春夏秋冬

 同じクラスの白石くんに片想いをしていた。白石くんに片想いをしている女子は私以外にもたくさんいるし、今まで白石くんに告白した女子は全員『テニスに集中したい』の決まり文句で玉砕していたから、特にこの想いを成就したいとは思っていなかった。白石くんの恋人はテニスなのだ。

 そんな白石くんは、夏の全国大会が終わった後も、U-17日本代表に選ばれて、11月から12月にかけて、長い間クラスを不在にしていた。四天宝寺のテニス部が強いのは知っていたけど、白石くん個人のテニスの実力が、まさか世界と戦えるレベルまでとは私も知らなかった。

「白石くん、憧れとったけど、もうそういうレベルちゃうやんな〜。同じ学校に通う男子ってよりは、芸能人、みたいな?」
「わかる〜。もうここまで来たらもうちょい手近な男子のほうがええよな。元バスケ部の林くんとか」

 そんな会話がチラホラと聞こえてくるようになって、白石くんのファンだった女の子は、バスケ部のキャプテンだった林くんや野球部のエースだった鈴木くんに流れていった。でも、私は――やっぱり、白石くんが、好きや。

 白石くんを好きになったきっかけは、保健委員だ。1年生の時に保健委員になってから、誰かの役に立つ喜びを感じられるこの仕事が好きで、2年生でも保健委員を続けていたし、3年生でも保健委員をやろうと決めていた。だからもちろん、クラスで委員決めをするときに、保健委員に真っ先に手を挙げた。そのため、女子の保健委員はすぐに私に決まったのだけれど、男子の立候補は出てこなかった。それもそのはず、保健委員は、病人が出たら付き添いをしなければいけないし、昼休みの当番もあって、月に何日かは昼休みが潰れてしまうのだ。
 ――こんな面倒な委員、やりたい男子なんておらんよなぁ。
 ”こんな面倒な委員”に立候補した自分のことは棚に上げ、そう思っていたら、不意に「ほな、俺立候補するわ」と、スッと手を上げたのが白石くんだった。後から白石くんに「何で立候補してくれたん?」と聞いたら、彼はこんなことを言った。

「あのまま決まらんで様子見し合う時間が無駄や思ったし、それに、女子の保健委員が支倉さんやったからかな。支倉さん、想いがあって保健委員に立候補しとる感じやったから。そういう子とやったら、一緒に仕事してみたい思ってん」

 白石くんのことは、確かに顔はかっこいいとは思っていたが、それまでは別に好きなんて思ったことはなかった。なのに、そんなことを言われては、意識してしまって。
 それから委員会の仕事を中心に、白石くんと交流を深めていった。その中で彼の真面目な人となりや、テニスにかける想い、それから、意外と気さくで悪戯好きな性格なども知って、気づいたら白石くんのことを本気で好きになってしまっていた。
 彼も彼で、だんだん私に気を許してくれたのか、委員会以外でも声をかけられることが増えたり、関西大会の試合会場は大阪だったから「応援来てくれへん?」なんて直々に誘ってもらったこともあった(結果、決勝戦は全校応援になったので、誘われた誘われないに関わらず、クラスほぼ全員が応援に行ったのだけど)。
 ただ、こうして白石くんと深めてきたのは、あくまで友情であることは弁えている。
 彼がテニス部を引退した後、テニスという理由がなくなったタイミングで、彼に告白する女の子がまたたくさん現れ始めた。ただ彼は『希望の高校でテニスをするために、受験勉強に集中したい』という理由で断っているようだった。やはり、どんな女の子も、私も含めて、やはりテニスには敵わない。

 12月、クリスマスソングが街に溢れかえって、道ゆく人々がどこか浮かれ気分な頃、ふいにメッセージアプリの通知がきた。

『支倉さん、元気か?』

 トークルームに表示されている名前は、まごうことなく、今はオーストラリアにいるはずの白石くんだった。慌てて返信をする。

『元気やで。白石くんは?』
『ぼちぼちや。保健委員の仕事、1人でさせてもうて堪忍な』

 白石くんがどんな気まぐれで突然私にメッセージをくれたのかはわからない。それまで、連絡先こそ交換していたけれど、特別個人的にメッセージをやりとりすることはなかったのに。

 そこから、白石くんとはこまめにメッセージのやりとりが続いた。今日も、帰り道にスマホを開いたら、白石くんからメッセージがきている。

『そっちは、寒い?』
『うん。大阪は降ってへんけど、京都は雪も降っとるよ』
『雪か。ええなあ。オーストラリア、真夏やねん』
『あったかくてええやん』
『そうか? 俺としては今年は梅雨明けから夏がずーっと続いとる感じや』
『確かに白石くんからするとそうやんなぁ。日本帰ってきたら、冬を満喫せな』

 毎日何てことない会話のやりとりだけれど、それが幸せだ。ただ、同時に不思議だった。そもそもどうして白石くんは私に連絡をくれたのだろう?

