最近仕事が忙しい。そのうえ、上司ともソリが合わない。肉体的にも身体的にも疲労がたまって、ストレスフル。一週間ってこんなに長かったっけ?
やっと迎えた金曜日。今日は何時に帰れるかな。明日の土曜日は、午後から久しぶりに雅治とデートの予定だから、今日はできたら早く家に帰って、色々とサボっていたケアをしっかりしたい。
彼氏の雅治とは、もう半月以上会っていないような気がする。せっかく平日の夜、一緒にご飯を食べようと約束していても、私が残業になってしまってドタキャンしたり。土日のデートを約束しても、私が休日出勤になってしまったり。そんなこんなでタイミングが合わず、会えていなかった。
でも、明日はさすがに確実に休めそうだ。遠距離恋愛でもないのだから、さすがに一か月に一回くらいはデートしておきたい。昨日まではたくさん残業したし、もう今日はさっさと帰ろう。いつもより早いとはいえ、パソコンを閉じたのは、夜七時過ぎではあったけれど。
*
マンションのオートロックを開けて、自分の住んでいる部屋のドアに鍵を挿した時、違和感がした。あれ?鍵が開いてる?私、疲れすぎて、朝出て行く時に鍵閉めるの忘れたのかな。と、ドアを開くとそこには――
「お前さん、不用心じゃのう」
「えっ……?! ま、さはる?!」
「これで不審者だったらどうするつもりじゃ」
呆れ顔の雅治が、目の前にいる。確かに彼は私の部屋の合鍵を持っているけれど、今まで連絡なしに使用されたことはなかった。
仕事がつらくて色々と限界だったこともあって、雅治の姿を見た途端にぷつんと私の中の何かの糸が切れる音がして――そのまま玄関でバッグを放り出し、目の前の雅治に抱きついてしまった。
「っ……会いたかったよぉ……」
「おーおー。うちのお姫さんは大胆じゃのう」
そんな軽口も気にならないくらいに感情が渋滞する。雅治の胸に顔を埋めて、さらにぎゅうっと抱きつくと、彼はそんな私にそっと腕を回して、頭をぽんぽんとしてくれた。
「お疲れさん。部屋の中入りんしゃい」
「うん……」
でも雅治ともう少しハグしたままでいたい気もする。
「それともアレか? 俺が抱っこせんと動けんか?」
「えっ?!」
「……本当にうちのお姫さんはしょうがないのう」
次の瞬間、ふと足が床から浮いて。雅治は私をそのまま抱き上げる。俗にお姫様だっこと呼ばれる体制だ。
「わわわ、重くない?! 大丈夫?」
「逆にちゃんと食べとるか心配じゃ」
「バッグ……」
「後で持ってくるき」
ワンルームの狭い部屋。雅治はそのまま私を部屋のベッドまで運びながら、問う。
「腹減っとるか?」
「うん……お昼も食べる時間あんまなかった」
「とんだブラック企業じゃのう」
雅治は私をベッドの上に下ろすと、すぐにキッチンの方へ移動する。
「チャーハン。好きじゃろ」
「うん、好き。って、雅治が作ってくれるの?」
「おまんはええ彼氏を持って幸せじゃな」
「……うん、本当に」
「……そこはツッコんでくれんと困る」
そう言う雅治の照れたような横顔が珍しくて、思わずスマホで撮影したくなった。ただ、スマホはさっき玄関に放り出したバッグの中なので、おとなしく自分の瞳でシャッターを切る。雅治はそんな私の視線に気づいたのか、作り終わるまでに手洗ってきんしゃい、とまるで母親のようなことを言った。
*
「美味しかった!ごちそうさまでした」
雅治が作ってくれるチャーハンは美味しくて、私の大好物だ。ただ、基本的には私が料理することの方が多くて、雅治の手料理は滅多に食べる機会がないから、本当に嬉しい。
「……今更だけど、何でうちに来てくれたの? 嬉しかったけど」
「生存確認ナリ。お前さん最近メッセージもなかなか既読にならんし」
「ごめんね……悪気は一切ないんだけど最近生きてるだけで精一杯で……」
「そんなことだろうとは思っとったがのう」
隣にいる雅治はそのまま、私の頬に手を伸ばす。
「肌、荒れとる」
「ごめん、最近ケアできてなくて……」
「頑張っとる証拠じゃ」
そうため息混じりに、雅治は微笑む。女子として本当は彼氏の前ではつるつるすべすべの肌でいたいけれど、こんな荒れた肌の私でもまるっと肯定して受け入れてくれる雅治に、改めて、好きという感情が溢れてきた。
「ただ、お前さんは頑張りすぎるところがあるき、心配にもなるぜよ」
そのまま雅治は私に顔を近づける。キスされるのかな、と思ったがその予想は外れた。そのまま雅治の額と私の額がぴったりとくっつく。とても至近距離に雅治の整った顔がある。これはこれで体勢的にも恥ずかしいし、きっとアイメイクも崩れているはずで、それを見られるのも恥ずかしい。
「……そろそろ一緒に住まんといかんかのう」
「えっ?! ど、同棲ってこと?」
「いや、結婚ってこと」
「ふーん、結婚ね……って、え、結婚?!」
「ええノリツッコミじゃ」
驚き過ぎて思わず身を離した私に対し、雅治は喉の奥でククッと笑っている。え、プロポーズってこんな日常で行われるものなの?!いや、それとも軽い冗談なのかな?!
