今日は雨が降ると分かっていたから、元々部活は中止となっていた。けれど、たまたま部長の白石と廊下ですれ違った時、「支倉、今日放課後空いとる?次の練習試合に向けてのミーティングできひんかな」と声をかけられ。放課後、私たちはお互いに制服のままテニス部の部室にいる。
お互い隣同士に椅子に座り、真面目に当日の集合時間や集合場所等々を確認していたが、内心ドキドキしていた。白石――好きな人と二人きり。こんなシチュエーションは、ありそうで、意外とない。雨粒が窓ガラスを叩く音が聞こえる。朝からしとしと降っていた雨は、夕方から激しさを増していた。
「……何やめっちゃ雨ひどなってきたなぁ。早よ帰らせたらなあかんかったな。すまん」
「ううん。大丈夫。晴れの日は外で練習できるやろ?私とのミーティングはいつでもできるし、雨の日でちょうどええよ」
「――ホンマにようできたマネージャーやな。早よ終わらせて帰ろな。ひどい天気やし家まで送るわ」
さらっと言われた一言に、動揺してしまった。送ってくれるんや。
部長とマネージャーという関係上、仕事の都合で二人だけ残ってしまって、流れで一緒に帰るということは、これまでもごくたまにあった。白石と二人で歩いているところを他の四天宝寺中の生徒に目撃されると、女子の嫉妬を受け、面倒なことはあるのだけれど。それでも、やっぱり好きな人と一緒に帰れる数少ないこの機会は、嬉しい。
本当は白石のことを好きになるつもりなんてなかったのに。長い時間を共有する中で、気づいたら私は、人一倍努力家で責任感の強い彼に、恋をしていた。
「オサムちゃんへの報告はどうする?」
「俺から後で連絡しとく。支倉は何もせんでええよ」
「ありがとう。色々白石に任せっぱなしやなぁ」
「そないなことあらへん。裏でしっかり支えてくれとるやん。頼りにしてるで」
お互いに真面目な性格なのもあり、無駄話もせず、淡々と議題を消化していく。そんな時だった。突然、窓の外がピカッと光った。
「?!」
「……雷や」
光から数秒後、ゴロゴロと音が鳴る。
「まぁまぁ近いなぁ」
「うん……」
「――怖い?」
「だ、大丈夫」
突然の雷に驚いてしまった。そしてこの雷を機に、一層雨が強くなった。おそらく今部室の外に出たら一瞬でずぶ濡れだろう。白石はスマホを取り出すと、天気アプリで雨雲レーダーを確認していた。
「しばらくはここから出んほうがええかもしれへん」
「え?」
「見てみ。レーダー、しばらく赤なっとる」
「ほんまや……」
「三十分後くらいには一旦落ち着きそうやし、それまで部室で雨宿りやな」
「……うん」
「そんな不安そうな顔せんと。大丈夫や。俺が一緒におるやろ?」
左隣にいる白石は、私の左頬を右手で軽くつねって微笑んでいる。きっと私を安心させるために、冗談混じりでそうしてくれたのだろう。大雨や雷は怖いけれど、白石と一緒でよかった。
と思った瞬間、また外が激しく光った。そして間髪入れずに、音が鳴る。かなり近いところに雷が落ちたようだ。
「白石、」
さすがに怖い。反射的に両手で耳を塞いで、隣にいる白石を見上げる。白石は、耳を塞いだままの私の左手に、自分の右手をそっと重ねた。耳を塞ぐ手が緩む。
「手、震えとる」
「ご、ごめん」
「謝ることあらへん。こうしとったら少しは落ち着くか?」
そのまま包帯の巻いていない方の手で、白石は私の左手に指を絡め直し、そのまま、ぎゅ、と手を繋いだまま下に下ろした。直に白石の手の温度が伝わる。
好きな人と部室で二人きりで、手を繋いでいる。落ち着くかと言われたら、緊張であまり落ち着かない。でも、今手を離されるのは怖くて、そして、白石とこのまま手を繋いでいたくて――私は「うん」と、嘘をついた。
さっきまであんなに淡々とミーティングをしていたのに、今や私たちの間からは会話が消えてしまった。外は相変わらずひどい雨が降っていて、ときたま近くに雷が落ちている。お互いに無言だからか、蛍光灯がパチパチと音を立てているのが気になった。
「……もしかして、蛍光灯切れそう?」
「あー。最近取り替えてへんもんなぁ」
「このタイミングで電気も切れたら最悪やなぁ……」
「はは。何やそれ、フリか?」
「フリちゃうよ、暗いの嫌やもん」
「まぁ、一本切れたところでそんな暗くは――」
白石がそう言いかけた時。またピカッと外が光ったとほぼ同時に轟音が鳴って、思わず小さな悲鳴が出てしまった。隣の白石からも少し息を呑むような音が聞こえたから、相当な雷のはずだ。そして、その激しい雷が影響してなのか、コントのようなタイミングで蛍光灯までが切れて、一瞬で部室が真っ暗になってしまった。
