秋といえば、私にとっては芸術の秋だ。運動部に所属している人たちはみんな引退しているかもしれないけど、文化部は秋からが本領発揮。美術部に所属している私も、美術展に提出する油絵をせっせと描いている。中学最後の作品だと思ったら気合が入るけれど、絵の出来は気合でどうにかなるものでもなく、ひたすらに、頭の中に浮かんでいる表現したいものをキャンバスに具現化するために、地道な作業の繰り返し。
今日は部活のある日ではなかったけれど、作品をどうにか完成に近づけたくて、顧問の先生に事前に許可を取って、放課後の美術室で一人キャンバスに向かっていた。そんな時、カラカラと後ろから美術室のドアの開く音がして思わず振り向く。誰だろう、今日は、私以外の部員は誰も来ないはずなのに。
「あれ、幸村くん?」
「支倉さん。ごめん、今絵を描いてたよね。俺のせいで集中力切らせてしまったかな」
「ううん、大丈夫。でも幸村くんが美術室に来るなんて珍しいね。どうしたの?」
振り返った先には同じクラスの幸村くんがいた。それこそもう引退してしまったけれど、ついこの間までテニス部の部長を務めていた幸村くんは、びっくりするくらい整った顔と穏やかな性格で、とても人気がある男の子だ。そんな幸村くんと一対一で話しているこのシチュエーションは、きっとみんながうらやむのだろう。とはいえ、私にとってはクラスメイトの男の子のうちの一人という感覚だ。幸村くんのファンの子が横にいたら「もっとありがたみ感じなさいよ!」なんて怒られてしまうかもしれない。
「俺が入院して休んでいる間、なかなか美術の授業に出られなかったから、個別に課題が出ていて。それを先生に提出しに来たんだ」
「そうだったんだ。先生、どこいっちゃったんだろうね? さっきまで美術準備室にいらっしゃったんだけど……」
「少し離席されてるだけかもしれないから、待ってみるよ。ここで待たせてもらってもいいかい?」
「あ、うん。大丈夫だよ。本当はお茶とかお菓子とかあればいいんだけど……」
「はは。お気遣いありがとう。その気持ちだけ頂いておくよ」
幸村くんは笑ってそう言うと、私の隣の椅子に腰を下ろした。そして彼は、私の描きかけの油絵をじっと見つめる。三年間、絵を描き続けてきたから、そこまで下手というわけではないけれど、別に美大に行く才能があるわけでもない。少し恥ずかしいな、なんて思っていたら、彼は言う。
「へえ。支倉さん、こういう作品描くんだ」
「あ、うん……」
”こういう作品”ってどういう作品なんだろう。気になるけれど、聞きにくいな。そんな私の心の内を読んだのか、彼は言葉を続ける。
「絵って、その人の内面や人柄が現れると思うんだけど――温かいな」
「”あたたかい”……」
「うん。俺としては誉め言葉のつもりなんだけど、ピンとこない?」
「……ううん、違うの。”上手いね”とか”きれいな絵だね”とかは言われることあるんだけど、”温かい”は初めて言われたから嬉しくて。うわべだけじゃなくて、ちゃんと作品を見てくれてるんだなって思ったの」
そう伝えると、幸村くんは「光栄だな」なんて言って微笑んでいた。その表情が、窓から入ってくる西日に照らされてよりいっそうきらきらしていて、とても綺麗で。さっきの言葉が嬉しかったのも相まって、なんだか幸村くんに対して、少しドキドキしはじめている自分がいる。
そういえば、幸村くんは、先生に作品を提出しに来たと言っていた。彼の手の中にはくるくると巻かれた画用紙がある。きっとこの画用紙を広げると、彼の作品なのだろう。私も幸村くんがどんな絵を描くか見てみたくて、彼に問う。
「もしよかったら、幸村くんの作品も見てみたいな」
「俺の? ああ、この先生に提出しようと思っている絵かい?」
「うん」
「少し照れるけど……支倉さんの作品も見させてもらったし、これで俺が見せなかったらフェアじゃないよな」
