今日7月20日は、幼馴染の光の誕生日。ただ、日中はお互い違うクラスで授業を受けているし、放課後はお互い部活で忙しい。――たった一言、「おめでとう」と伝えることが、まだできていない。
「今日財前くんの誕生日やったんやな。昼休み、うちのクラス、盛り上がっとったで。テニス部の先輩らも祝いに来とったし、後輩の女の子も財前くんにプレゼント渡しに来とったよ」
光と同じ2年7組に所属している部活の同期かつ親友の理沙が、女子更衣室で制服に着替えながらそんなことを教えてくれた。
「そうなんや」
「……麻衣は?もう祝ったん?まだ?」
「……まだ」
「好きな人の誕生日やろ?後悔せんようにね」
そんなことを言いながらササッと着替えを終えた理沙は、ほな彼氏待たせてるから先帰るな、とデオドラントスプレーの良い香りを漂わせながら更衣室を去ってしまった。
『好きな人の誕生日やろ?』という言葉に、今更どきりとする。親友の理沙にだけは打ち明けていた。幼馴染の光が、異性としても特別な存在であること。
一人残された私も着替えを終え、そのままスクールバッグと部活用のサブバッグを持ち、更衣室を出、生徒玄関へ向かう。すると。
「――随分着替えるん遅いんやな」
「光?!」
「先帰ったろ思たわ」
「っ?!」
もちろん光と一緒に帰る約束なんてしていないし、生徒玄関で光が私を待っているなんて予想もしていなかった。何が起きたかよくわかっていない中、帰るで、と光は歩き出すので慌ててその後を追う。
光の家と私の家は隣同士だ。ゆえに、帰り道はほぼ同じ。光が「近所やから」と四天宝寺中を進学先に選んだだけある、電車や地下鉄を使って遠方から通う生徒も多い中、私たちは徒歩通学だ。家までの道を並んで歩く。
「……光と帰るん、めっちゃ久しぶりやな」
「麻衣も俺も部活しとるしな」
「せやなぁ。男テニ、大会近いんやろ」
「来週、関西大会」
「へぇ。光、試合出るん?」
「まぁ、出るんちゃう」
そのまま私たちは当たり障りのない話をしながら家までの道を歩く。何で私のこと生徒玄関で待っててくれたんやろ。そんな素朴な疑問を聞けないまま。
中学に入って、「財前くんって、かっこええけど、何や話しかけにくいよなぁ」なんて女の子たちから言われているのをよく耳にした。一般的に見たらそういう印象なんやな、と認識したけれど、私にとって彼は話しかけやすいとか話しかけにくいとかそういう次元ではなかった。隣にいて当たり前で、隣にいないと息が吸えないような、そんな存在。私にとって光は、昔から家族のようでもあって、親友のようでもあったけれど、中1の秋頃からそこにひとつ、また特別な感情が追加された。
けれど、光が私のことをどう思っているかは全くわからない。だって、光との関係は良くも悪くもずっと変わっていない。幼馴染という意味で、他の女の子に比べて彼の特別ではあるだろう。けれど、それが異性として特別なのかは、ブラックボックスだ。
ふと、公園の前を通り過ぎる。小さい頃、よくこの公園で光と遊んでいたっけ。小学校低学年頃までは毎日のように光も含めたみんなで遊んでいたけれど、高学年になると、男の子は男の子同士で、女の子は女の子同士で遊ぶようになって、光ともこの公園ではそんなに遊ばなくなった。あのブランコも、砂場も、懐かしいなあ。そんな気持ちで眺めていると、不意に隣にいる光は公園の方へ歩き出す。え、寄っていくん?今から?頭に疑問ばかりが浮かぶが、そのまま着いていくと、光は公園のベンチに腰を下ろしたので、私もその隣に腰を下ろす。
夜7時前の公園には、もう小学生の子どもたちはいなくて、光と私だけ。大阪の街のど真ん中のはずなのに、緑も多く、大通りから外れているせいか、とても静かな空間がそこには広がっている。
「麻衣」
「何?」
「自分、俺に今日、何か言うことあらへんの」
そう言う光の方をふと見ると、光はこちらをじっと見つめていた。その双眸に、なんだか私の気持ちまで見透かされている気がして、どきどきする。
「光」
そう彼の名を呼ぶと、光は一層その漆黒の瞳でじっと私の顔を見つめる。
「――お誕生日、おめでとう」
「……おん」
「遅なってごめん。なかなか伝えるタイミングなかってん」
「あまりに何も言わへんから忘れとったんかと思ったわ」
「えぇ?!忘れるわけないやん。一応プレゼントも用意して……って、もしかして光、私からプレゼントもらうために帰り待っとったん?」
「アホか。そんなわけないやろ」
「……せやったら、何で?」
「麻衣に、話あったから」
「話……?」
話って何やろ。全く想像がつかない。
「せやけど、プレゼント先にもろてから話すわ」