「わ、ついに蛍光灯も切れてもうたん?!」
「蛍光灯、さすがに全部同じタイミングで切れへんやろ。停電かもな」
「えっ、」
「大丈夫や。一過性ですぐ復旧するんちゃうか。部室の奥に懐中電灯あるから取ってくるわ」
まだ暗くなったばかりで目が慣れない。そんな中、白石は私と繋いでいた手をパッと離して、懐中電灯を取りに行こうとする。瞬間、一気に不安が押し寄せた。雷に大雨に停電のコンボで、一人になるのが怖い。
「待って、白石」
「?」
「……離れんといて。一人にしないで。お願い」
慌てて立ち上がり、おそらく白石がいるであろう方向を見てそう伝える。思ったより声が震えていて、情けない。
少し目が慣れてきた。その言葉に、白石のシルエットは、またこちらに近づいてきてくれたかと思うと、そのまま私の視界はそのシルエットでいっぱいになる。そして、いつの間にか私の身体は、すっぽりと白石の腕の中に収まってしまった。えっ、待って、
「――すまん、不安にさせてもうた」
「だ、大丈夫」
「俺は、ここにおるから」
「うん」
そのまま白石にぎゅっと抱き寄せられて、私の右耳は彼の左胸のあたりにぴったりとくっついている。カッターシャツの薄い布ごしに、白石の心臓の鼓動が聞こえる。
――当たり前やけど、白石も人間で、ちゃんと心臓動いてるんやな。彼の心臓は規則正しくリズムを刻んでいる。ただ、そのリズムは、普通より少し速い気もした。もしかして。
「……白石、どきどきしとる?」
その私の問いに、白石は一瞬黙った後、ぽつりと答えた。
「このシチュエーションで好きな子抱きしめながら冷静でいられるほど、人間できてへん」
「えっ……」
「支倉は?」
お互い同じ気持ちなのだということは、彼も私もきっと気づいていた。でも、まだ全国大会まで時間もあるし、勘違いだったらという可能性も否めなくて、私は自分から伝える勇気はなかった。そして、彼もきっと全国大会が終わるまで、この部長とマネージャーという関係を保とうと思っているのではないかと思っていた。でも。
「……私も、好きな人に抱きしめられながら冷静でいられるほど、人間できてへん」
そう返すと、白石は少し腕を緩めて、私の右頬をその大きな左手で覆う。頬に感じる包帯のざらつきで、彼の存在を改めてリアルに感じる。外は相変わらず大雨で、やはり時折雷も鳴っているけれど、そんなこと気にならないくらいに、自分の心臓の音がうるさい。
暗がりでも、視線がぶつかっているのがよくわかった。白石の瞳はいつになく熱を帯びていて、私の頬にもその熱がうつる。
「まさか今日伝えることになるとは思ってへんかったけど――一年の頃から、ずっと、好きやった」
「えっ、そんな前から……?!」
「せや。支倉が俺のこと好きになってくれるずーっと前からやで。一途やろ?」
「……知らんかった。めっちゃ嬉しい」
「支倉の気持ちも、支倉の言葉で聞かせてや」
「……私も、白石のこと、前からずっと好きやった」
その言葉を聞いた白石は、おおきに、と、再び私をぎゅっと抱き寄せた。白石のカッターシャツから柔軟剤のようなせっけんの良い香りが鼻をくすぐる。長い付き合いだけれどこんな至近距離は初めてだ。白石ってこんな匂いするんや。
それから、なんとなく二人で抱きしめ合ったまま無言で温もりを感じていたけれど、沈黙を破ったのは白石のほうだった。
「……今さらやけど、もっと夜景の見えるとことか、ええシチュエーションで告白すべきやったな」
「そんなん気にせんで。白石が私のこと好き言うてくれるだけで十分幸せやもん」
すっかり暗闇に目が慣れたから、白石の表情も読み取れる。彼は一瞬目を見開くと、はぁ、とため息をついた。
「……あんまり可愛いこと言うたらあかんで。今割と理性総動員して色々我慢してんねん」
「えっ」
我慢とは。彼の言う『色々』の内容が気になるけれど――ただ、そうこうしているうちに、そのまま彼はサラリと話題を変える。
「それよりもう怖ないか?さっきよりは外だいぶ落ち着いてきとる様子やけど」
「ほんまや。雷も落ち着いたし、雨もこれくらいやったら傘で対応できそう。もう怖ないよ」
そう伝えると、白石は、腕を緩めて私の身体を解放した。改めて、いくら怖かったからといえ、手を繋いだり、抱きしめてもらったり、我ながら大胆だったかもしれない。
「ちょお名残惜しいけど、もう俺ら恋人同士やし、大雨降らんでも、こういうことしよな」
「恋人同士……!」
「えっ、ちゃうんか?」
「いや、そうやねんけど……よろしくお願いします」
改めて頭を下げて、再び元に戻ると、白石は「こちらこそよろしゅう」と幸せそうに笑って、私の頭を撫でた。
Fin.
2022.5.31