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 中学の同窓会で当時片想いしていた一氏くんと再会したのをきっかけに、色んな奇跡が重なって、お付き合いすることができた。そして、もう少しで1ヶ月の記念日。明日は一氏くん――改め、ユウくんのお誕生日。
 彼を『ユウくん』と呼ぶのはまだ慣れなくて、少し気恥ずかしい。でも、金色くんの特権だと思っていたその呼び方を私に開放してくれたことに対して、嬉しい気持ちの方が大きくて。心の中で彼の名前を呼んでは、顔がニヤけてしまう。
 そんな彼は「誕生日の前の日、バイトやねんけど、終わった後ウチ来る?」なんて誘ってくれて、もちろん二つ返事でOKした。ユウくんの21回目のバースデーを、日が変わる瞬間を、一緒に迎えられるなんて彼女冥利に尽きる。ただ、少し緊張した。彼は、大学生になって一人暮らしを始めたらしい。そんな彼の家に行くのが、初めてなのだ。

「……、麻衣」

 遠くから、名前を呼ばれている気がする。

「麻衣。麻衣。起きや」
「っ?!」
「何を眠りこけとんねん」
「ユウくん、」

 バイト終わりのユウくんは、呆れ顔で私を見下ろしていた。一瞬状況が理解できなかったが、周りの景色が目に入って、一気に記憶が戻る。夜のファミレスで、ユウくんのバイトが終わるのを待っていた。本人からは、事前に家の合鍵を渡すから先に入っていて良いとも言われたけれど、さすがに初回の訪問でそれはハードルが高くて、彼の家から徒歩数分のこのファミレスで待ち合わせをさせてもらうことにしたのだ。ただ、時間はもう少しで23時半。気づいたら、少し眠っていたらしい。

「っわ、ほんまや、寝てた……」
「ほーん。これから人んち来るっちゅーのに、随分リラックスしとるやないけ」

 ユウくんは不機嫌そうな表情と声色だ。いやいや、リラックスどころかその逆である。3日前くらいから緊張でよく眠れなかった。だからこそ、今、居眠りをしてしまったのだ。時計を見る限り、うとうとしていたのは15分間くらいのようだ。

「とりあえず早よ店出るで」
「あ、うん……!」

 ユウくんはサッと伝票を取ると、そのままレジの方へ歩いて行く。慌てて私は身の周りを片付けて、彼の背中を追いかけた。

「ありがとう、ごちそうになってもうて」
「ドリンクバーくらいで礼言われるんは逆に恥ずいわ」

 手を繋いで、ユウくんの家へ向かう。どきどきとわくわくが一気に押し寄せる。どんなお部屋なんだろう。それに――今日はお泊まりだ、このあと、どうなるんだろう。実はまだ、ユウくんとは、キスしたこともない。彼も私ももう成人しているし、大人な展開があってもおかしくない一方で、私達は中学の同級生である。どうしても二人でいると、中学生の時のような空気が戻ってきて、こうして手を繋ぐだけで緊張してしまうのだ。手汗かいてへんかな。大丈夫かな。

「ここや」
「……ここが、ユウくんち」
「……別に広い家でもなんでもなくて悪かったな」

 外観は、築浅のきれいなアパート。いかにも学生さんが住んでそうな雰囲気だ。彼は一旦私と繋いでいた手を離すと、自分の部屋のドアの前へ進み、ボディバッグから鍵を出す。扉を開かれた先は、彼のプライベート空間。思わずごくりと唾を飲んだ。
 「入ってええで」と玄関で靴を脱ぎながら彼が言うので、私も「お邪魔します」とドアの内側へ。部屋の中から、ふわりとユウくんの香りがする。わ。ここ、ほんまにユウくんちなんや……。一気に実感が湧き、脈が速まった。

「ユウくん、夕ごはんまだやろ?軽く食べるものは買うといたよ。あと、お酒とおつまみも少し」
「へー。気ィ利くやん」
「お酒はキンキンまではいかへんけどまだ冷えてるし、このまま開ける?」
「せやな。俺ん家の冷蔵庫にもちょお余っとるはずやし、用意するわ」

 表向きには普通に会話をしている。でも内心、動揺しっぱなしだ。ワンルームの部屋はきれいに片付いていた。基本的にシンプルだけど、家具や照明などのところどころにユウくんのセンスが光っている。いわゆるオシャレ部屋っていうやつだ。
 ローテーブルの上には缶ビールにチューハイ、そしてちょっとしたおつまみと軽食が並ぶ。全てコンビニで買ったものだけど、お皿に移しかえるとそれなりに良い感じに見えた。

