三年B組になったときから、いろんな友達に羨ましがられた。みんな決まってこう言うのだ、『丸井くんと仁王くんと同じクラスじゃん、いいなー!』と。丸井くんと仁王くんというのは、テニス部のレギュラーだ。テニス部と一口に言っても、うちのテニス部はただのテニス部ではく、全国大会を二連覇していて、それだけですごい。なのに、彼らのさらにすごいところは、そのルックスだ。テニスの腕だけではなく、顔まで芸能人級にかっこいい。
だからこそ彼らは爆モテであり、例え同じクラスであったとしても、少し住む世界が違うのだ――と思っていた、今朝までは。
「おっ、隣、支倉じゃん。シクヨロ」
「ま、丸井くん、よろしく」
何が起きたのか、席替えで丸井くんの隣の席のくじを引いた。丸井くんは一番窓際の後ろから二番目。私はその隣の列の後ろから二番目。つまり、丸井くんの反対側は窓であり、逆隣は存在しない。おそらく密かにクラス中の女子がこの席(もしくは仁王くんの隣の席)を狙っていたのではないだろうか。そんな席に当たってしまった。
こんな陽キャイケメンが隣の席なんて。私は基本的に毎日すっぴんだけど、明日から丸井くんに見えてしまう側の左半分だけメイクでもしようかな……。そんなとき、隣の席になったばかりの丸井くんから話しかけられる。
「お前、甘いモン好き?」
「え? うん」
「よし。じゃあコレやるよ」
丸井くんは、ポケットから何かを取り出した。あまり見たことのないチョコレートのお菓子だ。
「いいの?」
「おう。それ、最近出た新発売のヤツ」
「そうなんだ! 見たことないと思った」
「結構うまかったぜ」
丸井くんはそう言って笑う。丸井くんのこの弾けるような笑顔は、今、私に向けられているのだ。そう思ったらなんだか緊張した。丸井くんってこんな私でも普通に話しかけてくれるんだな。人気者で男女問わず友達が多いのは知っているけど、ひょっとしたらその友達の中の一人に、私も入れるのかもしれない。
*
丸井くんの隣の席になってから、私の日常は一気にきらめいた。
例えば、隣の席になった日に丸井くんからチョコをもらったので、その後、私も丸井くんにクッキーをあげた。そしたらまた丸井くんがお菓子をくれて、そんなことを繰り返して、気づいたら毎日のようにお菓子の交換をしていた。他にも、社会の授業中に丸井くんが歴史上の人物の写真に落描きをしたのをこっそり見せてきた。その秀逸な出来に、思わず私は笑いを堪えきれず吹き出してしまった。
「おい、丸井、支倉、集中しろよ〜」
そんなのが先生にバレて怒られて、丸井くんのせいだよ、いやお前が吹き出すからだろぃ、なんてまたこっそり小声でケンカをしたこともあった。
丸井くんと過ごすそんな毎日が楽しくて、気づけば私は丸井くんに淡い恋心を抱き始めてしまっていた。丸井くんに恋をしたところで、ライバルも多すぎるし、無謀なのはわかっている。恋人になりたいなんてわがままは言わないけれど、せめて、ひそかにこうして好きでいさせてもらえたら、嬉しいなあ。
*
「支倉、丸井はどこじゃ?」
「あ、仁王くん」
ある日の授業と授業の間の休み時間、不意に仁王くんに話しかけられた。そういえば、丸井くんいないな、どこだろう?ジャッカルくんのところに借りてた辞書でも返しに行ったかな?