 そんな白石くんが、冬休み明け、久しぶりに教室に姿を現したので、うちのクラスはざわついた。下級生の女の子も、白石くんの姿を確認しに、3年2組の教室に何人も訪れてきた。白石くんの日に焼けた肌を見て、彼が南半球の異国で過ごしていたことを実感する。
 早速今日は保健委員の活動日でもあるので、放課後、委員会に参加した。今月の保健だよりと、手洗いうがいの啓発ポスターを、教室の後ろの掲示板に貼るのが今日の仕事だ。

「改めておかえりなさい、白石くん」
「ただいま」
「……日本、寒いやろ」
「せやな。やっと冬を体感できたわ」
「はは。やっぱり夏の方が良かった〜なんて後悔してへん?」

 保健だよりの角に右手で画鋲を刺しながらそう問うと、白石くんは言う。

「逆。ずっと早よ帰ってきたかってん」
「ホームシック?」
「ホームシック、とは少しちゃうけど。支倉さんと毎日メッセージしながら、早よ本物に会いたい思っとった」

 予想外の発言すぎて、咀嚼に時間がかかる。聞き違いでなければ――白石くん、私に会いたいから早く日本に帰ってきたかった、と言った?動揺している私を見て白石くんは「……なるほど、支倉さんにはやっぱこれくらい直球投げなあかんかったんやな」と眉を下げて笑っている。

「ほな、もう1個直球投げさせてな。俺、ひとつ支倉さんに頼みがあんねん」
「頼み?」
「日本の冬満喫するの、付き合うてくれへん?」
「へ?」
「……ようは、俺と一緒に京都でデートしませんか、っちゅーこと」
「えっ」

 聞こえてきた日本語の意味を理解した途端、驚きすぎて左手で持っていた画鋲のケースを落としてしまった。カシャーン!という音とともに金色の画鋲が大量に床に散らばる。

「っ、怪我してへん?!」
「だ、大丈夫。逆に画鋲ばら撒いてもうてごめん」
「支倉さんに怪我ないなら良かったわ。早よ拾おな」

 白石くんは私より先にその場にしゃがんで散らばった画鋲を1つずつ拾い集めるから、私も慌ててその後を追う。2人で画鋲を拾い集めながら、私は先ほどのお誘いの返事をした。

「……ええよ。誘ってくれてありがとう。せやけど何で?」
「男が女の子をデートに誘う理由なんて、ひとつしかないやろ。そっから先は自分で考えてみ」

 しゃがんだ状態で目が合った白石くんはそう言って少し意地悪な笑顔を浮かべるから、元々熱くなっていた頬がさらに熱をもった気がした。

 冬の京都の街を、私服の白石くんと二人で歩く。まさかそんな日が来るなんて思っていなかったけれど、今日それは現実となった。

「昨日雪降ったみたいやな」
「せやなあ。きっと白石くんが冬堪能できるように降ってくれたんちゃう?」
「支倉さん、ええこと言うなあ」

 京都駅で待ち合わせをして、市バスの1日乗車券を買って。観光客のど定番だけれど、まずはバスで京都の観光名所を巡る。瓦屋根に雪がうっすら積もった景色はまさに日本の冬という感じだ。
 まずはこれぞ京都を感じられる定番スポットに行こう、ということで、私たちは東山エリアを巡ることにした。五条坂のバス停でバスを降りて、坂を上っていく。

「結構坂も階段も急やし、足元気ぃつけや」
「うん、?!」
「って、言うたそばからコケそうやん」
「わざとやないねん、ごめん……!」

 バランスを崩して思わず近くに掴まれそうなものはと手を伸ばした先は白石くんの右腕だった。コートの布越しにも白石くんの筋肉質な腕の存在がわかって、急にどきっとする。

「はは。ほんまコントみたいなタイミングやったな」
「……恥ずかしいわ」

 パッと白石くんの腕から手を離すと、彼は「俺としては、別にそのままで良かったんやけど?」なんて笑う。そんな彼に動揺しながら、以前彼が発した言葉が頭をぐるぐるする。

『男が女の子をデートに誘う理由なんて、ひとつしかないやろ。そっから先は自分で考えてみ』

 私の中で導き出される解はあるのだけれど、その解が信じられない。――まさか白石くんが、私のこと、好きやなんて。

 そのまま楽しい1日が過ぎていき、あっという間にそろそろ帰らなければいけない時間だ。
 私たち2人は京都駅まで戻ってきた。でも、白石くんは改札とは違う方向へ歩いていく。

「あれ? 改札、そっちにもあるんやった?」
「……なぁ、支倉さん、帰る前に寄りたいとこあんねんけど、付き合うてくれへん?」
「うん、あんまり遅くならへんのやったら大丈夫」
「わかった。17時59分の新快速には絶対乗ろな」

 白石くんが導くままに着いていくと、長い長いエスカレーターが。どうやら京都駅の伊勢丹の屋上がテラスになっているらしい。上り切った先では、それぞれのベンチで、それぞれのカップルが、思い思いの時間を過ごしている。

