白石先輩に恋をするようになってから、私はよくミルクティーを買うようになった。ミルクティーの色は白石先輩の髪の色に似ている。光に透けるときらきらして綺麗なその髪に触れたいと何度思ったことか。
手が疲れた――そう感じた私は、原稿を埋めるために30分間握り続けていたペンをころころと机の上に転がし、ミルクティーの入った紙パックに手を伸ばす。ストローを、すう、と吸うと、口の中にふわっとした甘さが広がった。
「またミルクティーや」
とん、と肩を叩かれて後ろを振り向くと、そこには白石先輩本人が立っていた。白石先輩は委員会の先輩だ。うちの高校の委員会活動は盛んで、最低週1回の活動をすることが義務付けられている。白石先輩と私はともに保健委員だった。委員会の任期は基本的に半年だけれど、1年生の時からずっと保健委員を続けている白石先輩と私は、先輩後輩の関係になってもう2年目だ。お互いに気心が知れてきてからは、自然と白石先輩といっしょに仕事をすることが多くなった。そして、今も、生徒会に提出する資料を二人で作成している。
「支倉、先週の委員会のときもミルクティー飲んどったやろ」
「え、すごい、よく覚えてますね」
「他の奴が緑茶とか烏龍茶のペットボトル並べとる中、1人だけミルクティーやったから印象に残ってん。確かその前の週もそうやったと思うで。ミルクティー好きなんや?」
「あっ、はい、好き、ですよ!」
白石先輩にまさかそんな細かいところを見られていたとは思わなかった。それにしても白石先輩に「ミルクティー好きなんや?」なんて聞かれるとは。ミルクティーは好きだけれど、なんだか肯定するのは暗に自分の気持ちを先輩に伝えているみたいで恥ずかしい。もちろん白石先輩は私がミルクティーに先輩を重ねているだなんて、つゆにも気づいていないだろうけど。そんな中先輩は、ところで、と切り出す。
「一応俺、原稿書き終わってんけど、チェックしてくれへんか?」
「あ、いいですよ。でも私、まだ自分の原稿が終わってなくて……あと少しなんですけど……」
すると、先輩はわざと意地悪そうに言う。
「ふーん、原稿書き終わってへんのに、悠長にミルクティー味わう暇はあったんや?」
「うう……すみません……!」
「はは、冗談やって。支倉がさっきまで一生懸命原稿書いとったのは見てたし」
“見てたし”って――私、白石先輩に見られてたんだ…!
先輩がさらりと言った一言にまた恥ずかしくなった。原稿に集中しすぎて周りが全然見えていなかったみたいだ。気づけば委員会活動を行っていた教室には、白石先輩と私以外全員いなくなっている。きっと他のみんなには原稿の仕事はないから、通常の清掃活動や備品補充だけ行って、そのまま帰ってしまったのだろう。
白石先輩は少し思案すると、おもむろに私の隣の席の椅子を引いて、そのままそこに座った。
「あと少しなんやったら、ここで待っててもええ?」
「『ええ?』って聞く前に、もう座ってるじゃないですか」
白石先輩がすぐそばにきたせいで思わず動揺した自分の心を隠すように、わざと呆れたような声を出してみた。しかし、白石先輩は軽く笑うだけ。そんな白石先輩を見ていると、ふと、おそろしい考えが浮かんでしまった。もしかして、先輩は私の気持ちに全部気が付いていて、わざと私を動揺させて面白がっているんじゃないだろうか。手元に感じる白石先輩の視線は、まるでそんなふうに私に思わせてしまうくらい、どきどきするものだった。
「なんかすごい手元に視線感じるんですけど……」
「ああ。せっかくやから俺も支倉の原稿チェックしよ思てな」
視線は、私ではなく、私の手元にある書きかけの原稿に向けられていたものらしい。それを知り、少し残念なような、でもほっとしたような。ため息をついてほっとしたのもつかの間、先輩はまた「あ」とこちらに身を乗り出す。
「ここ、字違てる」
「あっ、は、はい、今すぐ直します!」
どうしよう。距離が近い。髪と髪が今にも触れてしまいそう。
「……あの、白石先輩、距離、近くないですか?」
勇気を出して、原稿の字を直しながら尋ねてみる。白石先輩の顔が見れない。確かにあと3センチくらい近づいたらキスできる距離やなあ、なんてのんきに判断する白石先輩のセリフにますます恥ずかしくなった。頬が熱い。
その熱い頬に、ふと、ひんやりした感触。
白石先輩の少し骨ばった右手が、うつむいた私の左頬を覆う。そして、白石先輩はそのままその手で私の顔をゆっくりと元の位置まで動かしたから、白石先輩と目が合ってしまった。
「――なあ支倉」
ぽつり、と私の名を紡いだ先輩の瞳は、なんだかテニスをしているときの先輩の瞳のように、奥に真剣さと熱情を秘めている。この状況は一体――そう思った瞬間、予想もしていなかった台詞が耳に届く。
「ほんまにキス、してみる?」
白石先輩は冗談でこんなこと言う人だっただろうか。思わず目を見開いてもう一度白石先輩を見つめなおすが、先輩の真剣な表情は変わらない。私の頬に触れる先輩の手が、ゆっくりと、首筋、そして、肩に這うように落ちる。触れられたそのラインだけが、ものすごく熱い。
「え――あの、」
冗談ですよね、と問う私をじっと見つめる先輩の視線だけで、全身の血が沸騰したように熱くなってしまう。少しの間の後、彼は言った。
「ずっと好きやった」
「っ――」
「支倉がミルクティー飲み始める前から、ずっとやで」
その台詞から一瞬で悟った。やっぱり私の気持ちはとっくに彼に知られていたのだ。――しかし、彼がその気持ちを知っていたのは、彼が私のことをずっと見ていたからだということも、また確かなのだ。
少し見つめあった後、彼の端正な顔が私に近づいてくるのを感じ、私はゆっくり目を伏せる。そのあと触れた彼のくちびるは、ミルクティーよりずっとずっと甘いものだった。
Fin.