お母さんに相談した結果、日曜日に仁王くんに来てもらうことになった。お父さんが単身赴任中で良かった。何度も男の子の友達が家に来るのは、なんだか気恥ずかしい。
「それにしてもなんだかんだで麻衣、あんた、あの男の子……何だっけ、に、に、西野くん?」
「仁王くん!西野くんって誰!」
「あ、そうそう、仁王くん!仁王くんのこと好きなんじゃないの~?」
にやにやと嫌な笑顔で聞いてくるお母さんに、私は「違うって!」と否定することができなかった。
――私、仁王くんのこと、どう思っているんだろう。
自分でも自分の気持ちがよくわからない。
*
「仁王くん、わざわざおみやげなんて気ぃ使わせちゃったみたいで」
「いや、別にそんな高いもんじゃないき」
「でもこの缶詰、高級だよ?うちであげてるカラッカラのキャットフードとはみずみずしさが違うもん」
相変わらずの縁側、仁王くんと私は並んで座りながら、缶詰の餌に飛びつくマサハルを眺めていた。しばしの沈黙。少し気まずくなりそうで、慌てて、「仁王くん?」と隣にいる彼を見上げると、仁王くんはマサハルを見つめたままめずらしく眉間に皺を寄せた、険しい顔をしていた。
「支倉」
「え。な、何?」
「……マサハル、何か、この前会うたときと雰囲気が違うんじゃが、俺の気のせいか?」
「雰囲気が違うって、具体的には?」
「……はっきり言う。正直、前に会った時より、元気がない」
そう言う仁王くんはやけにシリアスな空気を醸し出していて、思わず真顔になってしまった。
「そ、そんな、まさか、嫌だなぁー縁起悪いこと言わないでよ」
慌てて笑って冗談にしようと試みてはみたものの、仁王くんは真顔で、今度はマサハルではなく私を見つめる。その視線はまっすぐ私の瞳を捉えていた。コート上の詐欺師なんて呼ばれていたくらいの彼には私のしょぼい冗談なんて通用しない。必然的に、私の口角は再び下がった。
「……そんな、今だってこんなに元気にごはん食べてるのに?」
「……俺の気のせいかもしれん。ちゅうか、そのほうが、マサハルにとってもお前さんにとっても俺にとってもええことじゃ。けど――なんとなく、悪い予感っちゅうもんだけは、当たってしまうのが世の常ぜよ」
仁王くんはそう言うと、私の顔をのぞきこむ。私の心の中は複雑だった。だって、今目の前にいるマサハルは、少なくとも私にとってはいつもどおり元気そうに見える。だから、人の家のペットに勝手にわかったふりしていちゃもんをつけないでほしい、という気持ちもどこかにはある。
しかし、それ以上に、なんとなく仁王くんの言葉には説得力があって、仁王くんを信じてしまいそうになる。と、同時に不安が一気に押し寄せる。マサハル、もしかしてどこかが悪いの?しかし動物が喋れるはずもなく、真実はわからない。
きっと仁王くんはそんな私の内心を察していたのだろう。ぽん、と頭の上に大きな手が乗った。
「――失礼なこと言ってすまんかったの」
そう言う仁王くんは今まで見たことがない表情をしていた。眉を下げて、申し訳なさそうに笑う。そんな仁王くんに、「ううん全然」と首をぶんぶんと横に振っていたのは条件反射かもしれない。
「けど、もしものことがあったら困る。しばらくはマサハルのこと、よう見ときんしゃい」
「……うん。そうだね。マサハル、年も年だし」
そう言ってぎこちなく笑うと、仁王くんは「そうじゃな」と笑い返してくれた。そんな仁王くんに、私の心臓はきゅうう、と反応する。こんなときに自覚するのもどうなんだろうと思うけれど――どうしよう、私、仁王くんのこと、好きになってしまったみたい。
*
それからの私の春休みは、家でごろごろしたり、たまに友達といっしょに遊んだりと、平平凡凡だった。そんな中で、仁王くんのあの言葉がよみがえる。「しばらくはマサハルのこと、よう見ときんしゃい」――その言葉の通り、私は以前よりさらにマサハルのことを気にかけるようにしていた。そして、思ったのだ。
確かに、前より、元気がないかもしれない。
そして、その日は突然やってきたのだった。
「マサハル、どうしたの?!おもらしなんて今までしたことなかったじゃない」
お母さんがマサハルに向かって怒っている。何があったのかと駆けつけてみれば、マサハルがおもらしをしてしまっていた。どうしたんだろう、今までこんなことなかったのに。一気に不安が身体をかけめぐった。しかしお母さんはこれがただのマサハルの老化だと思っているようで、「困ったおじいちゃんねぇ」なんて冗談を言っている。
「お母さん、マサハル、変な病気なんじゃないの?病院連れて行かなくていいの?」
「何言ってるのよ。マサハルは年とっただけよ。たまにはこんなこともあるんじゃないの?」
「……そうかもしれないけど、何かあってからじゃ遅いよ?」
「おもらししただけで動物病院に連れていけるほど、うちにお金の余裕はありません」
「お金の問題?!マサハルの命がかかってるのに?」
「麻衣はいちいちおおげさなの。大丈夫よ」
全く聞く耳を持たないお母さんに、少し苛立つ。どうしてそんな平気なの?ほら、今だってマサハル、辛そうな顔してる。それでも、爪切りだけでも結構お金がかかるというのに、マサハルをこっそり動物病院に連れていって検査してもらえるほどの貯金は、中学を卒業したばかりの私にはなかった。
「……ねえ、マサハル、大丈夫?」
お母さんがキッチンに戻ってしまった後、辛そうなマサハルの背中を撫でてやると、マサハルは苦しそうににゃあと鳴いた。どうしたらいいんだろう。すると、マサハルはまたおもらしをはじめた。しかし、出てきた液体は赤い。
「血――?!」
嘘、マサハル、どうしちゃったの?!
「お母さん!マサハルが!!」
頭が真っ白になって、思わず叫んでしまった。マサハルが血尿だなんて。
嘘、もしかしてマサハル、このまま―――?
私の心臓は、今までにないくらい、早鐘を打っていた。