夏は夜。
と、清少納言が言った通りだ。千年経っても、やっぱり夏は夜に限る。昼は暑くて仕方ないけれど、夜はいくらか暑さも和らぐし、そのおかげで暑いのが嫌いな私の恋人も、こうして夜には外でのデートに付き合ってくれる。
「……っはー。やっぱ夜はいくらかマシやわ」
金曜の夜、隣を歩く光は四条大橋を渡りながらそう呟く。中学の頃から付き合い始めてもう少しで十年。大学を卒業して社会人になってから、私たちは一緒に暮らし始めた。
お互いがお互いを大切に思う気持ちは年々深くなっていると思うけれど、一方で一つ一つの新鮮味がなくなりマンネリ化してしまうのは事実。なので、たまにはいつもと違う街で、外で待ち合わせをしてみる、ということをやってみた。そんなわけで、今日、私たちは京都にいる。
阪急京都河原町駅で待ち合わせをして、そのまま特に行くあてもなく、なんとなく八坂神社方面へ。夜の鴨川は納涼床で提灯が灯り、賑わっている。
「……光、」
「ん、何」
「やっぱりええなぁ、たまにこういう外でデートするの。最近いつも家でゴロゴロしとるだけやったし」
「せやかて、どう考えても夏の昼間は暑いやろ」
「中学の時は暑い中テニスしとったやん」
「あん時も別に暑いのが好きやったわけちゃうで。テニスコートが外にあるからしゃーないやろ」
こうして光と手を繋いで、家の近所以外を歩くのは、随分久しぶりかもしれない。お互いに仕事が忙しいし、光は土日休みだけれど私は職業柄シフト制なので、そもそも休みが合わないことも多いのだ。
今日も、私は一日休みだけれど、光は仕事を定時で終わらせた後、まっすぐ京都へ来てくれた。だから、隣を歩く光は、ワイシャツにスラックスという格好だ。そして、右手の手首には、彼がはじめてのボーナスで購入した、でもブランドを主張しすぎない、シンプルな腕時計。家に着くと彼はすぐ部屋着に着替えてしまうからこうして仕事モードの光をゆっくり見ることはあまりないのだけれど、改めてカッコイイ。
「……その服、はじめて見るんやけど」
「……光と久しぶりに外でデートや思って、浮かれて買ってしまいました」
光は基本的にオシャレだし、ファッションへの興味も一般男性より高い方だから、私の服装やメイク、ネイルの変化にもよく気づく。今日も早速新しい服を下ろしたのがバレてしまった。一目惚れしたワンピースは、一着二万円と、まだ新卒二年目の私からすると少し背伸びした価格だったけれど、やっぱり可愛いし、それに――光も好きそうなデザインだったというのもあって、先週買ってしまったのだ。
「……似合うてるけど、」
「けど……?」
「俺がおらんときにこの服着るの禁止」
「えっ、何で?!」
「待ち合わせで俺が来る前、一人でその格好しとって、声かけられへんかったん」
確かに、ナンパみたいなのには何件か遭ったけれど、「彼氏を待ってるので」とキッパリ断ったし問題ないのでは。なんて思考がよぎる。それを光に伝える前に、光は私の表情で何かを読み取ったのか、やっぱな、とため息をついた。
「……やっぱな、って何」
「自分の頭で考えや」
光はそれ以上何も言わずに、繋いだ手を引っ張って歩みを進めていく。気づけば私たちは八坂神社の前の信号にたどり着いていた。
*
京都でデートせえへん?と提案したのは私の方だというのに、光はちゃんと夕ごはんを食べるお店を予約してくれていて、結局祇園エリアをお散歩した後、予約の時間に、木屋町のレストランに連れて行ってくれた。
「たまには他の人が作るごはんもええなぁ」
普段料理当番の私は、素直にそんな感想を言う。
「ま、麻衣はそうかもしれへんな」
「光はちゃうの?……まぁ、光はあんまり料理せえへんもんな」
「……俺は、麻衣の作るメシのが好きやけど」
予告なく落されるこういう爆弾発言に、私は彼と出会ってから十年以上、ドキドキし続けている。光はサラッと照れもせずにこういうことを言うのだ。毎回、私ばかりが動揺していて悔しい。
「めっちゃ照れてるやん」
「うるさい、こっち見んといて」
「ハイハイ」
明日、光は仕事が休みということもあり、いつもよりお酒が進んでいる。とはいえ光はお酒が強いので、酔っ払ってどうにかなるということはないけれど。私は明日は午後から仕事だ。午前中は家でゆっくりできるけれど、飲み過ぎ注意。
「……麻衣は明日午後からやったな」
「うん」
主語がなくても、仕事のことだとわかる。それくらい私たちのつきあいは長い。
「ほな、食べ終わったら、ぼちぼち帰ろか」
*
お店を出て、駅までの道を並んで歩く。やっぱり京都。大阪とは異なる趣のある景色だ。
「……ちょお、違う道、行ってええ?」
「最終的に駅着くんやったら何でもええよ」
「わかった」
光は路地に入っていくので、手を繋いでいる私もそのまま引っ張られる形でその路地へと入り込む。路地は、表通りとまるで異なり、飲食店もなく、人もおらず、本当にタイムスリップしたような景色だ。光はふと足を止めたので、私も歩くのをやめる。
「光?」
路地の真ん中で立ち止まった光を見上げると、光は「ここやったら、誰も見てへんやろ」という言葉とともに、その手のひらで私の右頬を覆う。え。嘘やろ。
そのまま光の整った顔が近づいてきて、唇が重なった。光とキスをするのはもう何度目かもわからないけれど、こんな誰が来るかもわからない外でキスなんて。私の心は焦るのに、光は唇を離す様子もなく、気づいたら彼の手は私の後頭部と腰の辺りに移動して、グッと身体を引き寄せられる。
「……っ、急にどないしたん、」
やっと唇が離れたので、光の顔を見上げてそう問うと、光は「俺が麻衣の策略にハマっただけや」と言う。
「……マンネリ解消?」
「そもそもマンネリにもなってへんけどな、俺は」
「えっ」
「せやけど、外でデートするとやっぱり可愛えな思うし。改めて好きや思うわ」
光から素直で甘い言葉が聞けるなんて。キスよりもこっちのほうが驚いてしまう。
「……何や、照れてるん?」
「そら、照れるやろ。でもめっちゃ嬉しい。また夜のデートやったら、夏でもつきおうてくれる?」
「せやな。夜やったら昼間より涼しいしな」
ほな帰るで、と、光はまた私の手を取って、頭に地図が入っているのか、何も見ずに駅に向かって歩みを進めていく。
――ほんまに、『夏は夜』、やな。
千年経っても、少なくとも私たちにとっては、それは揺るぎない事実なのだ。
Fin.
2022.8.19