embrace

『決勝、決まった。23日、午前10時だから絶対来いよな!』

 ブン太からそんな電話を受け取ったのは、たった3日前のことだった。電話の後ろの方はざわざわしていたから、彼はまだ東京の会場にいたのだろう。誰より先に私に電話をかけてきてくれたのが嬉しい。もちろん二つ返事で頷いた。

 そして今日がその全国大会決勝の日だった。会場は、中学生がこんなとこ使っていいの?!と驚いてしまうくらい立派なスタジアムだった。いまいち会場がここで合っているか不安だった私は、立海の応援団とチアの姿を発見して、やっとどきどきしていた心臓が落ち着いた。

 そして、運命の試合は、始まった。

 全国大会準優勝。
 それだけ聞けばとてつもなく素晴らしい成績だった。けれど、私は全国三連覇を目指していたブン太を、そして立海のテニス部を知っている。だって、誰よりも彼のいちばん近くでこの目で見てきたのだ。
 ――どうしよう。かける言葉が見つからない。
 そんなとき、私の携帯が震えた。メールだった。

 麻衣、来てるんだろ?
 アリーナの外で待ってる

 言葉は見つからないけれど、それよりも、ブン太に会いたかった。会ってどうするかなんて何も考えていないけれど、ブン太が私を待っててくれるなら、会いたい。会わなくちゃいけない。携帯を握りしめたまま、脇に置いていたスクールバッグをひっつかむと、私は走って、ブン太の待つ場所に向かった。

「ブン太!」
「おう、麻衣。こうやって会うのすっげー久しぶりじゃね?」

 アリーナの外はもう人もまばらだった。ユニフォーム姿のまま、片手を上げて、ブン太は笑う。悔し泣きでもしているのかと思ったのに、いつもどおりすぎるブン太に拍子抜けした。

「だね。夏休み中ずっと会ってなかったし」
「だよな。マジごめん。部活忙しくてさ」
「うん、知ってる。だから全然怒ったりしてないよ?むしろメールとか電話つきあってくれてありがと」
「……お前、ほんと彼女として完璧だな」
「いきなり何言ってんの?!」
「褒めてんだよ。素直に喜べっつの」

 ブン太はそう言うと私の頭を撫でる、というよりは、髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「髪乱れたんですけど」
「元からそんなんじゃなかったっけ」
「うわ、ひどっ!これでも朝一生懸命早起きして寝癖直したんだから」

 慌ててぐちゃぐちゃになった髪を手ぐしで元に戻す。その様子を見て、ブン太は呟いた。

「早起き、か」
「え?」

「今日この試合見るために、早起きしたんだろ?――勝ったとこ見せられなくて、ごめん」

 マジかっこわりぃな。そう付け加えたブン太の雰囲気ががらりと変わって、今さら気づいた。今までのはブン太の精一杯の強がり――と言えば語弊があるかもしれないけれど。きっと、今までのは、作られた笑顔だったのだ。
 私はくちびるを噛んだ。悔しい。伝えたいことはたくさんあるのに、何一つうまく言葉にできない。
 彼の、そして彼らの、三連覇にかけた想いの強さを知っている。
 準優勝でもすごいよ、とか、そんなこと、軽々しく言えるはずがなかった。

「はは、麻衣、お前今すっげーブサイクな顔してる」
「……ごまかさないでよ」

 私をからかうブン太は、すっかりさっきの作り笑顔に戻っていた。ブン太にそんな顔させるために、こんなアリーナの裏まで走ってきたわけじゃない。彼の目をしっかりと見据えると、一瞬彼は目を見開いて、それからバツが悪そうに視線を外した。

「ねえ、ブン太」

「………何だよ」

「――今日のブン太、すごく、かっこよかったよ」

 ただそう伝えただけのはずなのに。
 何度かブン太の練習を見に行った。何度かブン太の試合を見に行った。
 彼がテニスを、そしてテニス部を愛していることは痛いくらいに知っていた。
 幸村くんが突然倒れてテニス部自体が大変だったときも、そしてブン太自身がテニスに対しての壁にぶつかっていたときも、私はブン太のいちばんそばにいた。
 彼がその天才的な技を習得するまでものすごく努力していたのを知っていた。
 全部知っているからこそ、本当は勝ってほしかった。けれど、たとえ負けても――それが立海の掟を破ったことになってしまったとしても。

「ほんとに、ほんとに、かっこよかったんだよ……」
「……うん」

 いつの間にか私の視界はこぼれおちそうな涙のせいでゆらゆら揺れていた。
 ああ、どうしよう。顔が見られたくなくてうつむいたら、ぽとん、と涙が落ちてしまった。アスファルトに小さな染みができる。

「どうして、麻衣が泣いてんだよ」
「――わかんない」
「わかんないって、お前な。普通この状況なら泣くのは俺のほうだろぃ」

 ブン太は軽く笑いながら私をそう小突く。

「―――けど、サンキュ」

 刹那、いつの間にか私の背後に回っていたブン太に、後ろから強く抱きすくめられた。彼の頭が私の肩に埋まる。髪が首筋にあたってくすぐったい。けれど、そんなことを言っていられる状況じゃない。

「……ごめん、しばらくこのままでいさせて」

 耳元から聞こえたブン太の掠れた声に、私の胸はきりきりと軋んだ。
 彼の涙に気付かないふりをする準備は、できていた。

Fin.