて笑う。そんな顔もかっこええなぁ。田中くんがサボったのはほんまに最悪やったけど、そのおかげで、小石川くんと二人で会話できるきっかけができた。結果オーライや。おおきに、田中くん。
「ほんなら、この地図は田中の代わりに俺が持ってくな」
「えっ、大丈夫やで。小石川くん、せっかくの昼休みやろ? それに社会の教科係でもないし」
「自分、まだ昼飯食うてへんのやろ? 地図は俺に任せて、昼飯食べや。田中には今度国語の教科係の仕事代わってもらうわ」
「お昼ごはんやったら、小石川くんかてまだやろ?」
「女の子よりは食うの速いさかい、大丈夫や」
小石川くんはそのままひょいっと筒状の地図を担ぐ。あまりに軽々しく持ち上げるので、こんなに軽かったっけ、なんて疑問が過ぎる。いや、地図が軽いんじゃない、小石川くんがそれだけ普段の部活で鍛えている証拠だ。すごいなあ。
ただ、このまま小石川くんに任せっきりも申し訳ないし――それに、もう少し、小石川くんと一緒にいたい。次の瞬間、こんなことを口走っていた。
「せやけど、っ、そや、小石川くん、地図しまう場所わかる? 社会科準備室、あまり入らへんと思うし……私、一緒に行ってもええかな?」
「確かに、置く場所決まっとるんやったら、案内してもらわんとあかんな。すまんけどお願いしてもええか?」
「もちろん。ほな案内させて」
*
「おー、ごちゃついとんなぁ」
「ほんまに。せやけど地図に限らず、いろんな備品、元あったとこと同じ場所に戻しとくとな、ちゃーんと使い回しできてるみたいやねん。不思議」
昼休みの社会科準備室は、私たち以外に誰もいなかった。私が重い地図を半分引き摺りながら運ぶのとは違い、小石川くんが地図を運んでくれたおかげで、時間は随分短縮できたように思う。まだ昼休みは残り二十五分もある、お昼もちゃんと食べられそうだ。
元々の場所に、地図を戻す。これで私たちのミッションも完了。小石川くんとの束の間の時間も終了だ。でも、思いがけず好きな人とこんな時間を過ごせるなんて、幸せしかない。
「小石川くん、ほんまにおおきに。私が一人で運んどったらまだ準備室辿り着けてへんかった」
「逆に、偶然通りかかって良かったわ。役に立てたんやったら良かった」
そんな返答に改めて思う。小石川くんはやっぱり優しいし、かっこええなぁ。
「っえ」
「ん?」
「いや、その……」
ふと焦ったような小石川くんの声に、顔を上げると、彼は赤い顔をしていた。え、何で? 待って、もしかして。
「うそ、声に出て……」
「……おん」
次に赤くなるのは私の番だった。えっ、そんなことある? でも、小石川くんからすると、好きでもない女子からこんなこと言われて、引いたかな。恥ずかしさのあとは、不安が襲う。
「……そういうんはたぶん白石とかに言う言葉やで。せやけど、嬉しいわ」
「う、嬉しいって思ってもらえたんやったらよかった。けど何で突然白石くん?」
「いや、わかりやすくイケメンやろ。優しいし。俺とは次元がちゃう」
特に深い意味はなかったのかもしれない。でも、私はその言葉にどうしても納得ができなかった。
「何で? 小石川くんかて男前やし優しいもん。次元がちゃうとかそないなことあらへん」
小石川くんのこと好きになった私に失礼やで。と、ここまで出かかったが、すんでのところで抑えた。危ない危ない、告白してしまうところだった。勝手に好きでいるだけで十分なのだ、あえて告白して振られて、気まずくなりたくない。小石川くんは、急に語気が強くなった私に「お、おう」と目を丸くしている。あかん、やばい、今度こそ引かれてもうたかも……。
「……あっ、その、ごめんなさい」
「ええよ。ってか、謝る必要あらへん。そう言ってもらえて、光栄や」
「……ほんまに?」
「おん。ほんまに。別に誰でもいいからモテたいとかは思わへんけど――自分がそう思ってくれるんやったら、めっちゃ自信になるわ」
「そっか。それやったら良かった」
そう小石川くんを見上げると、小石川くんはなぜか耳を赤くしている。
「……意味、通じてへんかな」
「え、意味って?」
「いや、ええねん、何でもないわ」
いやいや、何でもないわけないやん!? 慌てて彼の言葉を思い出す。誰でも良いからモテたいとは思わないけれど、私が思うなら自信になる。ん? え? もしかして――後から気づいて、一気に心拍数が上がる。そんな私の様子に気づいた小石川くんも、真っ赤になって、少し視線を外しながら口元を抑えている。沈黙が怖くて、脊髄反射的に言葉を紡ぐ。
「……わ、たしも。心狭いかもしれんけど――小石川くんのそういうとこ、他の女の子にあんまり気づかれたない」
「……なぁ、そんなん言われたら、俺、勘違いしてまうで」
「……たぶん、勘違いやないよ」
彼も私も、今、きっと、すごくドキドキしている。そして、彼も私も、気づいてしまった。私たちは同じ気持ちだったのだと。なのに。
「おー、昼休みやっちゅーのに、地図ちゃんと返してえらいなぁ、社会科係!」
空気を読まずに社会の先生が準備室に入ってきたので会話は中断してしまった。慌てて私たちは「地図置いときました〜」なんて愛想笑いしながら準備室を去ったけれど、その後小石川くんが「……放課後、ちょお時間くれへんか」なんて緊張したような顔で言うから、その日の午後の授業は、どきどきしすぎて、全然集中できなかった。
Fin.
2023.2.20