第7話 わたしの好きな人

 無事家に着いて、コートなどをハンガーにかけ、部屋で一息つく。そうそう、無事に家に着いたら財前くんにLINEをするんだった。久しぶりにスマホを開いた瞬間、一気に心臓が凍った。

 ──なんで。
 よりによって、何で今日このタイミングなん。

 LINEの不在着信と、「またかける」というシンプルなメッセージが1つ。その差出人は元彼だった。
 別れた直後は、彼と終わってしまったという事実を信じたくなかったし、復縁を望んでいた。だから、LINEブロックなんてもってのほかで、私はずっとずっと彼からの連絡が来るのを待っていた。待っている時は来ないのに、何で私が一歩踏み出したこのタイミングで、こんなことになるんやろ──彼の用件も不明だけれど。

 まあ、元彼のことはさておき。
 私は財前くんにLINEを送らなくては。

 気を取り直して、LINEで財前くんの連絡先をタップしようとしたその瞬間、信じられないことが起きた。このタイミングで元彼からの二度目の着信が来てしまい、財前くんの連絡先をタップしようとしたその指は、通話ボタンをタップしてしまっていた。

 ──うっわ、ほんま、最悪や。

『もしもし、麻衣?俺やけど』

 手に持っていたスマホのスピーカーから漏れてきたその声に、頭ではなく身体が反応する。手が震えて、自然と涙が出てきそうになる。
 2年半、私はこの人のことを心から愛していて、この声が大好きだった。付き合っていた時と全く同じ声のトーン。もう彼に対しての気持ちは恋とか愛ではなく情でしかない。頭ではわかっているのに。
 ぐっと涙を堪えて、涙声を悟られないように毅然と話すよう心がける。

「……ごめん間違えて出てもうた、切るね」
『切らんで。やっぱり俺は麻衣やないとあかん』
「は」
『勝手に別れ切り出しといて何言うてんねんって話やんな。ほんまに悪いことしたと思っとる。──もう一回チャンスくれへんか?』

 ついこの間までは、こんなことが起こるのを夢見ていた。財前くんに再会するまでは。でも、今の私は財前くんに再会してしまった。

「そんなん今更言われても遅いわ。彼女おるくせに」
『別れてきた』
「嘘やん」
『ほんまや。誓ってもええ』

 真剣な声で彼は言う。

「──だめ。私今好きな人おる」
『彼氏?』
「ちゃうけど……」
『付き合ってへんのやったら俺にもチャンスくれ』
「やだ」
『でも、途中で切ることもできたのに、こうやって話してくれとるってことは、少しは期待してもええか?会って話したいねん』

 頭がぐちゃぐちゃだ。
 せっかく忘れてたのに。
 せっかく新しい恋ができたと思ったのに。
 本当は何も言わずに即電話を切れば良かったのだ、なのにそれができなかった私は、やっぱり彼を忘れ切れてないのだろうか。

「……期待せんで。もう二度と会わへん。電話切るね」

 電話を切った後、しばらく茫然自失状態だったけれど、ふいにまたスマホが震えて我に返った。今度は財前くんからの通知だ。

『着いた?』

 そんなシンプルなメッセージに、着いたらLINEしてと言われていたのに送れてない申し訳なさと、気にかけてくれている嬉しさとで、胸がきゅうっとなる。

『遅なってごめん!着いたよ』
『ならよかったわ。何かあったんかと思った』
『ちょっと実家から電話きてて』
『え、一人暮らしなん?』
『うん。親が東京引っ越しちゃって』
『早よ言えや。それやったら遅い時間やし、家の前まで送ったわ』

 実家から電話というのは嘘だけど、そんな嘘から派生して、こんな胸きゅんなLINEが来るとは思わなかった。財前くん、やさしいなぁ。
 でも、彼の性格上、きっと誰にでもこんなにやさしいわけではないのも知っている。きっと私は、自惚れでなければ、彼の”特別”になりかけている。
 さっきは元彼からの電話に動揺してしまったけれど──やっぱり冷静に考えて、元彼に対しての気持ちはもう恋愛のそれではないし、何より私は、財前くんとの未来を選びたい。

『ありがとう。財前くん、やさしいな』
『普通ちゃう』

 そんなやりとりがしあわせで。だから、私は自分が前に進むために、勇気を出した。

『また、財前くんとお出かけしたい』

 そんなLINEはすぐ既読がついて。
 そして、一呼吸置いてすぐ返信が。

『ん。行きたい場所、考えとき』

 その文字列を読んだ瞬間に、感情がこみ上げてきて、自分の気持ちを改めて自覚した。
 ──今の私が好きなのは、元彼なんかじゃない。
 紛れもなく、財前くんだ。

2021.10.30