幸村くんは、その手の中にあった画用紙を広げていく。それは水彩画だった。水彩で、花の咲く庭が描かれている。一般的な男子中学生が描く絵を想像していた私は、そのレベルの高さに驚いた。これは毎日クロッキーをしていたり、基本を積み上げている人の絵だ。
「えっ、幸村くん、すごい……幸村くんも絵を描く人だったんだね」
「美術部に入って、今日も放課後一人で熱心に描いてる支倉さんほどじゃないけどね」
「……この絵に描かれている場所は想像? それとも実在するの?」
「実在するよ。俺の家の庭だから」
「へ~! すっごくきれいなお庭なんだね! それに、幸村くんのこの対象物――お花とかお庭への愛情が伝わってくる」
勢いよくそう伝えると、幸村くんは「ありがとう」と少しはにかんでいた。そんな幸村くんの反応を見て、自分のテンションの上がり具合に恥ずかしくなる。
その後は、幸村くんが「描きながらでいいよ」と言ってくれたので、私は筆を走らせながら、幸村くんと会話をした。その中で、幸村くんがルノワールを中心に印象派が好きなこと、植物や動物が好きなこと、クロッキーが日課であることなどを知った。それまで、幸村くんイコールテニスがめちゃくちゃ強い男の子、という印象しかなかったので、こんなに美術が好きだなんてというギャップに驚いたし、親近感がわいた。
「支倉さんは、水彩画は描かないの?」
「水彩画も素敵なんだけど、水彩ってやり直しがきかないから難しくて……」
「確かに、油彩は上から重ねられるね」
「うん。例え失敗したとしても油絵って上から色を重ねて修正することができるじゃない。それってポジティブだなって思うの。人生でも『失敗した』とか『悲しい』とか『悔しい』とか負の感情になったりすることあるけど、後から上から色を重ねて『あの経験があったから、成功した』とか『嬉しい』とか『楽しい』とかに変えていけそうじゃない?」
本当にそう思っていたから言葉にしてみたのだけど、ちょっとクサかったかな。
ふと隣にいる幸村くんの表情を窺うと、幸村くんは少し驚いたような顔をして、そのあと微笑みながら言う。
「――もともと油絵も好きだけど、キミのおかげで、もっと好きになった」
「えっ」
「俺も、たまには庭で油絵描こうかな。野外用のイーゼルを買わないと」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。私も幸村くんの描く油絵も見てみたい」
「俺は逆に支倉さんの水彩画も見てみたいけど」
「うん。私も幸村くんの水彩画見たら、久しぶりに水彩画も描いてみたくなったよ」
そんな時、ふと美術室の前を人が横切る気配がした。きっと先生が、隣の美術準備室に戻ってきたのだ。
「……先生、戻ってきたみたい」
「ああ。課題、提出してくるよ」
「うん。幸村くんのその水彩画だったら、絶対美術は『5』だよ。行ってらっしゃい」
そう彼を送り出そうとしたのだけれど、幸村くんは椅子から立ち上がりながら「その前に、」と前置きをする。
「支倉さん、今日は話せてよかったよ。ありがとう」
「うん。私も。幸村くんと話せてよかった」
今日、このたった十分くらいの時間で、一気に幸村くんとの距離が縮まった気がする。
だって、私は今、幸村くんにドキドキするようになってしまった。
「……また、放課後、キミが一人で描いている時、美術室に来てもいいかい?」
「……うん。幸村くんだったら、大歓迎だよ」
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
幸村くんは、嬉しそうに笑った後、颯爽と美術室を出ていく。その背中を見つめながら、高鳴る鼓動に戸惑う。彼が”温かい”と評してくれた目の前の油絵だけが、イーゼルの上で堂々としていた。
Fin.
2022.9.19
みんプラ企画作品。「趣味の秋」「放課後」「温かい」をテーマに。