「お疲れさま」
「おん」

 ユウくんはビールで、私はチューハイで乾杯をする。日付が変わるまであと10分。

「今更やけど、ハタチ最後の食事がこれでええの?」
「どうせ明日うまいもん食うやろ」

 明日は日曜日なのもあって、1日デートすることになっている。確かに彼の言う通りなので、私はそれ以上何も言わなかった。ユウくんは何も喋ってこない。私も話題を失ってしまった。私たちの間には沈黙が流れる。途端に緊張が高まって、そわそわして、居た堪れない。
 すると、ちびちびとお酒を飲む私の隣にユウくんは移動してきた。距離が近い。一気に体温が数度上がったような気がする。

「……緊張しとんな」
「だって、ユウくんち来るのはじめてやし」
「さっきファミレスで眠りこけとったくせに」
「それは、緊張でここ数日よう眠れんかったせいやもん」
「ほーん、ほな質問。俺ん家来ると何でそんな眠れんくらい緊張するん?」
「えっ?!」

 それは、今みたいに、こういうことが起こるかもしれへんって思ったからやけど――変に期待してるみたいで恥ずかしい。絶対言われへん。ユウくんはそんな私の顔を隣から覗き込んで、言う。

「……こういうこと、されるんちゃうか、って思ったから?」

 そのままユウくんは片方の腕で私の肩を抱いて、もう片方の手で私の顎に手を添える。目を瞑る間も無く、彼の薄い唇が私のそれに一瞬重なり、また離れる。えっ、今、キス――。唇が離れた後、ユウくんは今度は額と額をくっつける。顔が近くて、ドキドキしすぎて、おかしくなりそうだ。

「……うん」

 とても小さな声でだけれど、さっきの質問に回答する。ただ、こんな至近距離だから、ちゃんと彼の耳には届いていて。いくらワンルームといっても8畳くらいある広いスペースなのに、ユウくんと私はこんなに近い距離にいて、部屋の空白を持て余している。
 私の回答を確認したユウくんは、額を離して、今度は私の頬に手を添えた。今度は私も目を伏せる。するとまた唇が重ねられた。2回目のキスは、一瞬ではなかった。ユウくんは、まるで私の唇を味わうように何度も啄む。啄まれるたびにほんのりビールの苦い香りがした。
 そのうち、彼の舌が私の唇と唇の間を割って、そろりと入ってくる。驚いたけれど、抵抗する理由もない。ひたすら私たちはキスを続けていた。無音の部屋に、お互いの吐息と、唾液が絡む時の独特の音だけが響く。
 中学校の時の彼は、金色くん一筋だった。だから、まさか大人になった彼が、私とこんなキスをするなんてまるで想像がつかなかったけれど、これは現実なのだ。現実の刺激を脳が処理しきれないのか、私の頭はうまく働かなくなっている。私達は一体何分キスしとんのやろ。

 ふと、ユウくんの唇が、私の唇を貪るのをやめたので、久しぶりに新鮮な空気が脳にまわっていく。もう日付は超えてしまったんやろか。

「……ハタチ最後のええデザートやったわ」
「もう、そんな言い方」
「あと10秒」
「え」
「時計、見てみ」

 慌ててユウくんの部屋の壁掛け時計の秒針を見上げると、残り7秒で0時だ。この時計の精度がどこまでかはわからないけれど、信じることにする。
 5、4、3、2、1。
 秒針を見つめながら心の中でカウントダウンして、秒針が0を指した瞬間。

「お誕生日おめでとう、ユウくん」

 この瞬間を、あなたと迎えられることが嬉しい。

「……おおきに」
「21才もユウくんにとって良い1年になりますように」

 そう伝えると、ユウくんは少し照れくさそうな顔をして目を逸らした。さっきまで強気でキスしてきた彼とはまるで別人のようだ。ただ、そんなギャップも可愛いと思ってしまう。まさに『人生惚れたモン負けや』というやつだ。

「プレゼント用意しとるけど……今渡す?それとも朝の方がええ?」
「気ぃ遣わせてもうたな。おおきに。朝にするわ」
「うん、わかった」
「……21才最初の食事、せなあかんしな」
「えっ、」
「あんだけキスしといて、このままで終われへんやろ。それに、麻衣もそのつもりやったから、眠れんくなるくらい緊張しとったんちゃうか?」

 それを言われると、返す言葉がない。私を見つめるユウくんの瞳はいつになく激情を秘めているようで。無言でこくりと首を縦にだけ振る。初めてのお泊まり、きっと、もう止められない。覚悟を決めて、私はユウくんとの3回目のキスを受け入れたのだった。

Fin.
2022.9.11