第4話 1年目・3月

『麻衣、俺たち別れよう』

 自然消滅になるかと思えば、日曜の夜に彼のほうからそんな電話がきて、私たちの関係はきちんと消滅することになった。覚悟はとっくにしていたけれど、実際そう告げられると、やっぱり辛くて悲しくて、涙が出た。大学の頃は、彼と過ごす時間があんなに楽しかったのにな。
 明日は月曜で、また1週間、仕事が始まる。泣き腫らした目で会社には行けない。なのに涙が止まらなかった。

 3月の最終週、支店は最終の営業追い込みでバタバタとしていた。私も1年目とはいえローカウンターでの営業目標を担っている。今月は新規先をあと3件獲得しなくちゃ。あと、投資商品も売らなくちゃ。失恋でへこんでいる場合ではない。
 幸い、年度末ということで、ご来店されるお客様も多く、仕事は多忙を極めた。忍足さんのお昼ごはんを食べるのが速い理由がわかった気がした。私自身、忙しすぎて、お昼ごはんを食べる時間も惜しいと思うようになったからだ。
 そんな中、銀行のイントラネットで人事情報が掲載されたようで、私がローカウンターで接客している間、後方で先輩たちやパートのスタッフさんたちがざわざわしていた。営業時間後に締め作業をしながら、そのざわめきの理由をOJTの先輩に聞いてみる。

「なんか人事で大きな異動があったんですか?」
「そうなのよ、まず支店長が今回栄転して役員になるんだって。あと融資課の先輩が異動になる代わりに、本部から融資課に1人異動してくるみたい。しかもその人忍足さんの同期なんだって」
「へえ、支店長、おめでたいですね!」
「新しい支店長もいい人だといいよね。今の支店長、すごくいい人だったから」
「あと融資課の方もいい人だといいですよね」
「それは忍足さんに聞いてみたらどんな人かわかるんじゃないかな?」

 言われてみれば確かに。
 帰り際にちょっと聞いてみようかな。

「お疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」

 融資課の課長が支店の鍵を閉めて、支店に勤務する行員全員が職員玄関にて解散する。普通の会社ならみんな「お先に失礼します」なんて言ってバラバラに帰るのだろうが、うちの銀行のうちの支店は未だに昭和の文化が残っていた。

「忍足さん」
「お、支倉。どないした?」
「4月から忍足さんの同期の方が本部からうちの支店に異動してくるんですよね。どんな方なのかなって思って」

 支店の最寄駅に向かって歩く忍足さんの横を、そう尋ねながら私も歩く。

「あー白石な……クッソ優秀やで。腹立つほどイケメンやしな」
「あはは。何ですかそれ。褒めてるんだかけなしてるんだか」
「そもそも3年目の段階で本部の融資審査部に異動んなるっちゅうこと自体、異例やし。そのあと約2年本部経験してからの母店配属やから、同期の贔屓目なしでも相当できるヤツやで」
「へぇ、すごい人なんですね」

 そう言う私に、忍足さんは少し黙った後、おずおずと聞く。

「──なぁ支倉、自分、昨日泣いたやろ」
「?!」
「今朝見かけた時から、目腫れとるの気になっててん。仕事でなんか落ち込んでるんちゃうか?」

 うそ、メイクで隠してたはずなのに…!しかも、忍足さんってこういうの無頓着そうなのに…!あ、でも彼には心斎橋支店に彼女がいるって話だし、意外と女性のこういう変化も察知する能力が高いのかもしれない。

「忍足さんすごいですね、メイクで隠してたんですけど……」
「いや、隠せてへんやろ。知らんけど。俺に言えることやったら話聞くで」
「そ、その……忍足さんに話せることなんですけど、ちょっとこの場所では落ち着かなくてですね」
「確かにそうやんな。ほな、忍足さんが夕飯おごったるわ」
「え!」
「話の内容的に、他のヤツ誘うのもアレやろ。──別にやましいことは何もあらへんけど2人でおるとこはあんまり見つからんようにせんとな」

 いくら先輩とはいえ彼女がいる男性と2人で食事に行くことは少し罪悪感があったが、忍足さんの勢いに飲まれ、そのまま私たちは支店からも駅からも少し離れたダイニングバーへ向かった。

「実は、前に話した遠距離中の彼氏と昨日別れちゃったんです。全然仕事と関係ない理由ですみません……」

 ポテトをつまみながらそう話すと、忍足さんは目を丸くした。予想外だったんだろう。

「……そうなんや。そら今日1日キツかったやろ」
「あ、でも忙しかったので、仕事してる間は全然大丈夫でした!でも、ご飯食べてる時とか、トイレで席立ったときとか、ふとした瞬間に思い出しちゃって。自然消滅は覚悟してたんですけど、ちゃんと『別れよう』って言われたら結構ショックで……」

 気づいたらベラベラと話してしまっている自分に呆れてしまう。業務外のことでも、忍足さんのやさしさに甘えてしまっている。

「──遠距離なあ。ほんま難しいやんな」
「でも、忍足さんは心斎橋支店の彼女さんと、」
「別れた」
「え?!」
「結構前やで。1月末くらいか?もう2ヶ月経っとる」
「な、なんかごめんなさい」
「別に何も謝らんでええで」

 そこからはなんとなく沈黙が続いた。
 心地の悪い沈黙ではなかった。

「……まぁ、昨日の今日やし気持ちの整理も大変やと思うけど。俺でよかったらいつでも話聞いたるから」
「……ありがとうございます」
「せやけど、最初は仕事んことで悩んでるんかと思って焦ったわ」
「そうなんですね…!仕事はおかげさまで先輩たちにいろいろ教えてもらって、なんとか1人でローテラーできるようになりました」
「おん。知ってるで。たまに営業室の後ろから支倉が接客しとる様子見かけんねん。一人前なったやん」

 忍足さんはまた白い歯を見せて、太陽のように明るい笑顔を向けてくれる。忍足さんの笑顔を見ると、悲しい気持ちが少し和らいだ。彼氏はいなくなったけど、こうして支えてくれる先輩が身近にいるのは幸せなことだ。
 でも、逆に忍足さんが1月末に彼女と別れたなんて、1ミリも気づくことができなかった。忍足さんはいつも笑顔だけど、もしかして全然笑えないときも無理して笑顔をつくっていたのかな。そう思ったら、少し切ない気持ちになった。

to be continued…