テニス部に入部した頃の財前は、身長は確実に私より小さかったし、あどけない瞳にはまだ幼さが残っていた。性格はとても生意気で今時の子だなと思ったけれど、それすらも可愛くて。後輩はみんな可愛いものだけど、財前は特別に可愛いな、なんて心のどこかで贔屓してしまっていた。
なのに、だ。あれから一年以上経って、彼の身長は私を超え、その瞳からあどけなさは消えてしまった。成長期とは恐ろしい。ほら、今目の前の財前も、恐い顔をしている。
「麻衣さんにとって俺は『可愛い後輩』なんはわかってます。せやけど、俺もいつまでもガキやないんで」
財前のことをずっと可愛いだのなんだのと猫可愛がりしていたら、ついに怒らせてしまった。確かに思春期の男の子が『可愛い』ばっかり言われたら、そりゃ機嫌も損ねてしまうか。
でも逆にそうじゃないと、どう財前と向き合っていいかわからなかったのだ。本当に可愛い後輩だと思っていたし、今でももちろんそうではあるけれど。気づいたら、逞しくなった身体つきに、精悍な表情、才能に溢れるプレイスタイル、そしてあんなに生意気なくせに実は男気があって優しい、そんな財前にいつしか一人の異性として惹かれてしまっていて。いやいやまさか、と、その感情を何度も自分の中で打ち消そうとしたけれど、打ち消せないほど、特別な存在になってしまっていた。
「ご、ごめんな、そら年頃の男の子が『可愛い』言われても嫌やんなぁ…?」
おずおずとそう答えると、財前は不機嫌そうな顔をしている。
「回答、ズレてますわ」
「え……」
「アホでもわかるように言わなあかんな」
ミーティング中の白石と小石川以外は帰宅してしまって二人きりの部室、財前はジリジリと私との距離を詰めてくるので、結局壁際に追い込まれてしまった。今、遠回しにアホだと言われた気がするけれど、それに対して抗議できる余裕はない。目と目を合わせられずに逸らしていると「逸らすなや」との低い声が飛んできて、思わず言う通りにしてしまう。
「麻衣さんに男として見てもらえてへんことが嫌やねんけど」
いわゆる壁ドンの体制でジッと見下ろした財前の瞳に映りこんだ私は、呆気に取られたような表情をしていた。え、それって、そういうこと?一気に身体が熱くなり目が泳ぐ。
「──さすがに意味わかったみたいっすね」
「た、たぶん……」
「二人きりになっても全然危機感ないし。ホンマ俺のことナメすぎちゃいますか。今かてこのまますけべしよ思ったらできるんすけど?」
「す、すけべ?!」
びっくりするくらい整った財前の顔が、これからキスでもするのではないかというくらい近い距離にある。イケメンは怒っててもかっこええんやな、なんて場違いなことを思う。どうしよう、財前は怒ってるけど、私は嬉しい。だって、私も本当は財前のことが好きなのだ。
「……あの、財前」
「何すか」
「私、前から財前のことちゃんと男の子やって思ってるで。ただ、意識してまうからわざと『可愛い』言うて誤魔化しとった。それで財前を傷つけとったんやったらほんまにごめんなさい」
素直にそう告げると、目の前の財前の瞳からは怒りの色が消える。
「麻衣さん、それって『俺のこと好き』言うてます?」
「う、うん……言うてます……」
「……何やねんそれ。いや、めっちゃ嬉しいですけど」
財前はさっきまでの威勢はどこへやら、力が抜けたような顔をしていた。今度は財前が私から目を逸らす番で、私は財前の耳が赤くなっていることに気づいてしまった。ついさっき『すけべしよ思ったらできるんですけど?』とかめっちゃ恐い顔で言ってたくせに。
「……ふふ。やっぱり財前は可愛えなぁ」
「……まだ言いますか」
「せやかて、さっきまでめっちゃ攻めてきてたのに、急にしおらしくなってもうて。財前のこと、ちゃんと男の子として好きやけど、やっぱり可愛い後輩としても好きやで」
一応未だに壁ドンされた体制ではあるのだけれど、目の前の財前が可愛くて仕方なくてクスクスと笑ってしまった。財前はそんな私の様子を見て、また少し不機嫌な顔をして言う。
「余裕すね」
「え?」
財前は壁についていない方の手を私の顎にかけてクイッと上へ向ける。
「ちょお、黙ってもらえます?」
そんな言葉とともに財前の唇が私の唇に重ねられ、改めて、この目の前の可愛い後輩がすっかり一人の男の子として成長していることを、身をもって知らされたのだった。
Fin.
2021.11.13