ふと目を開けると、見慣れない天井。頭がまだ寝ぼけている。ここはどこなんだろう、今は何時?遠くから鳥の鳴く声が聴こえる。そしてやっぱり見慣れないカーテンからはうっすらと日光が漏れている。
そして、ベッドから体を起こすと、ベッドのヘリに背中をもたれながら眠るその人の姿を見て、だんだん記憶がよみがえった。
どどどど、どうしよう…!!
忍足さんのおうちに、結局1泊してしまった。
そういえば今、私がパジャマ代わりに着ているのは、おそらく忍足さんの私物のTシャツだ。サイズが大きいから、ミニワンピくらいの丈は確保されているけれど。それにしても、忍足さんの服を着ている私って……なんだかその事実が恥ずかしい。付き合っているわけでもないのに。
徐々に一部始終を思い出してきた。昨日悪酔いした私を、忍足さんは自宅へ連れてきてくれて、そのまま介抱してくれた。ドレスを着たままだとまた吐き気を催したときに汚してしまうだろうからと、Tシャツを貸してくれた。Tシャツに着替えさせてもらったあとは、右下にして横になりや、と言われてそのまま忍足さんのベッドを借りて横になった。そしてたぶんそのまま眠ってしまったのだ──朝まで。枕元に私のスマホがある。充電は20%を切っていたが、時間を確認するには十分だ。午前9時20分。
「……忍足さん」
呼びかけてみたものの、忍足さんはすうすう寝息を立てて眠っている。忍足さんの寝顔なんてはじめて見た。26歳の大人の男の人の寝顔なのに、赤ちゃんみたいでとても可愛い。まつげ長いんだなぁ。くちびる整ってるなぁ。なんだか胸がきゅんとする。
色々仕事について教えてくれたり、落ち込んでいる時に励ましてくれたりする忍足さんのことを、先輩としてとても尊敬している。けれど、昨日1日忍足さんのやさしさにたくさん触れて、たぶんそれ以上の感情を私は彼に対して抱きはじめている。いや、たぶんもともとこの感情はどこかで抱いていたのだ、ずっと。自覚していなかっただけで。
「忍足さん」
「……ん、」
「忍足さん。朝です」
「朝?……って」
瞼をゆっくり開いた忍足さんは、私の顔を見るなりその瞳をぱちくりとさせた。
「支倉…!?」
「はい、支倉です」
「……一瞬なんでおんねんって思ったけど、そうやったな、思い出したわ。具合、もう大丈夫か?」
「はい、寝て起きたらもう回復してました」
「そうか、それならよかったわ」
忍足さんは心底安心したような顔をした。いつもスーツ、シャツ、スラックスのような服装の忍足さんしか見たことがなかったけれど、今の忍足さんはそれこそTシャツにジャージといった完全に部屋着で、そんなギャップにもドキドキしてしまう。
「……あの、あんまり長居も迷惑だと思うので、早速ですけど帰りますね!本当に昨日はすみませんでした。ありがとうございました。今度お礼させてください」
「お礼は別にいらんで。あと帰るんやったら着替えるやろ?俺この部屋におるから、洗面所で着替えてきぃや。ドライヤーとかも適当に使い」
忍足さんの1Kのお部屋。きっと大阪から転勤してきて以来ここに一人暮らししているのだろう。散らかってそうなイメージもあったが、意外とすっきりシンプルに片付いていた。洗面所で昨日着ていたドレスとボレロを身につけて、セットされた髪のピンなどをいったん外して、手ぐしとドライヤーで整える。そして最後に、さっきまで借りていた忍足さんのTシャツを畳む。
心斎橋支店の彼女さん──忍足さんの元カノさんは、この部屋に来たことがあるのかな。ふと、そんなことを思った。少し罪悪感を覚えながらもシンク周りをちらりと見やる。歯ブラシは1本、男性物の小物しかなくて、少しホッとした。
ああもう、だめだ。自覚した途端、忍足さんへの気持ちが蓋を開けたように出てきてしまう。
「着替え終わりました……メイクとか髪とかぐちゃぐちゃですけど」
着替え終わってメインルームに戻れば、カーテンが開けられ、忍足さんの部屋全体が明るくなっていた。明るいところで見る忍足さんのお部屋は新鮮だ。本棚にジャンプの漫画と金融系の書籍が同じように並んでいることにも、今気づいた。
「大丈夫や、近くで見んとわからへん。忘れモンないか?引き出物はカード型のギフトやったし……あ、そうや、ブーケやな」
ブーケといえば。ブーケの入っていた袋は昨晩処理済みだけれど、ブーケ本体は忍足さんが持っていてくれたんだ。どこからか紙袋を持ってきて、忍足さんはブーケをその中へ入れる。
「──駅まで送ろか?」
「いえ、近いですし、大丈夫ですよ」
「そうか。ほな下のエントランスまでな。どうせ日経取りにいかなあかんし」
そして忍足さんの家の玄関を出て、エレベーターで1階まで下りる。忍足さんの部屋番号が書かれたポストには、日経新聞の朝刊が突っ込まれていた。
「あの、本当にありがとうございました。お世話になりました」
「今後は飲み過ぎ注意な。気ぃつけて帰りや。また明日」
──また明日。そうだ、今日は日曜日で、明日からまた仕事だった。
明日、どんな顔して忍足さんに会えばいいだろう。
to be continued…