「すごい!めっちゃ綺麗。こんなとこあるんや」
「はは。喜んでもらえて良かったわ」

 京都市内は条例で高い建物が少ないと聞いた。なので、こうして京都市内を一望できるスポットは貴重だ。ちょうど黄昏時、空が茜色に色づいていく。

「――今日、楽しかった?」
「うん。めっちゃ楽しかった。寒かったけど」
「はは、せやな。俺も寒かったけど楽しかった」
「白石くんも楽しかったんやったら良かった。冬、満喫できたやんな?」

 ガラス張りの壁ごしに京都の街を見下ろしていた視線を、隣にいる白石くんの顔の方へ移すと、白石くんはどうやらずっと私の方を見ていたようで、ばっちり目が合った。

「今日の最後に、伝えよ思ってたことがあるんやけど」

 その真面目な声色に、私たちを纏う空気の色も変わる。少し緊張したような白石くんは、まず私に問うた。

「オーストラリアから初めてメッセージ送った時、めっちゃ突然やったやろ。びっくりした?」
「……うん。びっくりした。何で私に?って」
「はは。やっぱそうやんな。実はな、あの時、俺にとって少し考え方が変わるきっかけがあって。それ、聞いてほしいねん」
「うん」
「ちょお長なるで」
「えー……」
「こら。えー言うな」
「ふふ。冗談やって」

 そう言うと、白石くんは一息置いて、再び言葉を紡ぎ始める。

「俺、ずっと『テニスに集中したい』っちゅー理由で彼女作らんようにしとったんやけど、それは別に好きな子がいてへんってことと同義ではない。部活引退する前から、ずっと好きな子はおったんや。せやから、引退するまで告白まではできひんけど、大した用もないのに声かけてみたり、試合応援来てくれへんかって誘ったり、アプローチはしたんや。ただ、その子、ニブイから俺の気持ち、なーんも気づかへんかったみたいや」

 私にとっては青天の霹靂だった。白石くんにはずっと好きな人がいた。彼の恋人はテニスではなかったのだ。そして、白石くんはニブイと言うけれど、さすがにこの話の流れで『好きな子って誰?』となるほどニブくはない。一気に心臓が早鐘を打つ。

「引退した後は、女の子に告白されて断るときこそテニスを理由にしとったけど、ほんまはその子との関係をもっと深めたい思っとった。ただ、そんな時U-17の招聘が来てもうた。テニスプレーヤーとしてはめっちゃ光栄でありがたいことやねんけど……またテニスに集中せなあかんくなるな思って、正直複雑な気持ちやった。ただな、U-17って、高校生の先輩たちもおんねん。でな、高校生の先輩の中には彼女がおる人もいてて。彼女おるのに、テニスめっちゃ強いねん。その時にふと気づいたんや。『テニスに集中したい』言うて恋愛は遠ざけてきたけど、別にテニスと恋愛ってそんなに関係あらへんのとちゃう、ってな。彼女おっても強い人は強いし、弱い人は弱いしな。そんな時、彼女おる先輩のうちの1人と恋愛の話になって、言われてん。『ノスケは彼女作らへんの?』って」
「へぇ白石くん、『ノスケ』って呼ばれてるん?可愛い」
「……支倉さん、今そこ拾うか?」
「あ、ごめん……」
「はは。そういうとこも可愛えけどな」

 そういうとこ『も』、って。白石くんこそ、今この状況でさらにぶっ込んでくるやん。

「で、好きな子はおるけど、テニスに集中したい思ってて……っちゅーのをその先輩に伝えたら、先輩が言うたんや。『逆やで、ノスケ。好きな子が応援してくれるから勝って喜ばせたろ思えるし、彼女がおったら、きっと今よりもっと頑張れるはずやで☆』って。支倉さんにメッセージ送ったの、その日の夜やねん」

 そのまま、私たちの間には沈黙が流れる。ただ、私たちは、お互いにお互いを見つめ合っている。そして、彼はついに核心をついた。

「俺、支倉さんがずっと好きやった。保健委員の仕事に一生懸命なとこも、他人のために頑張れるとこも、顔に全部出る素直なとこも、ちょおニブイとこも、全部好きや」

 そのあと少し間をおいて、俺の恋人になってくれませんか、と敬語で訊ねる白石くんの頬は、夕焼けに照らされて赤く染まっている。いや、きっと夕焼けに照らされなくても。白石くんも緊張したり赤なったりするんや。そんなところに新鮮さを感じながら、もちろん答えは一択しかない。

「……よろしくお願いします」

 そう言ってぺこりと頭を下げ、また身体を元の位置に戻すと、白石くんは私の頭の上にその大きな掌を置いて、くしゃりと髪を撫でた。

「……また二人で、ここ来よな」
「うん。受験、終わったらかな」
「せやな。今度は花見とかええな。ほな、今日はそろそろ帰ろか」

 白石くんは私の髪を撫でたその手で、今度は私の左手をとる。私たちは手を繋いだまま、長い長いエスカレーターを下りていく。眼下の京都駅の改札を見つめながら、この隣にいる大切な人と、これから春夏秋冬とめぐる季節を1つずつ何周も過ごしていけたらいいな、なんて思った。

Fin.
2022.8.21