来週の土曜に、街のお祭りが行われるので、うちの支店からも若手中心に何人か手伝いを出してほしい。そんな話が朝礼で上がった。新入社員である私はまず逃れることはできなくて、せっかくの休日が潰れてしまうことを心の中で嘆いた。
幸い、午前・午後・夕方とシフトが組まれており丸一日ではないとのことで、シフト表で自分のシフトを確認する。
16:00〜19:00
忍足謙也
支倉麻衣
…
…
なんと、同じ時間帯に忍足さんの名前があって、忍足さんといっしょなら楽しそうだな、と少し救われた。
*
「おはようございます!」
「おん、おはようさん」
うちの銀行は何時であってもなぜか「おはようございます」と挨拶する文化だ。もう16時だけれど、忍足さんとそんな挨拶を交わす。
私たちの銀行が出しているテントに行くとそこには支店長や役席もいて、支店長は街の商工会議所の人や役所の人などが挨拶にきていたのか、色んな人に囲まれていた。
「……偉い人も大変やな」
その様子を見た忍足さんの呟きに心の底から同意した。
「こっちはこっちで、若手は若手らしく働こか」
「はい!」
「お、やる気満々やな」
そう言う忍足さんもすでに銀行のロゴが入った法被を羽織っていて、どちらかというと忍足さんの方がやる気満々のように見える。私も私服の上に法被を羽織った。
そこからは、忍足さんは物の運搬や会場の設営や撤去などの力仕事を任されて、私は誘導や交通整理などを任された。人出が多く、無我夢中で仕事をしていたら──なんと、あっという間に3時間が経っていた。
銀行のテントに戻ると、支店長が「お疲れ様」と声をかけてくれた。いやいや、支店長の方が朝から1日お疲れ様です…。
「支倉さん、初めてのこの街のお祭りはどうだった?」
「人出が多くて大変でした……でも、いつも働いているこの街のお役に立てたなら良かったです」
そんな会話をしていると忍足さんもテントまで戻ってきた。他の応援メンバーも続々と集合する。
「今日の銀行としての応援は19時までということでみなさんお疲れ様でした。これにて解散なので、プライベートでお祭りを楽しむもよし、さっさと帰るもよし、土曜の夜を楽しんでください。僕は可愛い娘が待っているので帰りますね」
今回のお祭りの応援を仕切っていた渉外課の課長がそう言うと、応援メンバーの間にほっこりした空気が流れた。上司にこう言ってもらえると、部下も帰りやすい。でも、今日は交通整理ばかりで全然お祭りを楽しむ余裕がなかったし、私はお祭りが終わる21時まで、楽しんでから帰ろうかなあ。
「支倉は残る組か?」
「あ、忍足さん。はい、楽しんでから帰ろうかなって思ってます!」
「おー奇遇やな!俺もや。一緒に行こや」
忍足さんとはすっかり仲良くなって、いつのまにかパブリックな場所以外では、他の若手男子同様、苗字で呼び捨てされるようになっていた。他の若手はみんな帰宅する選択をしたようで、蓋を開けてみれば、残ったのは忍足さんと私とふたりだけだ。
「何や、デートみたいになってもたな」
「ちょ、何言ってるんですか!」
「冗談やって。そんなに嫌がらんでもええやん……ちょっとヘコんだわ」
「もう、別に嫌がってはないですよ」
変なこと言うから動揺してつい大きい声が出てしまっただけだ。
「まあ、ええわ。ほな行こか。行きたい出店とか決まっとる?」
「特に決めてなかったです」
「よっしゃ。ほな俺が案内したるわ。ついて来ぃや」
忍足さんはニッと笑うと、ズンズンとどこかへ向かって歩き出す。私は慌ててその背中を追った。
しばらく忍足さんと一緒に出店が出ているメインストリートを歩いていると、忍足さんは「ここや」と言う。その出店では、りんご飴や果物を使ったお菓子が売っていた。
「社長、来たで!」
「おう、ケンヤ!待ってたぞ!」
忍足さんは親しげにお店の人と話していた。お取引先の人なのかな。ふと出店のテントの文字を見れば、よく忍足さんから預かる伝票に書いてある青果店の名前だった。そうか、この見た感じアラフォーのお兄さんは、忍足さんの担当先の青果店の社長さんなんだ。
「あれ、今日は可愛い子連れてるな!彼女か?」
「いや、コイツ、うちの1年目です。ほれ、挨拶しぃや」
「営業課で窓口担当の支倉です。よろしくお願いします」
「支倉さんか。よろしく。とはいえ、俺、銀行のことはケンヤに全部任せてほとんど窓口行かないからなぁ。ケンヤはこう見えてめちゃくちゃ仕事できるヤツだから、ケンヤからいっぱい学んだらいいよ」
社長がさらりと言ったその一言に、社長が忍足さんに寄せる信頼の厚さを感じた。忍足さんは、そんなんほめすぎですわ、なんて少し照れていた。
「そうだ、支倉さん、りんご飴は好き?」
「はい、大好きです」
「だったら、これ1本あげるよ。このりんごの生産者さんはとても愛情込めてりんごを作っているから、絶対に美味しいと思う」
そう言って社長は私にりんご飴を差し出した。頂いちゃっていいのかな…?!判断できずに思わず忍足さんのほうをチラリと見る。
「銀行員としてやなくて、支倉個人へのプレゼントっちゅうことでええです?」
「そう。可愛い女の子へはサービス。ケンヤは食べたかったら300円な」
「ええ商売してますわ。ほな、支倉、ありがたくもらっとき」
「ありがとうございます!嬉しいです!」
「で、ケンヤは?」
「俺も頂きます」
忍足さんは300円を取り出して社長に渡した。りんご飴を手に入れた私たちは、ではまた、と挨拶をして他の出店へ向かって歩き出す。りんご飴を齧ると、とても甘い味が口の中で広がって幸せな気持ちになった。
「さっき社長が俺に300円請求した理由わかるか?」
「…え?す、すみません、そんな深く考えてなくて」
「せやろな〜。俺も1年目の時やったら全然気にせんかったけど、アレな、社長が俺に気遣ってん。銀行員は小さい接待からどんどん規模がデカなって贈賄につながる可能性がある。せやから自衛せなあかん。社長も銀行とは付き合い長いさかい、俺とクリーンな関係を続けるために、逆に『金くれ』言うてくれたんや」
なるほど、そういうことだったんだ。
そして、こういうことをさらっと教えてくれる忍足さんは、社長の言葉を借りると『めちゃくちゃ仕事がデキる』先輩なんだなと感じる。
「あの社長も2代目社長で、先代から引き継いだ店をどうにか続けようって一生懸命工夫しとる。──りんご飴もうまいやろ?」
「はい……いつも機械的に伝票処理してしまってましたけど、実際に社長とお会いすると、1つ1つの資金移動が社長の事業にすごく大きく影響しているんだなって思いました」
「おっ、100点満点の返事やな!」
忍足さんは嬉しそうに笑った。その後も私たちは忍足さんの取引先を中心に出店を回って、21時までたっぷりお祭りを楽しんだのだった。
to be continued…