「……もう、さっさと財前くんと付き合いや」
「告白されてへんもん……」
「ここまで来たらもう自分から言うのもアリやろ。でもって、今すぐアイツはブロック!」
「……はい」
先日の財前くんとのデートと元彼からの電話の一件を理沙に報告・相談したところ、彼女からはこんな有難いアドバイスを頂いた。
私は自分のスマホを取り出して、元彼の連絡先を開き、理沙の目の前でブロックの手続きを取った。あ、でも、ブロックしたことで少し気持ちがスッキリしたような気もする。
「……うん。えらいえらい」
「もう、何やの?」
子供をほめるような口調の理沙に、照れくさくて聞き返してしまう。
「麻衣が元彼のことめっちゃ好きやったの知ってるから。ここまで回復して、ブロックできるようになったのめっちゃすごいなって。財前くん、まだ私は会ったことないけど、ほんまに彼に感謝や。親友としてお礼言いたいわ」
「財前くんのおかげもそうやけど。私がここまで立ち直れたんは理沙のおかげなんやで」
「ふふ。それこの前も聞いた」
「やんなぁ。せやから、私、ちゃんと作ってきてん」
じゃーん。と、自分で効果音を声で補足しながら、缶に詰めたクッキーを理沙の前に出す。
「わあ!ほんまに麻衣の手作りクッキーやん?!」
「理沙のこと思って焼いてん。愛情たっぷり!」
「めっちゃ嬉しい、ありがとう!さっそく食べてもええ?」
「もちろん」
理沙は缶を開けて、私が焼いたクッキーを1枚手に取る。
「……ほんまに美味しい。麻衣、天才や」
「そんな、元々は中学の時にネットかなんかで見つけたレシピ通りに作っただけやで?」
「謙遜せんでええって。そや、これ、財前くんにも渡したら?いつもごちそうなってるんやったら尚更」
「……喜んでくれるんかな」
「普通にお店で売れるレベルやし大丈夫やって」
そう言われて満更でもない気がしてきた。次会う時は、本当に、財前くんにクッキー渡してみようかな。
*
財前くんとは、クリスマスの前の週に会えることになった。お互いに講義やバイトや就活の準備などで忙しくしていたので、少し会える日程が先になったけれど、その間もお互いに毎日連絡をとっていたから、あまりさびしい気持ちにもならなかった。むしろ、日常のくだらない話をお互いに分かち合うことで、さらに心の距離が近くなった感じもする。
hikさんのインスタも引き続きチェックしていた。私のまだ知らないカフェがちらほらと更新されていて、そのたびに私はハートを押した。でも、一向に、二人で行った四天宝寺中近くの例のカフェの投稿は上がらない。きっとhikさんのインスタに投稿してしまえば、あのお店は、私たちの秘密のお店ではなくなってしまうからだ。そう思ったら、私も自分のカフェアカウントにあのお店は投稿できず、マイセンのお皿の上でキラキラ輝いているアップルパイの写真のデータだけがスマホに残っている。ただ、そんな事実が心地よかった。
「めっちゃ人多いな」
「……ごめんなぁ、私がイルミネーションが見たい言うたから」
「何で謝んねん。人多いな言うただけやろ」
「財前くん、人混み嫌いそうやから」
「まぁ、好きか嫌いかで聞かれたら嫌いやな」
「ほらぁ!」
「でも、たまにはええんちゃうの」
久しぶりに会った財前くんはすっかり冬の装いだ。財前くんのお誕生日は夏だけど、なんとなく財前くんには冬も似合う気がする。
今日は、待ち合わせ場所で会った瞬間に、それがまるで当然のことであるがごとく手が繋がれて、今もそのままだ。百貨店の前を通ると、ハイブランドのお店の大きなウィンドウに反射して私たちの姿が映る。映し出された姿は、第三者的視点でみれば、手を繋いで並んで歩くただの大学生カップルだ。そんな事実にどきどきして、そして少し期待してしまう。今晩あたり、そろそろ告白されたりしないだろうか、と。
イルミネーションを楽しんだ後は、以前2人で作った『行きたいお店リスト』の2番目のお店(ちなみに今日はトラットリアだ)で食事とお酒とデザートのティラミスを堪能した。そして例のごとく、ここの食事は財前くんのごちそうになり。
デートももう終盤だ。あとは家に帰るだけ。
急に緊張してきた。
「……今日は家まで送るわ。一人暮らしなんやろ」
以前のLINEの流れから、そう言われると思っていたけど、実際言われてみると胸がどくんと大きく波を打った気がした。
実は、財前くんのために焼いたクッキーを詰めた缶を、ラッピングした状態でバッグの中に忍ばせてある。今日のデートの別れ際、もし財前くんから何もなかったとしても、私からこのクッキーを渡そう。そして、そろそろちゃんと自分の気持ちを伝えよう。そう覚悟していたのだ。
「あ、ありがとう」
「……ほな行くで」
*
最寄駅から家までの道のりを、財前くんと歩く。一人暮らしの部屋を探すときになるべく治安の良い街を選んだから、駅から家までは閑静な住宅街だ。
