Present for you

 ずっと同じクラスの謙也くんのことが好きだった。

 明るくて、調子が良くて、頭も良くて、スポーツもできて、クラスの人気者。でも、ちゃんと周りを見ていて、誰に対しても優しくて。そんな謙也くんに、ひそかに恋をしていた。
 謙也くんの将来の夢はお医者さんだと、前に本人から聞いた。「オトンの病院継いで、町医者になんねん」と。そう話す謙也くんの目はキラキラしていて、親から押しつけられた夢ではなくて、きっと本当に人々を救うお医者さんになりたいんだろうな、と思った。そして、将来医学部に進むのであろう謙也くんは、それに相応しい名門の男子校に進学が決まっている。

 3月17日。今日、私たちは四天宝寺中学校の卒業式を迎えた。バレンタイン、勇気が出ず、チョコを渡すことができなかった。だからホワイトデーだって、当たり前に何もなかった。謙也くんに想いを伝えぬまま、私は中学を卒業していく。

「3年2組」

 パッヘルベルのカノンをバックミュージックに、担任の先生が、私たちのクラス名を読み上げる。何度か卒業証書授与の練習はしたけれど、これが本番なんだな、と思う。

「忍足謙也」
「はい」

 体育館中に響き渡る、凛とした謙也くんの声を聞いて、なぜか泣きそうになった。謙也くんはそのまま指定のルートを通ってステージの上の校長先生の前へ行き、お辞儀をしたあと、証書を受け取って、ステージから降りていく。ついに、私たち、卒業しちゃうんだな。謙也くんに会えるのも、今日が最後かもしれない。

 卒業式が終わって、教室に戻ってくる。最後のホームルームだ。担任の先生から話を聞いて、卒業アルバムをもらって。泣いている子もいれば、満足そうに笑っている子もいる。共通するのは、四天宝寺での中学生活が最高だったということだ。私も、そう。謙也くんに出会えて、こんなに毎日楽しくなるなんて思わなかった。謙也くんの笑顔を遠くから見られるだけで嬉しかったし、そんな謙也くんに「おはようさん」なんて声をかけられて、なんてことない雑談をするだけで、その日1日中幸せだった。
 ホームルームが終わると、保護者たちは教室から出て行き、生徒たちだけが残る。このあとはクラスで最後の打ち上げと称して夕方からボウリング大会などがあるけれど、それまでの間は自由だ。さっそく後輩の女の子たちが3-2の教室の前に群がっている。きっと白石くんの第2ボタン狙いなのだろう。

「なぁ、卒アルの最後のページにメッセージ書いてくれへん?寄せ書きしてもらお思て」
「うん、ええよ。ええアイディアやね」
「お姉ちゃんが四天宝寺卒業するときな、卒アルに寄せ書きめっちゃされとって。うらやましかってん」

 友達がそう話しかけてきたので、私はカラーペンを取り出してその子にあてたメッセージを書かせてもらう。そんな様子を見ていた周りの友達が、「え、それ私もやりたい」「俺も」などとなり、気づけばクラスでアルバムに寄せ書きをもらうことが流行り始めた。

「ほんなら私の卒アルにも書いてもろてもええ?」
「もちろん!」

 私は自分のアルバムを取り出して、友達にメッセージを書いてもらう。そんなことを繰り返していると、結構な数の寄せ書きが集まっていた。――もしかして、これだけ流行ってたら、謙也くんにも書いてもらえるのかな。

「謙也〜!俺の卒アルにメッセージ書いてや!」
「おん!ええで。『3-2最高⭐︎浪速のスピードスター謙也より』完璧やろ」
「うわ、書くん速っ!しかもメッセージ雑!」
「俺の卒アルにも書いてや」

 謙也くんの方をちらりと見ると、謙也くんも卒アルに寄せ書きをもらうムーブメントに乗っかっていた。それなら、自然に話しかけたら、私も謙也くんにメッセージもらえるのかも。心臓がバクバクと音を立て始める。でも、最後だし。最後だもん。

「け、謙也くん」
「ん?」
「私の卒アルにも、メッセージもろてええかな」

 声は震えていなかっただろうか。顔は赤くなっていないだろうか。少し心配だが、そう声をかけると、謙也くんは「おん!卒アル貸してや」ととても嬉しそうに笑ってくれた。話しかけてよかった。そして、謙也くんは少し緊張したような表情で言う。

「……その、俺の卒アルにも、書いてくれへん?」
「えっ、私が書いてええの?」
「当たり前やろ。自分に書いてほしいねん」

 そう言ったあと、謙也くんは照れたような表情をしたから、なんだかこちらまで照れてしまった。謙也くんとアルバムを交換して、お互い最後のページの空白に文字を埋めていく。ちらりと隣を見ると、浪速のスピードスターのはずの謙也くんは、一生懸命にペンを走らせて、私のためにメッセージを書いてくれている。少なくとも私宛のメッセージは『3-2最高⭐︎』ではないらしい。
 私も私で、謙也くんへのメッセージを考えあぐねていた。最後に謙也くんに伝えたいことはたくさんあるけれど、みんなが見る可能性があるこの場で、ラブレターみたいになるわけにもいかない。当たり障りのないメッセージに1字1字に想いを込めてみる。最後に名前を書いて、誤字がないか確認すると、謙也くんもちょうど書き終わった頃だった。

