Wish upon a star

 公私混同はしないと、蔵と付き合うときにお互い約束した。部活の時はちゃんと「白石」「支倉」と今まで通り苗字で呼び合うこと。部活の時は絶対に恋人同士の雰囲気を出さないこと。

 だから、今回の合宿中も、私達はあくまで部長とマネージャーとして節度を持って過ごしていた。本音を言えば、恋人同士だし、一つ屋根の下で数日間過ごすのだから、少しは恋人らしい時間を過ごしたい気持ちもなくはないけれど。

 合宿最後の夜、なんとなく眠れずにいた私は、夜風に当たってくることにした。それにせっかく合宿で田舎に来ているし、空を見上げると星がきれいかもしれない。

 外に出ると、まるで世界に自分一人しかいないような感覚。大阪という都会では感じられない静寂と圧倒的な闇。テニスコートの方まで行ってみよう。今日はあまり月が出ていないようで、星の明かりだけを頼りに歩を進める。すると、不意にこの世界にもう一人の存在が感じられた。ハァハァという息切れは、テニスコートから聞こえてくる。もしかして。

「蔵…?」
「麻衣…」

 真夜中だというのに、蔵はラケットを振っていたようだ。音が立つからボールは使わずに、きっと素振りやフォームの確認をしていたのだろう。

「こんな夜中にどないしたん」
「眠れへんくて。蔵こそ、練習?」
「……俺も何や目冴えてもうてな」

 蔵は私の姿を見つけると、ラケットを振るのをやめて、私の方へと向かう。

「あ、練習の邪魔してもうた?私に気にせず続けててええよ」
「ちょうどそろそろ終わろ思ってたとこやねん。それにしても麻衣に『蔵』呼ばれるんめっちゃ久しぶりやな」

 暗い中でも目が慣れてきたから、蔵の表情もよくわかる。彼は嬉しそうに笑っている。私だって『麻衣』と呼ばれるのは久しぶりだった。しばらくご無沙汰だった恋人同士の時間が、予想していなかった形で訪れて嬉しい。そのままコートを出て、合宿所の敷地内のベンチに二人で腰掛ける。

「……最近2人の時間全然あらへんかったな」
「せやね」
「さびしかった?」
「……少し」
「俺もや」

 蔵はそう言いながら、その右手を私の左手に絡めた。手を繋ぐのもなんだか久しぶりでどきどきする。久しぶりに感じる蔵の手は、私のそれよりずっと大きく骨ばっていて、やっぱり男の子だ。

「全国大会終わったら、デートしよな」
「うん」
「どこ行きたい?」
「え、どこやろ、パッと思いつかへんけど…蔵は?」
「麻衣とやったらどこでもええなぁ」
「……何それずるい」

 そんなの私だって同じだ。結局、蔵が隣にいてくれさえすればどこだってそこが私の世界の中心になる。

「まぁ、行きたいとこ思いついたら教えてや。俺も大会終わったら色々考えてみるわ」
「ありがとう──せやけど、大会終わるっちゅうことは、私達も引退するってことやんな。不思議な感じ」
「せやな。こんだけ毎日テニスばっかしとると引退すること自体が全然実感わかへん」
「うん」
「今年こそ、優勝、やな」

 蔵はそう言って夜空を仰いだ。その表情から、部長としての責任が伝わってくる。なぁ、蔵、せやから目冴えてもうたんやろ?このテニス部のことを誰よりも考えている彼は、時折色々背負いすぎてしまう。
 繋いでいる手をぎゅっと握ると、どないしたん?と、蔵は夜空から私へと視線を戻す。

「あまり気負いすぎんといてね」
「……わかった。マネージャーの忠告はちゃんと聞かんとな」

 緊張感の解けた声色でそう言った彼は、もう一度夜空に視線を向けた。私も同じように夜空を見上げる。

「めっちゃ星きれいや」
「ほんま。流れ星見放題やなぁ」
「あれ、夏の大三角。休み明けのテスト出るで」
「勉強のこと思い出させんといて」
「はは。すまん。ほな勉強のこと忘れて俺のことしか考えられへんようにしたろか?」

 そんな台詞を言ったかと思ったら、次の瞬間、私のくちびるは彼のそれでふさがれていた。予想していなかったので思わず目を閉じるのを忘れた。ファーストキスというわけではなかったけれど、久しぶりのキスに心臓がおかしくなりそうだ。一度くちびるを離すと、彼は言う。

「……どや?俺のことでいっぱいになった?」
「……わかってるくせに」
「んーわからへんなぁ。まだ足りひんかったかな?ほなもう一回や」

 わざと蔵はそう言うと、また私にキスをする。次のキスはさっきの触れるだけの一瞬のものとは違い、何度も何度も角度を変え、甘い時間が続く。たまに漏れる呼吸音が夜の静寂に響き、恥ずかしさでなんとも言えない。

「……麻衣」
「?」
「おおきに」

 2回目のキスの後、彼はなぜか私に礼を言う。

「──俺は1人やない。麻衣も、みんなも、そばにおって支えてくれてんねんな」
「……うん。蔵はひとりちゃうよ」

 そう言うと、蔵は無言で微笑んで、私の頭を撫でた。

「ほな、そろそろ戻ろか」
「……うん」

 ベンチを立ち、左手にラケットを持った彼は、その右手を再度私の左手と絡める。手を繋いで合宿所に戻る中で、満天の星空に、全国大会での勝利と私たちの幸せをこっそり願った。

Fin.
2021.10.2