私たちの間に会話はなく、やけに自分の心音だけが耳の奥に響いた。もうすぐ家の前に着く。──そろそろ、クッキーを渡そうかな。
そんなときだった。最悪の出来事が起きたのは。
「えっ、なんで……」
「連絡取れへんから家まで来てもうた」
マンションのエントランス前にいたその人は、元彼だった。なんでここにいるの。確かに付き合っていた時は何度も家でデートしたから、家が知られているのは仕方ないのだけれど。
「ストーカーやん、帰って……!」
思わず大きな声を出してしまった。もう夜遅いのに、近隣の住民のみなさんごめんなさい。隣にいる財前くんから素朴な質問をされる。
「コイツ誰?」
──そうやんな。財前くんからしたらこの状況、謎でしかないやんな。
財前くんに、この人が元彼ですと伝えるのはなんとなく抵抗感があったが、伝えないでこの状況を説明できる気もしないので、「元彼」とだけ小さく伝えた。ストーカーまがいなことをされた怒りと恐怖と失望で、無意識のうちに身体が震えている。そんな私の様子に気づいた聡い財前くんは、きっとすべてを察したのだろう、冷たい声色で言う。
「……新しい彼女おるんやなかったんすか、元彼サン」
「元彼言うなや。自分こそ麻衣の何やねん」
「いつまで彼氏気取りしてるん?気安く名前呼ぶなや」
「は、2年半付き合うとったんやぞ。自分こそ最近知り合ったばっかりなんやろ」
「こっちは中学ん時から知ってんねんけど。もしかして新しい彼女にふられたからコイツに戻ろとか思ってんのとちゃうやろな?」
え、嘘。そうなん?この前の電話では『別れてきた』って言ってたけど。ただ、財前くんの言葉を受けた彼は、図星を突かれたというような表情をしている。その瞬間、私の中で負の感情が爆発した。
最低。最低。最低。
本当はあなたが彼女にふられたんだ。だから、あんな突然酷い振り方しておいて、そっちがダメになったからって、私に戻ろうとしてたんだ。そんな都合の良い女扱いされるなんて。何でこんな人のこと、2年半も好きやったんやろ。何でこんな人のこと、3ヶ月も引きずってたんやろ。せめて、綺麗な思い出にさせてほしかったのに。一気に感情がこみあげて立っていられなくなりそうだ。目の前が歪んだと思ったら、自分の目から涙がぽたぽたと地面に落ちて、アスファルトに染みをつくっていった。本当は彼に対して罵声を浴びせたい気持ちだ。でも私の喉からは何の音も出てこない。ふらついた私を財前くんは片腕で抱きとめてくれた。そのまま財前くんの鎖骨あたりに顔を埋めさせてもらうと、財前くんののどぼとけの振動がダイレクトに伝わってくる。財前くんから発せられた声は、明らかに怒りの色を含んでいた。
「……自分、ほんま最低な男やな。自分が支倉をフったことで支倉がどれだけ傷ついたか考えたことあるか?まぁ、ないわな。あったらどのツラ下げてここにおれんねんっちゅう話や」
「──!」
「勝手に他に好きな女できたからって一方的にフッて、その女に振られたからって支倉にヨリ戻そうと迫って?──自己中にも程があるわ。支倉これ以上泣かせるんやったら、はよ去ねや。金輪際コイツの前に現れるな」
財前くんがどんな表情をして言ってくれたのか、私には見えない。でもその声は、とても冷えていて、怖くて、こんな財前くんの声は聞いたことがなかった。一瞬の沈黙の後、おそらく元彼と思われる人の去っていく足音が聞こえて。やっと、私の中の爆発した感情も落ち着きを見せてきた。そんな私の様子を察したのか、財前くんは私を抱きしめていた腕を緩めたので、一旦、私は彼の腕の中から抜けた。
「──ほんまに、家まで送ってよかった。これで俺がおらんかったらと思ったらゾッとするわ」
ため息交じりに彼は言う。確かに言われてみるとその通りだ。もし財前くんがいなかったら、力づくでいろいろと怖い目に遭っていたかもしれない。
「……財前くん、ありがとう」
「アイツのこと2年半好きやったんやろ。──罵ってもうて、悪かったな」
「ううん。ええねん。正直、2年半ずっとあの人のこと好きやったから、こんな最低な終わり方で残念やなって思うけど……でもこれで完全に吹っ切れた感じもする。それに財前くんが私の代わりに怒ってくれたから、めっちゃ嬉しかってん」
そう言う私の顔を、財前くんはじっと見つめる。
そして、おもむろに言った。
「好きや」
「っ」
「今日、別れ際に伝えるつもりやった。まさか元彼おるとは思わんやろ」
「……私も、今日財前くんに伝えるつもりやった。私も、財前くんが好き」
お互いにお互いの気持ちはわかっていたけれど、言葉で確認するこの時間はとても尊いものに感じた。財前くんは私の涙の跡に指を這わせて、そのまま至近距離で目と目が合う。まるでそうであることが当然のように私のくちびるに重ねられた財前くんのそれは、冬の空気のせいか少し乾いていた。
2021.11.3
title by 確かに恋だった