第6話 ごちそうさまです

 お手洗いを済ませた後、化粧室の洗面台の鏡を見ながら、崩れてきてしまったメイクを直す。ポケットに忍ばせたリップを取り出し、自分のくちびるに色を乗せる。食事をして少しとれかかっていたリップが復活すると、幾分か自分の顔がマシに見える。財前くんとデート。改めてその事実を思うと、少しでも可愛い自分でありたかった。

「……ごめんなぁ、待たせてもうて」
「タルトタタン。来てるで」
「わあ!美味しそう!」

 お手洗いから戻ると、テーブルの上には注文していたタルトタタンが。あ、でも、タルトタタンを食べたら、この楽しい時間は終わってしまうのか。そう思うと、なんだか積極的に手を伸ばす気になれない。

「……食べへんの?」
「い、いや、食べるで?財前くんこそデザート食べへんの?注文したらいいのに」
「俺は今日はパス。腹いっぱいや」
「えー、そうなんや……せやけどせっかくやし、私のタルトタタンちょっと食べへん?半分こする?」
「……半分はいらん。一口」
「ふふ。一口な。わかった」

 まだ口をつける前でよかった。タルトタタンに未使用のフォークを差し込み、一口大に切り分けて、財前くんの小皿に置く。そして、特に約束したわけではないけれど、2人で同じタイミングで一口めを口に運ぶ。

「……おいしい!」
「これ美味いな」

 声が揃った。思わず2人で顔を見合わせて笑う。同じものを食べて、美味しいと分かち合えることが、なんだかすごくしあわせだ。
 もし財前くんとこのままデートを繰り返して、もしお付き合いすることができたら、こんな穏やかでしあわせな時間が続くのかな。財前くんと過ごしていると、失恋の傷がするすると癒えていくのを感じる。あんな辛い思いをするくらいなら恋愛はしばらくいいやと思っていたけれど、中学の頃から財前くんは良い意味で変わっていなくて、私が好きだった財前くんのままだ。だから、私も純粋にあのときみたいに財前くんに惹かれてしまうのかもしれない。

 お会計は今日こそ私が、と思っていたのに、今日も今日とて財前くんに先を越されていた。お手洗いに席を立っている間に済ませてくれていたようだけど、さすがにずっとごちそうになりっぱなしは気が引ける。

「なぁ、財前くん、さすがにあかん。今日は全部私が払う」

 そのためにバイトも頑張ったのだ。1万円札をちゃんと準備した。財前くんは財布を持ったままの私に対して、無言で視線を向ける。え、私、財前くんの気に障ること言うた…?

「支倉」
「はい」

 少し怖くて、思わず敬語になってしまった。

「……俺は付き合う前のデートで女に出させたないんやけど。それでも払うっちゅうんやったらもらうわ」

 ──財前くんはほんまにずるい。
 こんなこと言われたら、お金払われへんやん。
 そして、素直にごちそうになるということは、暗に自分の気持ちを伝えているようだ。こんな形で私の気持ちも確かめるなんて、なんという策士。観念して、財布をしまう。

「……ごちそうさまです」

 その私の言葉をトリガーとして、彼は私の左手に自身の右手を絡めた。初冬の夜の財前くんの手は、ひんやりしている。

「……帰り、何線?送るわ」

 街中は、気の早いクリスマスムードで、至るところでクリスマスを感じるBGMが流れている。街ゆく人もなんとなくワクワクした雰囲気を感じる。
 そんな中、私たちは手を繋いだまま、無言で駅へと向かった。気まずい沈黙ではないけれど、いつも財前くんとは途切れることなく楽しく会話をしていたから、余計彼を意識してしまう。心臓の音が耳の奥から聞こえる。
 ──こんなん、財前くんのこと、好きにならんほうが無理や。

 財前くんは、私が使う線の改札まで送ってくれた。そして、別れ際に「無事家着いたら、LINEして」とのこと。手を繋いで、別れ際にこんなこと言われて、まるで付き合っているみたいで。
 次いつ会えるんやろ。財前くんに早くまた会いたい。でも、そんなこと積極的に言える性格はしておらず、次の約束をしないまま別れてしまった。電車に揺られながら、さっきまで繋いでいた左手をぼーっと見つめる。頭の中が財前くんでいっぱいだ。

 だから、私は気づかなかった。
 そんな間に、私のスマホが、何度か震えていたこと。

2021.10.29