Heal my world

「Kiss Kiss Kiss」の続きです。

 「10分」とだけ言い残して部室のソファに倒れ込んだ彼は、1時間以上も静かに寝息をたてて、眠っている。本当は10分経った時点で私は彼を起こさなければいけなかった。だけど、そんなこと、できなかった。きっと彼が起きたら、私は大目玉をくらうのだろう。「何で起こさなかった」とかなんだと責められるのは目に見えている。
 しかし、そこまでわかっていても、私には彼を起こせなかった。
 最近の彼は、少し働きすぎだ。休息が必要なのは、マネージャーの私が、いちばんよくわかっている。ううん、本当はマネージャーとしての私だけではない。彼の隣に立つことがいつの間にか許されてしまった私だからこそ、それが、わかるのだ。口約束なんてない。ただ、いつの間にか、言葉もないまま、そういうふうになってしまった。だから、私は自分のことを彼の恋人だと思ったことはない。でも、彼は私を好いていてくれているし、私も彼を好いている。それだけはなぜか、確信している。

「ん……」

 そんな小さな、しかし妙に色気のある彼の声が聞こえた。お目覚めか。跡部の顔をのぞきこめば、彼の睫毛は小さく揺れて、そのあと、伏せられた瞳がゆっくりと開いた。

「おはよう、跡部」
「………お前。10分って言ったろ」
「10分しか経ってないよ?」
「嘘をつくな」

 起きた瞬間から、予想通り咎められてしまった。しかし、彼のその声は、予想に反して、とてもやさしいものだった。むしろ上機嫌のようだ。なんだかんだで、熟睡できて、疲れがとれたのだろうか。

「あれから何分経った」
「……1時間くらいかな」
「そうか」
「……跡部、あんまり怒らないんだね。私が起こさなかったこと」
「……もし逆の立場だったら、俺もお前を起こしてねぇだろうからな」

 そう言いながら、跡部は身体を起こして眩しそうに瞳を細める。そんな隙のある表情になぜかどきっとした。そんな私の様子に気づいた彼は、フッ、と鼻で笑う。

「見惚れたか?」
「ば、ばかじゃないの?!」
「てめぇ。誰に向かって言ってんだ」
「誰に向かって、って……!同い年でしょうが!立場的には対等なの!」

 そう言うと、跡部は一瞬黙って、それからまた笑った。

「?」
「……確かにな」
「でしょ?」
「ああ」

 跡部はなぜか満足そうに笑っていて、ちょっと言葉は悪いけど、気味が悪い。だって、あの跡部が、俺様な、人を見下すような笑顔じゃなくて、なんだか、本当に素直に笑っている。そんな顔されたら、こっちの心臓がもたない。私は跡部から目をそらして、話題を変える。

「あ、そろそろ20時!帰らなくちゃ……」
「……帰るのかよ」
「……だって、明日も学校でしょ。親も心配するし」
「車で送ってやるから」
「いや、跡部家にご迷惑かかるでしょ」
「別にいいだろ」
「よくない」
「お前、そんなに俺と一緒に居たくねぇのかよ」

 ああ、そういうこと。やっと合点がいって跡部の顔を見つめると、跡部は「それでいいんだよバーカ」なんて呟いて、そのまま私の顎に指をかけると、上を向かせた。

「……跡部」
「こういうときくらい、名前で呼べ」

 そんなことを言ってきたのは景吾のほうなのに、私が名前を紡ぐ前に性急にくちびるを重ねてきた彼は、今日は相当甘えたいようだった。

Fin.