「ごめん、私もわからないや」
「ふーん。そうか」
仁王くんは、空席になっている丸井くんの席に腰を下ろす。丸井くんもかっこいいけど仁王くんもかっこいいな。贅沢なことに、丸井くんは毎日隣の席で仲良くさせてもらっているから、だんだんそのかっこよさに慣れてきたけれど、仁王くんのかっこよさには慣れずに、少し緊張する。
「お前さんたち、随分仲が良さそうじゃの」
「ふぇっ?!」
「何じゃ、その声は」
仁王くんはククッと喉の奥で笑っている。仲が良さそう、か。丸井くんは誰とでも仲良くするフレンドリーな人だから、私が特別丸井くんと仲が良いなんてことはないはずだけど。なのに、仁王くんは「丸井はこういうんがタイプか」と何か納得したように呟いている。タイプって、え、ちょっと待って。思わず身体が熱くなる。そんなとき、丸井くんが席に戻ってきた。
「おい、仁王、人の席で何してんだよ」
「プリッ」
「こいつに変なことしてねーよな?」
「変なこと?何もしとらんぜよ。な、支倉?」
「あ、う、うん!」
「……じゃ、なんで支倉はそんな赤い顔してんの」
不機嫌そうな丸井くんに対し、仁王くんは言う。
「ククッ。青春じゃの。じゃ、俺は自分の席に戻るき」
仁王くんは立ち上がると、自席に戻っていった。入れ替わりで、丸井くんが席に着く。やっぱり丸井くんは不機嫌そうだ。
「仁王と何話してた?」
「え?あ、その『随分仲が良さそうじゃの』って言われた……」
誰と誰が、というのは恥ずかしくてなんとなく伏せた。けどきっと丸井くんには伝わっている。それを聞いた丸井くんは、意外だったのか、少し驚いたような顔をした後、目を逸らす。
「な、なんかごめんね」
「いや、謝る必要はねーだろ」
「うん……」
そんな丸井くんの耳は少し赤くなっている。お互いに何となく気恥ずかしくて、無言になった。そんな空気を読まず、次の授業が始まるチャイムが鳴る。教室の前のドアから先生が入ってきたけれど、なんだか心臓のあたりがざわついて集中できない。だって、丸井くんがそんな反応するなんて思わなかったから。
だから、私は少し調子に乗ってしまっていたのかもしれない。もしかして、もしかすると、丸井くんも私のこと、少しは気にしてくれているのかな――なんて。
*
そんなある日のことだった。女子トイレの個室に入っていると、同じクラスの女の子たちがメイクを直しながら話している内容が、耳に入ってきてしまった。
「最近ブン太って、支倉さんと仲良さげじゃない?」
「あー。何か先生に二人で注意されてたよね。わかる」
「でもさー、支倉さんはブン太のこと好きかもしれないけど。ブン太があんな子好きになるわけなくない?」
「確かに。支倉さん、地味だし?特徴無いっていうか」
「でもきっと支倉さんは勘違いしてブン太のこと好きになっちゃうよねー!かわいそ~!」
「「アハハハ!」」
……どうしよう。今の状態では、個室から出にくい。
私は個室の中で気配を殺すことにした。そして、我に返った。丸井くんが私のような地味でダサい女を好きになるわけがない。私は何を勘違いしていたのだろう。調子に乗っていた自分が恥ずかしい。その次の日から、私は丸井くんと少し距離を置くことにした。
「おい、支倉」
「な、何?」
「……お前、最近――」
「あ、ごめん丸井くん、私用事を思い出して!」
丸井くんに何か話しかけられても、最近はこんな感じで、あからさまに避けてしまっていた。最初は不思議そうにしていた彼も、最近はその「不思議」がどんどん「不愉快」に変わっているようで、私が彼を避けるとあからさまに不機嫌そうな表情をしていた。
そんな中、丸井くんと私の所属する男女四人の班が、階段の掃除当番に当たってしまった。ついこの間までなら、丸井くんと掃除できるのも楽しみでしかなかったけれど、今はちょっと気まずい。
「じゃ、俺と支倉は三階、四階部分担当で。二人は一階、二階部分やってくれたら後でまとめてゴミ捨てとくから」
丸井くんは班長ということもあり、場を仕切る。丸井くんの指示で、私は丸井くんとペアを組むことになってしまった。ほうきを持って、丸井くんの背中を追いかけるように階段を上る。まずは一番上、屋上手前の踊り場から、降りてくるように掃除をするのが一番やりやすい。黙々とほうきを使ってゴミを集めていく私に、丸井くんは声をかける。