「謙也くん、卒アル返すなぁ」
「……おん。その、一瞬耳貸して」
「え?」

 謙也くんは私から受け取った卒アルを机の上に一旦置くと、私の右耳に手を添えて口を寄せる。一気に距離が近くなって、びっくりするくらい身体が瞬間湯沸かし器のように熱くなった。

『一通り終わって落ち着いたら、テニスコートの裏来て』

 謙也くんは声帯を振るわせずにそれだけ言うと、そのまま身体を元の体制に戻して、「卒アル返すな」と私のアルバムを手渡してくれた。え、え、謙也くん、今、なんて?聞き違いでなければ、私はどうやら謙也くんに呼び出されたようである。

「ほな、後で」
「う、うん」

 謙也くんはそのあと男子テニス部の後輩たちに呼び出されてどこかへ行ってしまい、私も私でアルバムの寄せ書きの他に、部活の後輩から花束をもらったり色々あって、ようやく落ち着いた。
 呼び出されたテニスコートの裏へ行ったが、謙也くんはまだいない。待っている間に、アルバムの最後のページの寄せ書きを読んでみよう。芝生に腰を下ろし、開いてみる。謙也くんの寄せ書きは、まだ読んでいなかった。落ち着いて読みたいと思っていたからだ。アルバムを箱から出す。表紙には学年全員の集合写真。3年間楽しかったな。寄せ書きのページへ進む前に、表紙から1ページずつ思い出を振り返っていく。ちょうど3年2組のページにたどり着いた頃、遠くから私の苗字を呼ばれた。

「――謙也くん」
「俺から呼び出しといて、待たせてもうてすまん!」

 次の瞬間には、目の前に謙也くんがいる。走って来てくれたようだ。さすが、足速いなぁ。私はアルバムを箱にしまって、立ち上がる。

「ううん、大丈夫」
「――その、さっき、アルバムに寄せ書き書いたやろ」
「うん。書いてもろたけど……」
「それ書いててな、改めて気づいてん。アルバムは当たり障りのないことしか書けへんし、このままやといっちゃん大事なこと、伝えられへんまま卒業してまうわって」
「……大事なこと?」

 淡い期待をしてしまいそうになるのを慌てて抑える。変に期待して後で落ち込みたくない。緊張した面持ちの謙也くんは言う。

「俺、支倉のこと、ずっと好きやった」

 心臓が、止まるかと思った。謙也くんが、聞き違いでなければ、私のことを好きだと言った。淡い期待を頑張って抑え込んでいたのに。こういうとき、なぜ、すんなりと言葉が出てこないのだろう。

「……そ、その、すまんな。変なこと言うて。俺だけスッキリして、支倉にモヤモヤさせて、よう考えたら俺、自己中やな」
「ち、ちゃうねん、謙也くん。そないなこと言わんといて。こういうとき何で言葉が出てこぉへんのやろ……嬉しすぎて、頭真っ白になってもうて……」

 えっ待って待って。一瞬頭が真っ白になった後、どんどん実感がわいてきた。私は今、大好きな謙也くんから告白されている。太陽みたいに明るくてみんなから好かれている謙也くんが、まさか私を好きになってくれるなんて。

「……私も、謙也くんのことずっと好きやった」
「ほ、ホンマか?」
「どうせフラれる思ってたし、伝える勇気なかってん」
「何でやねん、もっと自分に自信持ちや」

 気づいたら、頬を涙が伝っている。慌てて手で涙を拭う私に、謙也くんは制服のポケットからハンカチを取り出して手渡してくれた。
 嬉しすぎると人って涙が出てくるんだな。
 どこか他人事のようにそんなことを思う。

 謙也くんはそんな私の様子を見て、彼自身も私の想いをしっかり受け取ってくれたようだ。宥めるように、私の頭を撫でるその手は、ぎこちなかった。

「……俺が今日誕生日なの知っとったんやな」
「うん」

 謙也くんのハンカチを頬に当てながら、頷く。先刻、謙也くんのアルバムに、当たり障りのないメッセージとともに『お誕生日おめでとう』と書いた。彼はそれを読んだのだろう。

「あの文章読んで、ちょっとだけ期待してもうて――今日『卒業式』だけやなくて『俺の誕生日』としても認識してくれとったんや、誕生日覚えてくれる程度には俺のこと気にしてくれとったんや、って」
「……うん。せやけど、ごめん、今日、何にもプレゼント用意してへん……」
「ええねん。プレゼントは今からもらうから」
「今から?」

 どう言う意味だろう。これから一緒に買い物でも行くのかな。というか、私たちは今想いが通じ合ったけど、この後どうなるのだろう。一緒に買い物に行くような関係になるのかな。

「……その。今日で中学は卒業やけど、春休みも、高校行っても、会いたいねん。せやから――」

 謙也くんは赤い顔をしている。
 そんな謙也くんを見てこっちまでドキドキする。

「俺の彼女になってくれませんか?」

 それが、俺にとっての誕生日プレゼントや。と、恥ずかしそうに付け足す謙也くんに、自分の中の想いが一気にこみ上げてきて、思わず目の前の彼に抱きついてしまった。それが予想外だったのか謙也くんは少し驚きながらもそっと私の背中に腕を回す。そんなの、返事は一つに決まっている。
 よろしくお願いします、という声は謙也くんの学ランの胸の辺りに吸い込まれていったけれど、きちんと彼の耳に届いただろうか。でもきっとその後、彼が私を抱きしめる腕の力がぎゅう、と強くなったから、きっと聞こえていたのだろう。

Fin.
2022.3.17