大学進学で、東京に出てきてから数ヶ月。1人暮らしに慣れてきた頃、疲れが出てしまったのだろうか。朝、起きようとしたら頭が痛くて起き上がれない。というより、全身がだるい。
――風邪ひいてもうたみたいや…。
大学も今日は休まなければと再び目をつむる。ラッキーなことに今日は出席をとる授業はなかったはずだ。枕元にあった携帯で親友にレジュメの確保を頼むメールだけ送る。携帯の画面を見るのも結構つらい状態だから、まして通話なんてしたくないのに、やっぱり1人は心細いのか、彼の声だけは聞きたいと思ってしまうから不思議だ。今ごろ大阪で彼も授業を受けているのだろうか。
霞んだ視界で090からはじまる彼の番号が表示されていることを確認して発信する。でもまさかこんな朝っぱらから電話出てくれへんよなぁ――。
1コール、2コール、…。
やっぱり出えへんか、と切ろうとした瞬間だった。
『麻衣、どないしたん?』
「……けん、や」
うわ、うわ、謙也の声や。
『つか、声カッスカスやん。大丈夫か?』
「…ごめん、こっちから電話したのに申し訳ないけどあんまり大きい声出さんといて……風邪ひいてもうてん……」
『え……ほんま大丈夫なんか?熱は?』
「まだ測ってへんけど…たぶん、ある、と思う………」
『せやったら俺となんか電話するより先に、ゆっくり休みぃや?』
謙也は電話の向こうでやさしくそう言った。謙也の言うとおりだ。それに謙也だって、今は偶然電話に出てくれたけれど、もしかしたらすごく忙しいのかもしれない。けれど、身体も心も弱っているせいか、思わず本音をぽろりと零してしまった。
「けど……謙也の声聴きたかってん……」
言ってしまってから後悔をした。謙也は何の反応を示さない。
――やっぱり迷惑やったよなぁ……。
そう思いはじめたときに、やっと謙也の声が耳に届いた。
『……わかったわ』
「へ?」
『麻衣は、おとなしくベッドの中で安静にして待ってるんやで』
「え?」
『なるべく急ぐわ――ほなな!』
そして、一方的に切れた電話を私は耳から離して、脱力した。熱で朦朧とする頭で、さっきの謙也の言葉を思い出す。もしかして――いやいや、まさか……まさか、そんな、ねえ?
*
あれからどれだけぐっすり眠っていたのだろう。おそらくもう夕方くらいだと思う。朝のだるさはだいぶ解消されていたけれど、それでもまだやっぱり頭がぼーっとする。そんなとき、部屋のインターホンが鳴った。
――今日は居留守でええかぁ。
そんな感じで放っておいたけれど、インターホンは鳴りやまない。むしろ、ピンポンピンポンピンポンとけたたましい音が小さいワンルームに響く。
ああああもう誰やねんアホ!
重たい身体を起こしてドアを3センチくらいだけ開けると、突然そのドアは強い力でこじ開けられ、一気に私は何者かに抱き寄せられた。
普通なら不審者だ。叫んだほうがよかったのかもしれない。
けれど、私は、この腕を、知っている。
「麻衣……!アホ、あまりに反応せえへんから死んでるかと思たで!」
「……謙也、うそ、なんで、」
さっきの電話の“まさか”が現実になった。大阪にいるはずの謙也が、なぜか、今、私の目の前にいる。
「――どうせやったら、電話とか機械越しより生の声のほうがええやろ。それに一応医学部やし医者の息子やから、何か役に立てるんちゃうかー思てな」
「あほちゃう……」
素直にありがとうと言えない自分が本当にかわいくないと思う。だけど、どうしよう、なんかもう、泣きそうだ。
「……大学は?」
「休講や」
「うそつかんといて」
「……正式には、1限はほんまに空きコマ。あとは自主休講や」
「交通費、かかったんちゃう?」
「今月バイト頑張ったから、潤っててん!せやから問題あらへん」
「てゆか、早ない…?」
「浪速のスピードスターをなめたらあかんで!」
「謙也」
「ん?何?」
どうしていつもヘタレなくせに、こういうキメるときはキメてくれるんだろう。私も、ちゃんと、伝えなくちゃ。
「………だいすき。来てくれてありがとう」
「……何言うてんねん、ドアホ」
そんなことを言うくせに、彼が私を抱き締める腕の力はますます強くなって、思わず彼の胸に身体を預けた。
――きっと、私は、今、世界でいちばんしあわせな遠距離恋愛をしている。
Fin.