「ちゃっかりしとるなぁ……!」
そう言いつつも、ささやかではあるけれど、光のために選んだこのプレゼントが、陽の目を浴びることになって嬉しかった。今日は光にたくさんの女の子がプレゼントを渡しただろうし、中には彼に告白をした子もいたと思う。そんな中で、もし彼に彼女ができていたら、いよいよもうプレゼントなんて渡せへんのやろな、と思っていたからだ。
スクールバッグの中から、潰れないように一番上に入れていたラッピング済の紙袋を取り出して光に渡す。彼はそれを受け取ると「開けてええ?」と聞くので、そのまま頷いた。袋を開ける彼の手は、いつの間にかすっかり大人の男の人の手に成長していて、どきっとする。
「……グリップテープや」
「悩んだ結果実用性で選んでみてんけど」
「しかも俺がいつも使てるやつやん」
「うん」
「おおきに。使わせてもらうわ」
上機嫌そうな光は、グリップテープを袋の中に丁寧に戻すと、そのままテニスバッグの中に袋をしまった。良かった、この反応は、素直に喜んでくれているみたいだ。
「……で、話って何?」
話題を戻すと、光は一瞬黙って、そのあとぽつりと言葉を紡ぐ。
「今日、何人かに告られてんけど、」
「……う、うん?」
えっ、そういう話?!光とは長い付き合いだけれど、お互いに恋の話はしたことがなかったから、内心驚きつつも、続きを聞く。この話の着地点は何だろう。
「『彼女おる』言うて断った」
「えっ、光、彼女できたん?!」
「できてへん。まだ話の途中や」
「ご、ごめんなさい。でも嘘ついたっちゅーことやんな」
「せやな。せやけど」
光はまた私を見つめる。いつもクールな彼のどことなく熱い視線に、全身の血が熱くなっていくのを感じる。
「今からそれ、嘘やなくするつもりやねんけど」
「……」
「麻衣、自分、俺のこと好きやろ」
「えっ?!」
えっ、バレてた?!ここで頷くべきかわからない。けれど、きっと頷かなくても彼に私の気持ちは伝わっているだろう。だって、頬がこんなにも熱い。
「……やっとやな。待ちくたびれたわ」
「え、どういうこと……」
「俺は、小学生の頃からずっと麻衣が好きやった」
「?!」
「幼馴染で一番近い距離におるし、麻衣が望んでへんのやったら別にこのままでええかって思っとったけど――麻衣も俺のこと好きになったんやったら、話は別や」
驚きすぎて、頭がパンクしそうだ。光が私のことを好きでいてくれた。しかも、私が光を好きになるよりもっと前から。
「俺は麻衣に『彼女』になってほしいねんけど」
ストレートもストレートなその言葉に、彼の気持ちを疑う余地は全くなくて。やっと両想いの実感がわいてきて、首を縦に振る。
「……うん、光の彼女になる」
絞り出した声は緊張のせいかなんだかか細かったが、光はしっかりそれを捉えてくれていて、珍しくふわりと笑いながら私の頭の上に無言でぽんと手を置いた。
「やっぱやめたとか、ナシやで」
「そんなん言うわけないやん」
「ん。ほな、これからよろしゅう頼むわ」
そのまま光は私の頭の上に置いた手を滑らせて、もう片方の手といっしょに、私の両頬を覆う。きっと光の手のひらにはダイレクトに私の頬の熱が伝わっている。恥ずかしい――そんな感情が頭をよぎったが、刹那、何も考えられなくなった。
目の前に、光のその整った顔。
何かがくちびるに触れる感触。
「……っはー、おもろ。何ちゅー顔してんねん」
「ひ、ひかる、今、何して」
「何って、キスやけど」
サラッとそんなことを言うからまた頭が沸騰しそうだ。さっき恋人同士になったばかりなのに、もうキス?!しかも私にとってはファーストキスだ。
「……ファーストキスやってんけど」
「俺もそうやけど」
「ファーストキスって、もっと心の準備して、ロマンチックな感じやと思っとったのに……!」
驚きを伝えたくてそう言ったのだが、光には違うように伝わったようだ。
「……クレームか。しゃあないな」
「いや、そういう意味やなくて……」
「ほな、もう一回、やり直す?」
「え?!」
光はそう言うと、いつもより少し低い声で「麻衣」と私の名を紡ぐ。名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。
「目ぇ、瞑っとき」
まるで光の声は私に催眠をかけているみたいだ。その言葉通りに目を閉じると、さっきとは違って、とてもやさしく光のくちびるが自分のそれに触れるのを感じた。
その触れているくちびるから、光の想いが伝わってくるようで胸が震える。もしくちびるから私も想いを伝えられるとするならば。
――お誕生日おめでとう、光。大好きやで。
Fin.
2022.7.20