「家族になれば緊急連絡先が俺になって、おまんに何かあってもすぐに連絡くるじゃろ」
「えっ、しかもそこ?! そんな理由?」
「『そんな理由』? 大事なことじゃき。お前さんの頑張り過ぎるところは中学の頃のテニス部マネージャー時代から十年以上ちーっとも変わっとらん」
「……でもそんな私が十年以上ずーっと好きなんでしょ?」
「ああ。正解」
自分で聞いておいてバカみたいだけれど、迷わず正解と答えた雅治からは何だか大人の余裕を感じて、思わずキュンとしてしまった。
「……で、さっきのは本気なの?」
「もちろん本気ぜよ。ほれ、給料三ヶ月分じゃ」
「えっ?!」
雅治はスッと私の手を取って左手の薬指にキラキラとした指輪をはめる。嘘、ほんとに?!なんだか色々驚き過ぎて感動している暇がない。
「で。お前さんは、俺の奥さんになってくれる気はあるんか?」
「もちろん! でもちょっと突然すぎて実感が……」
「……じゃ、実感してみるか?」
雅治はそう言うと、改めて私を正面から抱きしめる。そして、耳元で、低い声で囁く。
「好きじゃ。生涯かけて、おまんを守る」
「――っ」
「俺と、結婚してください」
さすがコートの上の詐欺師、さっきのどこかふざけた雰囲気から一転して、すっかり真剣な声色に私は心を奪われてしまって。左手の薬指の重みと、この言葉が、大好きな人にプロポーズされた実感を作り出していく。気づいたら涙腺が緩んでしまっていたのか、頬の上で水滴が滑る感覚があった。
「……はい」
絞り出した声は鼻声みたいになってしまったけれど、それを聞いた雅治はホッとしたように息を吐いていた。やっぱり雅治も少しは緊張したのかな。雅治は一旦私の体を解放すると、今度はそのまま私の顔を見つめる。メイクも崩れているし、泣いてるし、本当はこんなぐしゃぐしゃの顔、あんまり見られたくないのだけど。なのに、雅治はそんな私の顔を見た途端、今まで見たことないくらいに素直に幸せそうな表情をしたから驚いた。
*
翌朝起きて左手の薬指を確認すると、やはりキラキラと光るそれはちゃんとはまっていた。仕事の忙しさで体力がかなり奪われていた後に、雅治とも濃密な時間を過ごしたせいで、身体はだいぶ疲れているけれど――精神的にはびっくりするくらい満たされている。
「起きたか」
「えっ、雅治、起きてたの?」
「プリ」
謎の擬音語にも慣れてしまった。特にツッコまずに放っておく。今日は土曜日、元々は雅治とデートする予定だった日だ。
「……今日、何する? 元々はデートだったけど」
「二人で、婚約指輪、買いに行くぜよ」
「え、待って、この指輪、婚約指輪じゃないの?!」
「今流行りのプロポーズ専用リングってやつナリ」
「へぇ、そんなのあるんだ」
「本物の婚約指輪は、お前さんの好きなデザインで作る方が良いじゃろ」
なんだかんだ、雅治は私に甘い。こうしていつも私の喜ぶことばかり考えていてくれる。
「……あ、でもアレか。まだ腰動かんか」
「!! そういう言い方しないで」
「ゆっくり休みんしゃい。指輪はいつでもええき」
そう言って、雅治は私の頭を撫でる。
「寝かしつけないで……」
「ねんねんころりよおころりよ〜」
「もう! 私はそろそろ起きたいの」
「疲れてるときは寝るのが一番じゃ」
昼まで寝てしまうと、起きた時後悔するのはわかっているのに。将来結婚して子供ができたら、雅治は子供にもこんなふうに寝かしつけるのかな。そんなことを考えている間に、すっかり夢の世界へ落ちてしまった。
Fin.
2022.6.16