「支倉」
「な、何?」
「……最近お前、俺のことあからさまに避けるだろ。俺、何かした?」
丸井くんは、真剣な顔で問う。今までなら用事があって、とか、先生に呼ばれてて、とか、適当に嘘をついてその場を去ることができたけど、この環境でそうはいかない。どうしよう。慌てて首を振る。
「じゃあ、何があったんだよ」
「……」
「俺には言えねぇ?」
その訊き方はずるい。観念した私は、なるべく直接的にならない言葉を選んで、事実を伝えた。
「――クラスの女の子曰く、私が丸井くんと仲良くなるにはビジュアルの偏差値が足りないみたいで……」
そう答えてみると、目の前の丸井くんは予想通り眉を寄せる。
「はぁ? 何だよそれ」
「ご、ごめんなさい……」
「誰に何か言われたのか知らねーけど、俺が誰と仲良くしようが俺の勝手だろぃ」
「……正論すぎてぐぅの音も出ません」
丸井くんの顔が見れずに、ほうきを持ったまま俯いてしまった。確かに丸井くんの言う通りなのだけど、丸井くんは自分がイケメンだから、きっと私の気持ちはわからないだろう。
「それに、俺から見たら、お前可愛いし。自信持てよ」
「えっ?! いや、お世辞でも嬉しいです……」
「別にお世辞のつもりもねーけど。お前さぁ、何でそんな自己評価低いわけ? 俺の気持ち全然気づいてねーだろぃ」
丸井くんは呆れたようにそう言うと、持っていたほうきを壁に立てかけて、私のいる方へジリジリと近寄ってきた。思わず私はほうきを両手で握りながら後ずさりする。不意に背中がひんやりとした壁に当たった。丸井くんの大きな瞳に、自分の顔が映り込んでいるのがわかるくらい、顔が近い。次の瞬間、彼が発した言葉に、心臓が止まりそうになった。
「俺は、お前が好きなんだけど」
「――ぇ」
「……お前は、俺のこと、どう思ってんの」
どうやら私は、いわゆる壁ドンの体制で、あの丸井くんに告白されている。もしかして、もしかすると、丸井くんも私のこと、少しは気にしてくれているのかな、と思ったことはあった。けれど、まさか、本当にそうだとは。
驚きすぎて言葉が出てこない。私も丸井くんのことが好きだ。でも信じられない。
「……わたしは、」
なんとか言葉を紡ぎ出す。目の前の丸井くんは少し緊張したような顔で、でも私を真剣に見つめている。
「……私も、丸井くんが、好き」
言葉にするのも畏れ多いと思っていた。丸井くんは自己評価が低いと私を嗜めたけれど、もしもそれなりに自己評価が高かったとしても、こんな陽キャイケメンの丸井くんの彼女として隣に立つには、結構勇気がいるだろう。震えた声でそう伝えると、丸井くんは目の前で大きくため息をついた。
「……っはー、緊張した……一瞬フラれるかと思った」
「えぇっ?! まさか」
「だって、お前なかなか答えねーし。でも良かった」
目の前の丸井くんは、さっきの表情から一転して明るく笑っている。
「……これぐらい緊張するほど、俺は、お前が好きだっつーことわかっとけ。だから、もう俺のこと避けたりすんなよ」
「……うん」
「あと、今から俺の彼女ってことで。シクヨロ」
丸井くんはそう言って、右手を差し出してきた。その握手に応じると、テニスの練習をたくさんしているからか、丸井くんの手のひらにマメがたくさんできているのがわかって、その感触がリアルでどきどきする。急に両想いなんだという実感が湧いてきた。
丸井くんの彼女になると、きっとまた周りから色々言われてしまうだろう。でも、もう大丈夫。丸井くん自身が私を好きだと言ってくれたから。だから、もう逃げずに、私も丸井くんに似合う女の子になる努力をしよう。
そう思ったら、色々と悩みが吹っ切れた。
「うん、よろしくお願いします!」
そう笑顔で伝えると、丸井くんは「久しぶりに笑ってるとこ見た」と嬉しそうに言って、そのまま私を抱きしめてくれた。そのシーンを同じ班の他の二人に偶然見られてしまって、私たちが付き合い始めたことが一瞬でクラス中にバレてしまうのは、また別の話。
Fin.
2022.5.10